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05 September

木内ギャラリー フリーフォーラム 主題 9月8日(土)

アニメ『Madlax』論における意識と直観


多義性あるいは背反的特性は、無意識の領域にある重要な属質である。原型における超越的“真実”は、現象世界において具現化した際には、しばしば対照的な様相の裡にその本質をあらわすものらしい。ユングの思想を継承し、ロサンジェルスのユング研究所で彼の開拓した哲学的発想を発展させることに寄与したマリ=ルイーズ・フォン・フランツ(Marie=Louise von Frantz)によれば、無意識の裡から実体化して現れ出る“影”は、しばしば意識の主体に対して敵対的な悪魔的相貌を備えた姿をとることもあれば、反転的に友好的で啓示的な恩寵をもたらすような印象で現れる場合もあるという。クザーヌスの看取した“正反対の一致”(coincidentia oppositorum)の原理や老荘哲学の教説にも同等の反転原理が示されている。
 ユングによる原型概念の発見以前における、直覚における原型世界の多義性を顕著に反映する実在認識としては、ヴィクトリア朝の詩人ロバート・ブラウニングの超絶主義(transcendentalism)的な、現象世界的倫理観を超えた“真理”観を指摘することができるだろう。ブラウニングは詩集「男と女」( “Men and Women”)等において、永遠相における究極的真実の現象世界における背反的な現れとして、罪の中の幸福と凄惨の中の美を繰り返し様々の状況の許で描き出すことを試みている。“直観”(intuition)は、時代と空間を超えて様々な様相の許に始源的な原型的イメージを想念の中に浮かび上がらせるものであるらしい。これらは可能世界の中の本来因果関係を持たない個別の事象の間の対比を焙り出す効果として、仮構がその存在を仮定する“鑑賞者”の視点が決定的な機能を果たしていることを示す興味深い例である。“仮構性”という可能世界記述の選択に基づく意味軸の加算は、重ね合わせ状態にある諸可能世界間の潜勢的パースペクティブを示唆するのである。意識は、現実世界の現象生成に決定的な役割を果たすのみならず、思弁と仮構を通じて潜勢態としてある諸可能世界をも観照することができるのである。


