Archive for 11 October 2005

11 October

The Last Unicorn 『最後のユニコーン』読解メモ 376


There was no sign of him when they looked out to sea, though he was surely too vast to have swum out of sight in the short time. But whether he reached some other shore, or whether the water drew even his great bulk down at last, none of them knew until long after; and he was never seen again in that kingdom.

彼等が海の方へ目を向けた時、わずかな時間に目の届く範囲の外に行ってしまうには、レッド・ブルの躯はあまりにも大き過ぎたのですが、牡牛の姿はどこにも見当たらなかったのでした。けれども彼がどこか余所の岸辺に辿り着いたのか、あるいは海が巨大な牡牛の躯さえも終には呑み込んでしまったのか、ずっと後になるまでは、誰にも分かりませんでした。牡牛はこの王国でその姿を見せることは二度と無かったのです。

 レッド・ブルの体の大きさの不明瞭さが改めて言及されている。大きさのみならず、その属性、来歴等々、レッド・ブルの体現する曖昧性は、本作品の影の主題に対する自意識的操作と重要な関連を持つこととなっているのである。ファンタシーの思想的主題の基軸である、全体性という概念と個々の部分を関連づける特有のシステム理論を仮定した時に初めて、これらの記載の全てが整合的に理解されることとなる。

用語メモ
 曖昧性(ambiguity):“ambi-”(両方の)という接頭辞が示唆するように、単におぼろげで不確かなだけでなく、相反する選択肢の双方の採用や、矛盾する複数の可能性の重ね合わせからもたらされる多義性が、この語の暗示する宇宙の裏の界面の豊穣性なのであった。二者択一的消去論理の招いた不毛な限界性に対する反省が、行列的記述による多義的曖昧性の主張をもたらしているのである。


お願い
 “『最後のユニコーン』読解メモ”は、この後の第14章をもって終了となります。
 これまで解説されていた部分についての疑問、あるいは言及されていなかった箇所についての質問等がありましたら、どうかお知らせ下さい。総集編で補完したいと思います。その他リクエスト等ありましたらご遠慮なくお寄せ下さい。


メインページurl http://www.linkclub.or.jp/~mac-kuro/

論文、アンチ・ファンタシーというファンタシー(14)“意味消失による意味性賦与の試み──『最後のユニコーン』における矛盾撞着と曖昧性”を新規公開中


作品研究サンプル
▼『不思議の国のアリス』とファンタシーの世界
・映画“ラビリンス”とアリス
・映画“ドリーム・チャイルド”とアリス




大学祭英文学科公開授業のお知らせ

英文学科学園祭公開授業
The Last Unicorn『最後のユニコーン』の世界
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 11月5日(土)、11月6日(日)の両日開催
 午後1時より3時まで

 アニメーション映画を上映しながら、テーマの解説を行います。


 The Last Unicorn―映画化の最新情報

 1982年のアニメーション版は日本では未公開だが、欧米では熱狂的ファンも多い。“アメリカ”の主題歌が今また話題になっている。
 2005年公開予定で製作進行中の実写版は、今世界中のホームページで注目を浴びている。


 11月5日、土曜日の内容
 1 ユニコーンとは―伝説に語り伝えられたユニコーン
 A ローマの博物学者プリニウスの「博物誌」の記述

Pliny describes the unicorn as being very ferocious, similar in the rest of its body to a horse, with the head of a deer, the feet of an elephant, the tail of a bear; a deep, bellowing voice, and a single black horn, two cubits in length
 プリニウスによれば、ユニコーンはとても獰猛で、身体そのものは馬と同様だが、頭は鹿のようで、足は象のようで、尾は熊のようで、唸る声はとても重々しく、2キュービットの長さの黒い角を持っているということだ。

 ユニコーンとは様々の動物の組み合わせ、“キメラ”(chimera)にも似た存在であった。

 B タペストリーに描かれたユニコーン

 クリュニー美術館所蔵のタペストリー―“貴婦人とユニコーン”
 メトロポリタン美術館所蔵のタペストリー“クロイスターズ・ユニコーン”
 タペストリーの中に描かれたユニコーンとは、中世的“アレゴリー”の寓諭的意味を背負っているものであった。

 C 聖書の記述―申命記とヨブ記に記載のある“reem”と呼ばれる動物

 ユニコーンと彼女の宿敵である牡牛との関係

 蝶の言葉

His firstling bull has majesty, and his horns are the horns of a wild ox. With them he shall push the peoples, all of them, to the ends of the earth.
--
You can find your people if you are brave. They passed down all the roads long ago, and the Red Bull ran close behind them and covered their footprints.


 11月6日、日曜日の内容
 『最後のユニコーン』のユニコーンは、従来の言い伝えとは全く異なる存在属性を与えられている。
 ユニコーンを語る独特の描写と比喩の用法

A
She was very old, though she did not know it, and she was no longer the careless color of sea foam, but rather the color of snow falling on a moonlit night.
彼女は、自分では知らなかったけれど、とても年とっていた。そして彼女はもう海の泡のような無邪気な白い色ではなく、月の照らす晩に降る雪のような白い色をしていた。

B
But her eyes were still clear and unwearied, and she still moved like a shadow on the sea.
けれどもユニコーンの目はまだ透き通っていて疲れを知らず、彼女は 海の上の影のように身体を運びました。

C
She did not look anything like a horned horse, as unicorns are often pictured, being smaller and cloven-hoofed, and possessing that oldest, wildest grace that horses have never had, that deer have only in a shy, thin imitation and goats in dancing mockery.
彼女はユニコーンがしばしば絵に描かれていたように、角のついた馬のような姿はしていなかった。体は馬よりも小さく、蹄は二つに割れていて、馬が決して所有したことのない、そして鹿はただ薄っぺらなおずおずとした物真似でしか所有したことがなく、そして山羊はおどけて踊るような形でしか持っていない“オールド”で“ワイルド”な優美さを備えていた。


アンチファンタシー研究プロジェクト

 書籍として出版された研究書・注釈書とインターネットで一般に公開中のテキスト、研究資料が連動している


『ピーターとウェンディ』と『最後のユニコーン』について考察した研究書:

 『アンチ・ファンタシーというファンタシー』

 “アンチ・ファンタシー”というキーワードからファンタシーの本質に迫る

キーワード別に主題を解説した注釈テキスト:

 Annotated Last Unicorn

 様々の文学作品や流行歌からの引用を解説
 テーマを解析するためのキーワード、“old”、“time”、“magic”など




インターネットで公開中の様々な関連データ
 ホームページ “Fantasy as Antifantasy”
 http://www.linkclub.or.jp/~mac-kuro/

 ブログ “Fantasy as Antifantasy Daily Lecture”
 ―The Last Unicorn 『最後のユニコーン』読解メモ
 http://antifantasy2.blog01.linkclub.jp/

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