Complete text -- "2011学園祭公開授業テキスト"

25 October

2011学園祭公開授業テキスト

公開予定のフィギュア達とテキストの一部をアップします。



テキスト1 初音ミクとフィギュア

 “初音ミク”は仮構世界と現実世界にまたがって存在する一人の少女である。彼女はマンガのキャラクターと同様に髪型や衣服などに固有の特徴的な姿形を有している。そしてまたアニメの登場人物のように独特の声音を備えてもいる。しかしこの少女は、小説の登場人物や映画のヒロインの場合のようなストーリーや場面等の人格特性を決定する具体的情報を提供する物語世界的枠組みは持っていない。初音ミクは、音楽作成ゲーム・ソフトの中で導入されている、プレイヤーが作曲した楽曲を歌い上げる機能を果たすために考案された擬似人格なのである。その独特の印象的な機械音声は、“ヴォーカロイド” (Vocaloid) という名のコンピュータ・プログラムあるいはヴァーチャルなアンドロイドとしての選別的な属性を彼女に与えることとなっているが、本質的には一人の人格性を構築し特定する条件として、むしろ他の多くの仮構世界内のキャラクター達に比べて空隙の部分が多い筈である。しかしこの少女がネット上の動画投稿作品の題材となって独特のキャラクター・イメージを増幅していき、その影響を受けて種々のフィギュア製品が製作される過程を経るにつれて、既存の映画や小説等の中の仮構的存在物達とは明らかに異なる様々な背景的特性と、さらに現実存在としてのある種のキャラクター性向をも獲得してきたのは、人格同一性概念そのものを全方位的に再考する上で取り分け興味深い事実なのである。
 一個のキャラクター像を形成する要素や条件について、実在の人間存在と伝説上の人物あるいは仮構世界内の擬似人格は、その存在論的本質は次元界面を全く別にする根本的に異なったものの筈である。しかしながら一方、仮構と現実の区別を超えた“人間存在”としての通貫した概念的特質においては、むしろ現実と仮構を隔てる境界線は限りなく曖昧になってくるのが実情である。アーサー王やヘラクレス等は伝説上の人物として各々が一つの名のもとに相反する様々の属性や特質を重畳して備えている。またシーザーやクレオパトラ等の歴史上の人物も、数々のエピソードや記述の中で相反する複数の様相において語られて、その人物像は現実と仮構の境界線上に多面的にその人格特性を投射することとなっているのである。この事実は固有名詞に集約される人格概念に止まらず、国家や文化等についても全く同様にあてはまるだろう。チョーチンの下をゲイシャが行き交うエキゾチックな夢の国ニッポンや、荒唐無稽な戦闘技を操る忍者や神秘的な決め技を隠し持つ柔道や空手等の、現実の相応物から遊離した仮構的イメージがその代表的なものである。おそらく“悪の帝国共産主義”や“堕落社会の極みの資本主義国家”、さらには“恐怖政治の狂信者集団タリバーン”等の国家集団的イメージも、偏見に満ちた主観によって賦与された、ある種の仮構的キャラクター概念なのであろう。
 現代に生きる実在する同世代人達にしても、その人格的内実は各観測者個々の心情や対象との関係性を反映して印象と表象を様々に変化させている。外的存在である他者のみならず、現実存在として人格を保有する筈の我々は、分割され得ない“個人”(individual)として特定の時間に固有の座標を占めて存在する唯一無二のものとして自身を捉え、“自我”という単独の意識を備えていることにより他と分別される独個の自己同一性を確証し得ている“自分”として通常“私性”を認識している。しかし、その存在論的確証性は、必ずしも客観的に定かなものであるとは言い難い。意識存在としての我々は単なる空間上の座標点ではないし、有機物の集塊として判断されるものでもないからである。さらに我々を人格として個別的に特徴づける筈の記憶や属性情報も、通常これらをデータとして複写して時間的・空間的断絶を経て再現することが不可能な選別された特殊要因であるかのように理解されているが、これもまた実は意識の主体による直感に支配された憶測でしかない。我々の“人格性”は、固有名詞として命名を施して他と分別されることによって自分の自分性を確証し得ていると錯覚されているものの、実際に思考を行いつつある“我”を規定する要因は、必ずしも科学という仮説にあったような厳密な概念化作業によって明確に定められたものではないのである。だから個人としての命名を通して社会の一員として認識されていた関係性を剥奪されて世界との概念的連繋を見失った時、我々は名前のみならずその存在性自体を喪失して何物でもないものとなってしまうのである。改めて無名のものに環帰した意識の主体にとって“自分”を形成する諸要素の細目については未だ未知の部分が多いし、逆に“自分”がより広範な包括的な何物かに帰属する一部であるか否かについてすらも、実は原理的には知る由もないのである。このように実ははなはだ不可解なものである“私性”あるいは“人格性”を再検証するにあたり、初音ミクという擬似人格の保持する種々の表象とイメージについて、フィギュア作品として具現化したキャラクター像を対象にしてその存在論的実質を検証することにより、意識存在としての我々の人格を形成するかもしれぬ未知の諸要素に対する推察の糸口を探ってみることができそうにも思われるのである。