原意識と分裂の目的論的メカニズム

 ナハルがマドラックスに与えた言葉は、おそらく彼等の信仰における教義をなす根本理念なのであろう。4大文明に属さない、全く異なる文化圏の影響を継承するとのみ語られているだけで、その詳細を全く明らかにされていないのが、彼等の従う教えの信条である。我々の知る限りの宗教思想や科学的知識を当て嵌めて、ナハルとクワンジッタの信じる世界観を推し量る必要があるだろう。このアニメは敢えて特定の思想や宗教との関連を語ることを避けているが、現在の我々の知識に最も近い解式は、ユング心理学あるいはポスト量子力学(post quantum mechanics)の発想から得られるものである。量子力学によって得られた科学的知見と錬金術等の古代思想から継承された魔術的理念の重合部分に、全体性の宇宙構造における事象発現に関与する“意識”(consciousness)と“直観”(intuition)の意味性の再理解を図る試行としてそれは行われている。これに従えば、意識の主体の確信が意味を生成し、意味あるものとして存在や現象や人格/神格がその心霊的本質を確定するのである。そして世界は意識の主体にとって意味あるものとして、その全体像を構築し続けていくことになる。それは反転的に、宇宙が本質的に備える生成発展の目的因として記述することが可能なものである。
 例えばルネサンスの神秘思想家マルシリオ・フィツィーノは、始源的な“知”の自律的な自己観照の過程として宇宙の進化を捉えようと試みたが、この発想は現代宇宙論の主流となっているビッグ・バン理論と、そこに関連する様々の物理的・形而上的問題点に対する回答に見事に合致するものとなっている。ジェイムズ・ベイクラーは意識の自律進化という表現を用いて宇宙の生成発展のメカニズムを純物理学的に捉えたが、“観照”の要請における“知”の自らの分裂における“他者化”とその把握における“同一化”という形而上的原理を思弁したのが、ルネサンスの思想家パトリツィであった。パトリツィの構想した意識の自律進化における分裂と再統合の機構については、既に筆者のアニメ『Ergo Proxy』を対象にした研究論文「科学とSFと哲学的省察:『エルゴ・プラクシー』における神と人と“自分”」において、アニメ作品における神と人の位相の遷移を支配する心霊的力学という主題上に展開した考察がなされている。
 このような宇宙観は、古代ギリシアの哲学者パルメニデスが構想した、“一者からの流出”という絶対的存在を想定する宗教的な創世モデルに基づいた宇宙の創出と展開の描像にも合致している。また19世紀アメリカの異端の思想家エドガー・アラン・ポーは、哲学詩『ユリイカ』において時間と空間、精神と物質の全てを包摂した統合論理として引力と斥力の作用を取り上げ、万物の拡散と凝集という現象のそれぞれを統括的に視野にいれて時間の果ての宇宙像を語ることを試みていたが、これは興味深いことにビッグ・バンとビッグ・クランチの可能性の双方を予見するものであった。ビッグ・バン宇宙論の構想に典型的に代表されるように、観測や実験を通して現代科学が解明してきた科学法則を土台にして量子力学の発見がようやく瞥見するに至った宇宙の実相を、古代の哲学者達が科学的知識の集積を経ることなく本質的な理解を得ていたように思われる不可思議な事実が、全一的な宇宙における時空と精神の非局所的な相互作用としてもたらされる“直観”として“物理学的”に了解され得ることが、ポスト量子力学の示唆する“汎心霊主義”(panpsychism)の主張の帰結である。これらの様々な思想家達のヴィジョンに従って、創世の初動因となる原意識(fundamental awareness)を仮定することにより、クオリアの生成に関するハード・プロブレムの問題や自由意志による思弁の能力等、様々の哲学的難題をも解決する糸口が、物理学の方法論の延長戦上に見出されようとしているのである。
 パトリツィの直観による主張に従えば、宇宙に生起する事象の各々も、様々な意識体のそれぞれが知覚から得るクオリアも、個人の中の妄想や情動も含める全てが“浩然たる意識”の目的因とする自己観照のかけがえの無い過程である。高度な個々の意識体が構築する擬似的な体験あるいは派生的世界像である仮構も、その自己観照の過程としての意義性においてはこれらに劣るところはない。さらに仮構は様々に現象世界との間に相互作用を及ぼし、“意識”の経験としての立体性を深めていく機能を発揮するのである。これらの意識の時間的・空間的・位相的根底にある始動因は、“原意識”(Fundamental Awareness)という言葉を用いてしばしば論議されることになっている。
「原意識:科学と哲学と形而上学を統合する機構」(Fundamental Awareness: A framework for integrating science, philosophy and metaphysics)において提唱されている、ニール・D・タイセ(Neil D. Theise)の宇宙の創世の源として構想された本体論的概念としての“原意識”(Fundamental Awareness)は、ロマン主義の哲学者サミュエル・テイラー・コールリッジが科学と哲学の統合を企図したように、あるいは仮構と現実の統合を企図したロマン主義思想の継承者であった宮澤賢治が詩と科学と宗教の統合を目指したのと同様に、意識の本質を考察する術となる科学と哲学と形而上学の3つの領域の見解のそれぞれに対する把握と、さらにこれらの統合を可能にするものである。タイセによれば“原意識”であり“存在”でもあるものは、なにかによって形作られたものでもなくまたなにかに分かたれるものでもなく、現象世界の基底にある一つのものである。そのような何ものかとして宇宙は“非実質的”であり、あらゆる界面において自律的であり、“相補性の統合体”(a holarchy of complementary)としての一定の過程に従う、反復的な相互作用なのである。“観測者”としての意識の実体をこのように理解すれば、“クオリアのハード・プロブレム”はもはや問題としての考慮の必要を持たないこととなる。


『Madlax』論より抜粋
Dislocation of Genre Concepts in Madlax

https://www.academia.edu/36134761/Dislocation_of_Genre_Concepts_in_Madlax_Fictional_Perspectives_and_Hyper_Natural_Directing_Method_2



これらはこれまでに和洋女子大学で開催された「公開講座」、「シニアフォーラム」の主題の応用編となります。また、同日並行して開催される人形作家石原里恵さんのドール制作講座とは、仮構的存在の創造と人格性の認知という精神機能の発揮に対する形而上的考察として、裏で繋がっています。それぞれの講演者との質疑応答を通して、柔軟に宇宙と意識の関連を語り合っていきましょう。

10:14:52 | antifantasy2 | | TrackBacks
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