Complete text -- "2010和洋女子大学学園祭 公開授業"

28 October

2010和洋女子大学学園祭 公開授業

可能世界論としてのコンピュータ・ゲーム研究

講義シラバスより
 ゲーム作品『マヴラヴALTERNATIVE』を対象にして、コンピュータ画面上に現出した映像表現の特質と、そこに平行して用いられている活字や音声等の多元的な表現媒体が示唆する仮構世界表現手段の拡大と変容の可能性と実相を、コンピュータ・ゲームというジャンルあるいは世界の持つ潜在的意味性に対する考察として検証していく
 インタラクティブに操作されると同時に鑑賞対象ともなる視覚・総合芸術表現として提示された、ストーリーと記号的概念構造を重ね合わせて保持する特有の仮構の一種である”ビジュアル・ノベル”としてのゲームを実際にプレイすることにより、その新しいジャンルとしての表現の特質や、そこに秘められた独自の主題性についての哲学的、科学論的論考の可能性を模索していく。
【授業計画】
1 回 “あいとゆうきのおとぎばなし”というジャンルカテゴリー、「お約束的展開大前提御都合主義上等の超王道恋愛 AVG」は擬装?
2 回 “インタラクティブ・ノベル”の特質と可能性について、双方向性と網羅的試行からフィクション世界の宇宙論的解釈を模索
3 回 平行宇宙論と多世界解釈における人格の同一性問題、キャラクターの貫世界的同定に関わる haecceity と quiddity の問題
4 回 “コヒーレンス”、“デコヒーレンス”とバタフライ効果、観測効果と確率関数の収束、“存在確率”としての原形質的意義性
5 回 主題研究:主観世界と客観世界の捻転的合一の可能性、内宇宙と外宇宙の重ね合わせを示唆する形而上学的宇宙論
6 回 グロテスクとエロティシズムとナンセンス再考、エロへの逃避と、エロからの逃避に対する峻厳なる拒絶の意思表明
7 回 全と個の関係性再考、運命性と自己同一性の相関、世界創成と個人存在を関連づける全方位的意味性賦与のメカニズム
8 回 ループと永劫回帰と実存、時間性の呪縛に対する挑戦、運命愛と永遠性に対する渇望、刹那と無限、多義性と回帰性
9 回 分岐する世界と複数化する「私」、意識と存在/記憶と知覚、対応と相関、モナドロジー再考
10 回 高潔と悪徳、絶対悪の存在と闘争の意味の再検証、正義と必要悪の相克、絶対倫理とレゾン・デートル
11 回 自己犠牲と生け贄と贖罪のパラドクス、倫理のディレムマと意味座標平面の次元拡張
12 回 マトリクスと平行宇宙と多義性の原形質、素粒子の発現可能性の順列組み合わせ的網羅的可能態の宇宙像
13 回 創造的意味賦与の試み、代替候補の可能世界像を提示する神話・伝説とファンタシー、仮構世界の改変と挿話の付加
14 回 創造的論評の試み、妄想と悪乗りとしての鑑賞と思考、模造と改作という創造行為、考察と分析という創造行為
15 回 個々における創造的関与の様々な試行、パロディー、コスプレ、作品紹介ヴィデオ・クリップ作成等

講座ノートより
課題 夕呼の検索結果
 忘れないように、課題として指摘しておいたシーンをメモしておきます。
 国連軍横浜基地司令官補佐の香月夕呼は、突然基地に表れた白銀武について、コンピュータで検索した結果どのような事実を確認して、彼の言葉を信じることにしたのか?後のストーリーの展開から、この確かな理由を推し量ることができるはずです。これは、この作品の中心となる主題「平行宇宙」の存在原理と密接に連なる重要条件でもあるからです。
 ちなみに、授業中に進めた選択肢は講座担当者が最初に攻略したルートとは異なっていたため、このシーンは今回初めて見たのでした。