 デスクトップ・ミュージック・ソフトウェア『初音ミク』は、クリプトン・フューチャー・メディアによって2007年8月31日に販売を開始された製品である。このシリーズはヤマハの開発した音声合成エンジン“VOCALOID2”を導入しているが、“歌声ライブラリ”のデータには実際の声優のものを起用していて、それぞれの歌声毎にキャラクターとしての特有の設定が用意され、そのキャラクターの名称が各々の製品名にもなっている。先行するVOCALOIDとしてMeikoとKaitoの二人のキャラクターがあったが、ミクの後発のボーカロイド・キャラクターとしては、既に鏡音リン・レンのペアと巡音ルカが登場している。その他の変種として、さらに他社の開発した“Vocaloid”の範疇に属すると思われるその他いくつかのキャラクター・ヴァージョンも存在する。
 “仮構世界キャラクター”初音ミクの原型的な表象は、音楽作成ソフトとして発売されたパッケージの図柄によって構築されているものである。『VOCALOID初音ミク』のパッケージ・イラストのミクは、身長と同じ程の長さの青緑色のツインテールの髪を四角い赤の髪留めで止めている。濃いグレーの袖無しの上着に髪と同色のネクタイを着用しており、黒のスカートとストッキングにも髪と同色の青緑色の縁取りが配されている。さらに肘から下を覆う幅広の黒のアームカバーが、ミクの外形の印象的なフォルムを形成している。ヴォーカロイド・キャラクター特有の選別的な特徴として、耳許に装着したヘッドセットと上腕に刻印された赤い字のシリアルナンバー“01”と、さらにアームカバー下部に装備された計器板がミク独特のメカニカルな印象を形成している。これらは初音ミクを演じる際のコスプレ衣装の中核的な要素となっていて、初音ミクの同一性を判別するための重要な条件となっているものである。
  初音ミクのキャラクター同一性を確定するこれらの特徴は、人間存在に対する命名行為にも相当する、彼女の独個として保有する記号的な特質なのである。『不思議の国のアリス』においてハンプティ・ダンプティが意地悪くアリスに語ったように、名称と日常的呼称とその本体自身の間には必ずしも一貫した相等性がある訳ではなく、これらの間には本質的に決定的な乖離があるのが当然なのだが、一方人間の主観的意識の裡においてはむしろこれらの記号性こそが紛れも無い対象物を規定する絶対条件であるかのように認識されているのも、厳然たる一つの事実である。当然ながらフィギュア造形作品のキャラクター同定においても、このような固有の記号性が欠かせない要件となっている。フィギュア製品における初音ミクの記号性の細目を確認することができる代表的な具体例としては、グッドスマイルカンパニー製の“キャラクター・ボーカル・シリーズ01:1/8初音ミク”を挙げることができる。 このフィギュア作品においては、上に挙げたこのヴォーカロイド少女の記号的要素が忠実に再現されて、立体造形における初音ミクの“ミク性”を堅固に構築していることを確認することができる。二次元で表現された平面イラスト作品と三次元の立体構造体は、本来は存在理念においては全く異なる別存在である筈なのだが、これらの視覚的な記号的特質の相当性によって、このフィギュアは初音ミクのミク性を主張するための十分な説得力を備えるに至っているのである。
 生命感のあるポーズと活き活きとした表情のみならず、髪や衣服等のプラスティック素材の効果的な選択によるディテールの表現など完成度の高いこの造形作品はフィギュア愛好家の高い評価を得て、販売終了後にまもなく再販が決定されたばかりでなく、その後いくつかの変化形ヴァージョンさえもが生み出されている。その中の取り分け印象的な一つが、“マックスファクトリー製キャラクター・ボーカル・シリーズ01:1/7初音ミク”である。1/7ヴァージョンはグッドスマイルカンパニー製の先行作品とは微妙に姿勢の異なる、ディテールの表現に異質の要素を加えた出来映えのものになっていて、細身ながらブーツや上着等の衣装に締めつけられた肉付きの表現がとりわけ印象的なものになっている。しかし、初音ミクの記号的同一性決定要素においては、その細目は変わることなく踏襲されていることがよく分かる。
  これらのフィギュア造形によって確証されるキャラクター表象の同一性条件と共に、上記の二つのモデルの間において確認される変異と新たな付加的属性もまた、人格同一性を考察する上で重要な実例を提供しているのである。何故ならば興味深い事実として、これ以外にも“初音ミク”の名を冠したさらにいくつかの変種が存在するからである。これらはそれぞれ有名イラストレーターの描いた初音ミクイラストを立体化してフィギュア製品化されたものであるが、各々の外観的特徴において興味深い偏差が確認されるのである。当然ながら、全ての記号的特徴において完全に一対一対応的な同等性が厳密に保たれていなければ、人格の同一性が認定され得ない訳ではない。人間知性の判断基準そのものが曖昧性にその機能的特質の重要点を負っていることを暴き出すように、立体造形作品においてはいくつかの記号的要素の改変や省略が同一キャラクターのヴァリエーションとして提示されるところにおいて、創作の工夫と人格表現に関するコンセプトのプレゼンテーションの主張がなされることとなる。




00:07:23 | antifantasy2 | | TrackBacks
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