Complete text -- "大学講義の問題点ー愚民教育の圧力とその対処 2"

13 August

大学講義の問題点ー愚民教育の圧力とその対処 2

本質的問題点
 愚民教育の弊害は現在大変深刻なものとなっていますが、直接の原因である政府や役人の不実を糾弾しても実際に得るものはあまり無いので、むしろ根幹的な問題点の指摘を図りたいと思います。
 
知覚情報の延長(extension)と内包(connotation)
 自分自身と周囲の環境についての情報を瞬時に把握するためには、生起しつつある現象の時間的・空間的因果関係を読み取る範囲を限定する必要がある。連関する情報を制限無く辿り続けていくと、情報処理を完結させることができなくなるからである。
 人間知性は無意識のうちにこの峻別作用を行い続けている。知覚として存在/現象の内実を判断する際、実は人間知性は過去の経験の総体から得られる“類比”(アナロジー)として“現状”に意味を与え、認識の対象を判断可能な特有の形式に変換している。全ての経験がデジャビュ(既視感)あるいはその修正として認識の対象となっているのである。
 このような“単純化”あるいは類比の機能を初期条件として与えられていないAIのような情報解析装置は、現象を形成する諸要素の延長と内包を限りなく分析し続け、判断基準となるべき暫定的意味を構築する術を獲得することができないだろう。
 “意味”は現在の“自分”を確定するために存在し、さらに“自分”としての存在の宇宙全てとの関係を、理解可能な経験情報として変換することによって生まれるのである。意識は生きてきた過程の連続性における意味の進展として、宇宙の全ての集約的反映を通じて“現在”を形成し、存在と現象の全てに意味を賦与する。
 しかし“教育”により知覚と主体的意味を剥奪された“客観的意味”として策定された記号のような“擬似的意味”は、世界と意識の主体の間にある有機的意味の連繋を断絶し、世界から自分を切り離すことになる。
 “正解”として策定された意味が予め定められたものとしてあり、その内実を体験として実感することなく反射的に記号等を選択することによって答えることを要求する受験教育は、意識を体験から切り離して知覚に本来付随する筈の味わいや風味を無化することによって、精神を枯渇させているのである。
 この典型的な例が、“消去法”による解法である。主体的な意味を構築する体験を経ることなく、定められた“正解”を内実の把握を得ることなく推測することが当然の手段として認められているからである。
 キリスト教神話の中でサタンがイブに与えたとされる“知恵の実”は、人が獲得したこのような膠着した思考のことであったと解釈してよいのかもしれない。アダムとイヴが楽園から追放されたと語っても自ら楽園を手放したと語っても、本質は実は同じことである。
 動作の主体と客体を分別する理念にとらわれないmonismの発想に従って存在と現象の全てを把握し直すならば、意味はもともとありもしなかったし、同時にいつでもずっと有り続けているのである。
 2018年に和洋女子大学で開催された「シニアフォーラム」のテキストでした。

「知覚情報の延長(extension)と内包(connotation)」
https://www.academia.edu/36797813/Meaning_Experience_and_Monism_docx
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