平行宇宙内存在物
 量子論的存在解釈に従って網羅的に分岐した平行宇宙を形成する集合の元となる「存在」を考える時、「黒田」でも「和洋」でも「赤」でも「カンニング」でも何でもいいから、何か命名をした無限のセルを表示することができるエクセルの表を考えます。ロール・プレイング・ゲームのキャラ設定の場合と同様にそのセルに「身長」だの「体重」だの「血液型」だの「好きなデザート」だの「苦手な教科」だのと並んで「存在しない」とか「仮構上の疑似存在」だとか、ありとあらゆる属性となる項目を付け加えることができることとします。一つの平行宇宙を形成する元となる条件項目として、さらにこのように無限に記述可能な属性細目を元として持ち得る「存在」あるいは「意味」がある訳です。このような宇宙記述モデルにおいては、ある一つの人格(ここではマトリクスで表記されている)が「貫世界的」に存在することが前提とされていることになります。そうなるとこれまで「個人」とか「同一性」という概念で理解されていたものが、全く異なった様相のもとに再考されなければならなくなることを理解して下さい。この案件がこの後『マヴラヴ』の中で取り分け興味深い状況を現出することとなるのです。
 このような記述モデルの具体例を一つ紹介しておきます。講座担当者が意味も無く「アリス・ゲーム」と名付けた、健全な論理記述の妄想悪乗り一人遊びです。
 アリス・ゲーム2
http://antifantasy2.blog01.linkclub.jp/index.php?blogid=1214&archive=2007-7-1

成長?レベルアップ?
 『マヴラヴ』で最初の平行世界にワープした主人公白銀武は精神的にも未熟で、知能・体力共に低レベルの「へたれ」でした。散々仲間の訓練生達の足を引っ張り、みんなに教え導いてもらいながらなんとか経験値を高めていったのでした。『マヴラヴ・オルタネイティブ』の白銀はさらにもう一つの平行世界にワープし、しかもこれまでの体力と知力と経験の記憶の大部分を保持したままスタートを切り直す結果となっています。ロール・プレイング・ゲームによくあるように、パーティが全滅した後の再ゲームでは、前回の試行が再プレイ後の地力として反映されているのです。しかしこのゲームでは、その自覚が主人公に対するプレッシャーとなり、行動範囲の制約を及ぼす桎梏ともなります。さらに、成長して仲間の訓練生達の尊敬の念を集める主人公が世界救済の使命感に燃えて語ったり考えたりしたことが、必ずしも全て正しい思考や判断であったと結論づけられる訳でもないのです。例えば彩峰のさりげない突っ込みなどに見られるように、訓練生達一人一人が実は、白銀の判断に疑義を唱える根拠となり得るような深い背景としがらみを背負っているからなのです。このゲームは、決してお約束事の安易な正解や正義を確証させてくれるものではありません。プレイヤーは重く、苦しく、このゲームの提示する問題性につき合わされていくことになるのです。覚悟しておいて下さいね。

 ニュートン力学が代表する科学思想においては、世界に招来するあらゆる事象は、最終的に物質を形成する基礎単位である個々の粒子の運動と配列によって決定することとされる。もしも現在世界に存在する限りの全ての物質粒子とそれらの位置と運動を全能の神のような存在が把握するとしたならば、未来の全ては予測に従った厳密な結果をもたらすだけのものとなるに違いない。これが「決定論的宇宙観」と呼ばれる現実認識の一つの形である。さらに、もしも世界の大きさが有限であり、物質構成単位となる粒子の数もまた有限であるならば、その順列組み合わせの数はいかに莫大なものであろうとも、ある有限の値を取ることが当然予想されるだろう。ということは、全ての可能性の分岐を経験してしまった後の世界は、必ずや以前に経験したのと全く変わらない状態を再び繰り返すことを条件づけられていることになる。永遠の時間の流れの中で、世界と世界構成要素の各々は、自身の発現形を選択する過程において、変化の無い繰り返しのループから逃れる術を持たないのである。これは存在と行動の意味自体を完全に否定してしまう冷徹な客観的世界の実相を示す残酷な教説と考えられるものであり、また「個」としての自覚を持つ意識の主体としては、考え得る限りの最も忌まわしい現実認識の形であるとも思われるものである。ニーチェはこの考えを「永劫回帰」と呼んだ。
 『マヴラヴ』の場合のように、多世界の存在と異世界へのリープあるいは過去への逆行が認められる世界を支配する物理法則とは、ニュートン力学のいかなる前提部分をどのように修正した結果得容認されることになるものだろうか。

