Archive for 29 November 2004

29 November

The Last Unicorn 『最後のユニコーン』読解メモ 60


"She can't turn cream into butter, but she can give a lion the semblance of a manticore to eyes that want to see a manticore there--eyes that would take a real manticore for a lion, a dragon for a lizard, and the Midgard Serpent for an earthquake. And a unicorn for a white mare."

 「あの魔女はクリームをバターに変える力さえ持ってはいません。あいつにできることはマンチコアの姿をそこに見たがっているものたちの目に、ライオンがマンチコアの姿に見えるようにしてやることだけです。そんな連中は本物のマンチコアを見てライオンだと思い、ドラゴンがとかげにしか見えず、ミッドガルト・サーペントの存在を地震としか理解できないのです。だからユニコーンを見ても只の白い雌馬だと思うのです。」

 「安直で愚かな幻想にのみ心を奪われ、真実の存在(伝説の怪物)を見ても日常的な陳腐な生き物としてしか受け取らない。」俗悪主義とニヒリズムをロマン主義の観点から総括するとこういうことになる。反省の無い現実主義と科学的客観主義の限界を内省的な精神的主観主義から批判した場合の典型的図式である。ファンタシーとは現代人が忘れ去ろうとしている幼児的あるいは原初的主観主義に対する時に意識的、時に無意識的な再評価の試みとして考えることができる。魔法使いはここでは、「他の連中とは違って、自分にはあなたがユニコーンだと分かる。」と言おうとしている。

用語メモ
 地震(earthquake):魔法使いはここで人々が「地震」と呼ぶものの正体を「ミッドガルト・サーペント」であるとしている。現象的な発現様態の背後に、常に本質的なより深い意義性を持った存在様態が潜んでいるとする思想によれば、このような理解が可能となる。自然現象の各々が神の名で呼ばれ、人間の心中に浮かんだ感情や思いもまた、それぞれが神の名で呼ばれたことがかつてあった。ギリシア神話の神々や、近代の知識人達によって自然の構成要素として考えられた精霊達は、このような思考の産物なのである。そこでは世界全体と人間存在の双方とのより緊密な関係性の許で、これらの現象の意義と内実が再認識されようとしている。


和洋女子大学英文学科
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作家島田雅彦氏による講演・パフォーマンス <自由人の祈り>

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(『最後のユニコーン』注釈テキスト "Annotated Last Unicorn"、論文「『最後のユニコーン』と“漫画性”」、「『最後のユニコーン』のフック的アンチ・ヒーローと神格化された無知」、『ピーターとウェンディ』注釈テキスト "Annotated Peter and Wendy"等を公開中)

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