特異点
 ニュートンの構想した宇宙観においては、あらゆる物質がその固有の質量の大きさに比例する力(万有引力)で互いに引きつけ合っているという根本原理を採用しながら、当然の帰結であるはずの宇宙にある全ての物質がある一点に引き寄せられて凝集するという可能性が排除されていたのは、無限の広がりを持つ空間における「釣り合い」という実は誤った仮説が信じられていたためでした。キリスト教の教義である始まりと終わりのある時間の7000年という有限性の延長範囲は、すでに18世紀、19世紀の知識人にとっては廃れた偽説でしかなかったのでしょう。空間的・時間的無限を前提として受け入れる限り、機械論的因果関係に従う決定論的運命観は異論の余地の無いものとして主張されることになります。現在支配的なものとなっている、始まりと終わりの存在を許容する宇宙論は、厳密な意味での「科学思想」が容認することを拒否していた「特異点」をむしろ積極的に採用する「非科学的」要因を備えた思想であるとも言えます。空間における極大と極小の「特異点」において異次元空間への連接があり得るように、時間次元においても同等の特異点が存在することを予期しているのが、現在の世界の我々にとってすでに当たり前の時空認識なのです。
 質量点としての物質粒子が世界を構成する基礎単位であるとすれば、ニュートンが仮定したように全ての存在物が引力の支配を受けているのが当たり前となります。しかしそのような特性を持つ「物質」の基幹要因として考えられていた「原子」を構成する部分的要素として「素粒子」の存在があらたに認められ、その「素粒子」は原子がそうであったように特定の「質量」を持っているわけではなく、時に原子に質量を与える要因であったり、あるいは保持する質量はゼロでありながら原子の構成要素として機能していたり、さらにまた可能性としてはマイナスの質量を持つ「素粒子」さえもが存在することが予測され得ることとなった時、「重力」と「もの(質量)」という概念そのものの再検討が必要とされることになりました。つまり質量を質量足らしめる「情報(意味)」という基礎要因の存在が新たに認められねばならないこととなったのです。時間軸の延長上に個別の存在物としての座標を維持しているもの、あるいは空間的連続性を保ち繋がった一塊のものであるという条件以外にも、存在の個別性がむしろその意義性や「形状」あるいは「性質」という条件のみにおいて確かに「同一性」として判断されるという、より踏み込んだ界面での「同定条件」の存在が考えられることとなる訳です。白金武の恋人の鑑純夏の「鑑純夏」性は、そのようなものとしてこの後『マヴラヴ・オルタネイティブ』に登場してくることになります。

ホグワーツ学院魔術学原論 中間試験問題
 以下に列挙する事象は、すべて一つの魔術的システム理論に関連して生起する現象である。これらの依拠する基幹システムの内実と、各々の事象の保持する相関について「同一性」という概念の検証を通して指摘せよ。
 5寸釘を突き立てる呪い人形は、相手の姿形を型どったものを用いる。
 写真を撮られると魂を抜かれる。
 成金や政治家は銅像を建てたがる。
 王や権力者は硬貨や紙幣に自らの肖像を刻印する。

直列と並列
 主人公白銀と夕呼博士によってなされていた、戦術機の操作プログラムの改良案についての会話の中で参照された、AIと人間知能のシステム理論的な質の違いが「並列」と「直列」でした。ここでは「並列処理」(parallel)と「直列処理」(serial)というアルゴリズム概念の相違が指摘され、さらに観察/対応対象として有限の範囲が規定されているゲーム内環境の場合と、無限に解放された環境変化が想定される現実環境の場合の重大な異なりが考察されていました。これらは実は、身近なコンピュータの機能の応用を通して容易く確認することができるものです。階層別に整理したフォルダの中に通し番号を付けて1、2、3…と単なる数字をファイル名として与えて保存していった場合では、二桁の10や3桁の100が含まれることになった時点で、コンピュータはこれらを一連の量的違いを判断することのできる数字であると認識することができなくなります。100枚以内であれば最初から000、001、002、のように3桁の数字として制約された情報により、フォルダ内の全てのファイルを統一的に関連づけておく必要があるのです。人間知性は明らかに無限対応なので、全体を見ずに部分情報のみを参考にして支障無く思考を組み立てていくことができます。このように人間の知能は、コンピュータが行うような演算アルゴリズムとは全く異なる独特の思考方法を用いて活動を行っていることが理解されます。ここに確認したようなシステム理論的観点から既存の様々な議論を振り返ってみると、様々な発見が得られるはずです。応用としては、「線的」(linear)という概念、「スカラー数」という概念などをこれらの議論に反映させてみると興味深い発見が得られることでしょう。
 社会管理の方策の手段として採用された「並列化」と、思考アルゴリズムのモデルの一つである「並列処理」の相違と関連を理解しておきましょう。
 さらにもう一つ、「開放系」と「閉鎖系」というシステム理論的概念にも注目しておいて下さい。夕呼と白金の議論と関わる実例として、人間の大脳の働きと小脳・間脳その他の神経組織との関連、および永野護の『ファイブスター・ストーリーズ』に語られた、モーターヘッドを操る際の騎士とファティマの関係を考察してみて下さい。

並列と直列
 「並列」と「直列」という対照的な概念を、他の分野における関連語句に置き換えて対比してみることにします。「並列側」と「直列側」に分けられたそれぞれの概念が示唆する、統合的宇宙解釈上の具体的な問題点を確認することができるでしょう。
 並列    ー    直列
 多義性   ー    一意性
 重ね合わせ ー    単独存在/現象
 コヒーレンスー    デコヒーレンス
 波動    ー    粒子
「人間知性」の実像と宇宙の基幹的場の原理的存在属性は、必ずしもこれまで科学的見地から信じられて来たような「直列」的なものではなさそうなのです。

11月30日、箱の中のリンゴ
 夕呼先生は「箱の中のリンゴ」で説明してましたが、話の内容は「シュレーディンガーの猫」でした。一つの世界で事象として生起する前の可能性の束である原存在は、相矛盾する状態同士を重ね持つ「確率」の霧の状態にありますが、意識を向ける観察者の行う「観測行為」のおかげで、確率の霧状態からある特定の「事象」としての収束がもたらされることになります。
 ここで「霧」と語られたものを、言葉を換えて「波動」として理解すれば、正反対の波長同士が互いを打ち消し合って相殺状態にある「コヒーレント」な状態から、これまでの均衡状態の崩壊がもたらされた結果世界の中の一現象として実体化する「デコヒーレント」な事象の具現化が得られる、と理解しても同じ結果となります。夕呼先生の平行世界理論によれば、貫平行世界的に存在を移動することができる意識は、脳波の「同期性」と「分散性」によりその遷移を実現させている訳です。

11月30日、世界が欲する
 夕呼先生の仮定した平行世界理論によれば、白銀存在は複数の平行世界間を移動することができたものの、構成要素の一つを失って本来の安定状態を喪失した世界と、余分の構成要素を重複して抱え込んでこれまた安定状態を失った世界は、お互いに初期の安定状態への回帰を果たす要素交換の再試行を行うことを欲するのであるとされていました。
 これは丁度熱力学的にみれば、エネルギー密度に濃淡の差がある空間のそれぞれが均衡状態への回帰に対する指向性を持ち、時間の経過と共に世界全体が最終的均衡状態へと同時進行する結果、結果的にはこれ以上の熱的変化の要因を持たない安定状態すなわち「熱死」に導かれるとされる「エントロピー増大則」が、世界内部の諸局所領域に関してではなく「間世界的」に適用されたことになります。

多世界理論と観測効果と観測の主体たる意識存在
 デカルトはキリスト教会の干渉を防ぐために自分の研究対象を客観的な物質存在に限定し、宗教の扱うべき領域である霊的事象については一切触れることを避けると言明することによって、「科学」という自己の研究領域を守ったのでした。しかし量子的事象の究明が進むと共に、物理的事象の生成における観測効果の影響が無視することのできないものであることが分かってきました。ここにおいて「科学」は、「意識」と意識の主体である「精神」の存在を除外することができなくなってしまった訳です。
 『マヴラヴ・オルタネイティブ』においては、無限に分岐した平行宇宙を通貫して存在可能な精神的主体である「自己」性が、物質――精神連続存在を宇宙規模で理解するための仮説として採用されていると考えることができそうです。「変性意識状態」(altered states consciousness)と呼ばれる超能力(パラサイコロジー)的事象を裏付ける未知の意識の領域は、本人の自覚しない異世界的「もう一人の私」の別種の知覚や思考の残留感覚を示しているものであるかもしれません。「夢」という未だ解明のなされていない「現象?/意識?」の謎を解く鍵が、この辺りに潜んでいるかもしれないと妄想してみたくなるところです。

 「BETA は人類を生命体として認識していない」
 これだけ聞くといかにも BETA ばかりが極悪非道みたいに思えますが、実はそんなことはないのですね。夕呼博士も言っている通り、人工授精を繰り返して効率優先で霞達の「発現体」を造り出し、作戦のために損耗率のはなはだしいハイブ突入を強いたりする人間の方が、道具としての兵士を「生命体として認識」している分だけよっぽど残酷な訳です。化粧品製造のため多数のラットを実験台にしている人間社会の利己的なありかたの実質について科学者としてはっきり自覚しており、横浜基地副司令として躊躇い無く人情を切り捨てた判断をすることができるのが夕呼博士でした。
 キリスト教の救済の理念と BETA の生命体認識を比較してみれば、さらに興味深い類似点を指摘することができます。異種の教義の存在を認めない排他的な宗教であるキリスト教は、救世主イエス・キリストの誕生以前に生まれていた聡明な哲学者や善良な市民達の全てを、当然のごとく「異教徒」として天国に召される権利を持たないものと認識していました。これはダンテの「神曲」を読めばよく理解できることです。さらにキリスト教徒となるべき人の証としての魂を持たない異種の意識体、すなわち人魚や妖精や精霊達には決して神による救いが訪れることはなかったのです。アンデルセンの「人魚姫」の主題はそこにありました。

コブタヌキツネコ
 仮構(ゲーム)と精神(プレイヤー)と時空(世界)を統合連続体として理解しようとする本講座の理念において、鑑純夏を鑑純夏として同定するための条件、すなわち存在の「同一性」解釈における従来の科学思想が前提としていたものとは異なる要素がいかに展開していたかを理解するための一助として、以下の省察「ブタヌキツネコ」の記載内容を参考にしてみて下さい。
 コブタヌキツネコ 1
 だれでも知っているように“コブタヌキツネコ”は、3時間毎にコブタータヌキーキツネーネコと、姿ばかりでなくその属性の全てを瞬時に変換して生きている特殊生物です。存在物としての座標的連続性は決して失われることがないので、コブタ、タヌキ、キツネ、ネコのいずれの様相をとっている場合においても個体としての時空的同一性は保持されているものと考えられています。このような“同一性”は論理学的には“haecceity”という言葉で呼ばれている一種の“そのもの性”です。“コブタヌキツネコ”の場合のように、姿形・内実において全面的な変更がなされてはいても、座標上の連続性が厳密に保たれている限り、コブタもタヌキもキツネもネコも厳然たる同一物として認定されることでしょう。

 一方、存在物の純然たる特質を定義づける“そのもの性”を考える概念も別に認められています。それが“quiddity”と呼ばれる、意味の複合体としての内実における同一性を同定する根拠とされる概念です。コブタヌキツネコの場合ならば、このように自身の外見・属性を変化させるという特質そのものを、この独特の性質を持った一個の存在物としての定義として記述した場合のもう一つの“そのもの性”として、先ほどのhaecceityとは別の解釈に基づく“同一性”として認めることになる訳です。つまりコブタヌキツネコのように、「3時間毎に自発動的にコブタ―タヌキ―キツネ―ネコと変化する生物」、という記述を充当するものであるならば、今度は時空的・座標的連続性を固有の存在界面において現出させているという条件を充当させる必要も全くなく、例えば「ドラゴン・クエスト」というゲームの中に登場したコブタヌキツネコも、「ドラえもん・クエスト」というアニメに描かれたコブタヌキツネコも、「ドラドラ・クエスト」というマンガの中で記述されているコブタヌキツネコも、存在物としての座標的個別性や時間的連続性を一切顧慮されることなく完全なる“同一物”として認定されることとなります。たとえそれが宇宙の概念基盤と物理法則を決定する物理定数と基幹的因果関係性のドラスティックな混乱を導いた時空・意味的相転移を発生させたとされるセカンド・インパクト以前には紛れも無くクジラッコンブであった筈の動物・植物複合体であろうと、そのコブタヌキツネコとしての“同一性”には何ら疑いを差し挟まれる余地はないのです。

  同様の原理に基づき、水をかぶった早乙女乱馬が女に変身し、お湯をかぶった女乱馬が男の姿に戻る事が出来るというのは現代仮構動画現象学の常識ですが、“水”という物質の化学的性質自体にこの変身を誘発する原因がもしないと仮定するならば、変身を左右する決定的な要因はその温度ということに集約されねばならないことになります。そこで改めて、男女の別を決定する温度の臨界値は果たして何度にあるのであろうか、という重大なフィクション・メタフィジックス的疑問が生じることになります。仮に熱過ぎもぬる過ぎもしない「40度」という数値が実験の結果確証されたとするならば、今度は男乱馬が40度の水をかぶった場合と女乱馬が40度の水をかぶった場合に、それぞれにもたらされる変身あるいはその他の変化の有無の結果が興味深いものとなるでしょう。この実験結果が納得のいく原理的理解をもたらした後の重要課題としては、絶妙の温度調整を行って厳密に40度を保ち続けている水に乱馬が浸り続けた場合に、果たして乱馬の性が何らかの変化をもたらされることはないのか、あるいは生理学的・解剖学的・遺伝学的検証に耐える何らかの変異を示し得るのか、という極めて倫理学的・教育学的重要性を持つ関心を納得させるべき検証作業が生起することとなるでしょう。さらに上の例においては、水の化学的性質が乱馬の性差決定に影響をもたらすことはないと仮定されていましたが、もし様々な液体の化学的・物理的性質が熱的物理作用以外に乱馬の性変化に何らかの影響をもたらす要因を持つことがあるという新事実が解明された際には、その物質が持つ比重や比熱や触媒的作用等様々の素因を、今度は全体性としての宇宙の相関作用及び宇宙自身の開闢以来の経過的変化という内的要因をも無視することなく加味して、乱馬の性変化を支配する運動力学あるいは全体性のシステム理論を統合する宇宙論・心理学的メカニズムが解明されなければなりません。そしてこの場合の乱馬の“同一性”あるいは“そのもの性”をいかに判別し、キャラクターあるいは霊的存在様相のペルソナ的内実を理解すべきかが、倫理・宗教ゲーム理論的に人類の最重要課題として迫りくる筈なのです。

「ダブル・スリット」実験
 12月9日のエピソードでは、夕呼博士が量子論理の基本とも言うべき存在解釈を導くきっかけとなった、電子の軌跡を検証する目的で行われた実験の内容について語ってくれています。「多世界理論」が誕生する土台となったこの実験の示唆する量子存在の特質を語る内容を、よく確認しておいて下さい。「重ね合わせ」は、英語では super position とも overlay とも言われる現象です。

鬱ゲー『マヴラヴ』
 12月10日の、戦術機のOS機能比較演習の際の突然のBETA来襲が語られるエピソードでは、以前に経験して覚えた情報が全く役に立たない新規の事態が生成して、これまでの有能な救世主白銀の人物像を演じることが不可能になった主人公の、壊滅的な挫折の有様が語られることになります。「鬱ゲー」と呼ばれる『マヴラヴ』の真髄は、この辺りから開帳されることになる訳です。大変重く、辛いエピソードが長々と続くことになりますが、これこそ『マヴラヴ』の真骨頂と言える部分なのです。世界の根本にある問題性の重さに耐えかねて現実の瑣末事に逃げるのは、年取って精神対応力の虚弱化した大人のよくやることですが、現実からも根本原理からも逃げないのがこのエロゲーです。

元の世界に逃げ帰って、また追われるように
 12月10日(元の世界では12月13日から12月17日まで)は、主人公白銀武のずたずたぼろぼろのエピソードが語られることになります。
 もとの世界でもこちらに劣らない悲惨な体験を余儀なくされ、「世界を救う傍観者」としての立場から「世界に害悪をもたらした張本人」への残酷な移行を経験することになります。主観の中に描かれた幻想世界から覚醒した後の苛酷な現実世界の実相として、実は同等の精神的体験は我々の誰のもとにも訪れる可能性のあるものです。
 全てを失って精神的に生まれ変わり、またこちらの世界に戻って仕切り直し、一人の「弱虫」として一からやり直しです。あちらの世界の12月13日から12月17日までは、長過ぎるので講義では省略させて頂きます。
 再びこちらの世界に戻って、00ユニットの完成を知らされると共にいよいよ鑑純夏の消息が判明する。こちらの世界の日付は12月17日、これに続く12月18日辺りが「哲学的主題」の始まりです。次週の講義はこの辺りに飛んで行きます。途中の重たいエピソードはこのゲームの真髄とも言える部分なので、是非各自でプレイして確認しておいて下さい。

「エロゲー」としての新機軸
 新規の攻略対象と攻略ステージの考案―エロのための哲学と形而上学
 12月19日のエピソードでは、BETAに関する生態学的解釈を企てた際の、常識では到底理解不能の未知の要素が、むしろ際立ってリアリスティックに語られています。12月20日のエピソードにおいては、新種の敵であるBETAを相手にすべき戦術的考証として対応を迫られることになった戦術機の設計思想の変化が、極めて論理的にきめ細かく語られていました。共に画面の動きがない、映像として表現するには非常に困難な抽象的内容が密につまったエピソードでしたが、基本設定がしっかりしているのでむしろ見応えがあります。ゲームだからといって全てを絵で表現しなくとも、文字データによる概念的記述のみで十分に鑑賞に足ることが証明された2回のエピソードでしたが、その裏で白銀と00ユニット純夏との機縁の深まりも同時進行で語られていきます。
 12月21日のエピソードは、ハイブ突入を目指した演習におけるフォーメーションの意義性の戦術的把握が、今度は新しく加わった分隊の同士達との会話を通して語られていました。これらの裏設定のおさらいの後12月22日のエピソードに至り、ようやくこのゲームのストーリーの結末を予期させる今後の展開への道筋と、これまで隠されていた事実のさらなる開示が得られることになります。それはやはり完成した00ユニット純夏の存在性向の担う“自己同一性再検証”に関する概念理解の手法の再提示という形で展開していくことになる訳です。“エロゲー『マヴラヴ』”として他に例を見ない特異な攻略対象と最終攻略ステージを構築するために、間多世界的情報伝播の超宇宙論的仮説に基づいた、“貫多世界的人格同一性”という概念の経験則的理解の枠を超えた大胆な提示がなされることになる訳です。考えてみれば滅茶苦茶重たい“エロゲー”ではありました。

“最終兵器彼女純夏”
 12月23日にはいよいよ、12月25日に佐渡島ハイブ総攻撃が行われる計画があることが部隊に告知されます。しかし12月24日まで、相変わらずのまったりとしたペースで、冥夜や他の仲間達との交流を通して『マヴラヴ』の反省心に満ちた緻密な世界観の掘り下げがなされていきます。遂に00ユニット純夏が人類の切り札である最終兵器の中央演算処理ユニットとして機能するものであることが明かされ、いまだに動作が不安定な純夏に対する白銀の“調律”の重要性が夕呼博士によって説明されます。
 12月25日は人類の命運を賭けた佐渡島総攻撃が行われますが、純夏を搭載した新兵器は圧倒的な攻撃力を発揮した直後に、原因不明の不調を起こして擱座してしまいます。新たな希望の幕開けを感じさせると同時に、くやしいばかりのあっけない結末を迎えたのが、12月25日の佐渡島総攻撃でした。
 12月26日には夕呼博士との話し合いの結果純夏の突然の不調の原因が明らかにされ、改めて白銀は世界を背負う自分の運命の重さを眼前に突きつけられてしまうことになります。“因果導体”として多世界間の情報(記憶)の混淆をもたらしてしまう特殊存在である白銀に全ての原因があったのですが、この事実に対する夕呼博士の合理的に割り切った科学者的判断には驚嘆すべきものがあります。このような苛酷な経験を通して「大人になる」と同時に、白銀独自の「大人になって割り切る」ことのできない純粋な精神のみが00ユニット純夏の「調律」に役立つことを教えられることになります。

お約束のエッチ・シーン
 「エロゲー界の哲学」としての『マヴラヴ・オルタネイティブ』に対する考察の、この講義のヤマとなるお約束のエッチシーンは、12月28日のエピソード開始後2時間20分辺りから20分程の時間で展開されています。“ダッチワイフとのエッチ”という特殊状況を効果的に演出するために、“平行宇宙”間を遷移する“因果導体”と世界と個人の保持する“記憶情報”の伝播という擬似科学的仮説、さらに“貫多世界的同一性”という形而上的思弁を展開したのが、この理屈っぽいエロゲーだったのでした。

エッチ・シーンの背景―貫多世界的形而上SFドラマでもある壮大極まりないエロゲー
 12月27日には、精神状態の安定した00ユニット純夏が衛士の一員として小隊に配属されてきます。純夏と小隊の他の仲間達との出会いをきっかけに、白銀自身の現在の記憶が複数の平行世界の白銀の体験記憶の重ね合わせ(具体的には他の女の子たちとのエッチ経験の記憶)となっていることが分かります。このことが純夏の調律に微妙な影響をもたらすことにもなる訳です。そこの問題点を解消するためにも、白銀と純夏が性交渉を持って人間存在としての縁を深めることの必要性が生起してきます。
 12月28日にはエロゲーとしてのクライマックスとして、ようやく白銀と純夏のエッチ・シーンが描かれることになります。しかし二人が結ばれたこの日の夜が明ける間もなく、横浜基地は思いがけないBETAの奇襲に見舞われ、人類はさらなる深刻な状況を迎えることになるのです。







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