Archive for 02 October 2005

02 October

The Last Unicorn 『最後のユニコーン』読解メモ 367


The hugest waves broke no higher than his hocks, and the timid tide ran away from him. But when at last he let himself sink onto the flood, then a great surge of the sea stood up behind him: a green and black swell, as deep and smooth and hard as the wind. It gathered in silence, folding from one horizon to the other, until for a moment it actually hid the Red Bull's humped shoulders and sloping back.

もっとも大きな波でさえも、牡牛の膝のあたりの高さで砕け散っていました。そして潮流は怯えて牡牛の体を避けているのでした。けれどもようやく牡牛が海の中にその体を沈めると、巨大な波が黒と緑の山となって、風のように深く滑らかにそして激しく、牡牛の背後に沸き立ちました。そして巨大な波は静かに合わさって一方の水平線ともう一方の水平線をたたみ込み、一瞬の間牡牛の盛り上がった肩と傾斜した背中を呑み込んだのです。

 ユニコーンに追い立てられた牡牛がその身体を海に没するこの場面でもやはり、レッド・ブルの巨大さが、現象世界的具体性を持たない、夢の中の出来事のように主観的イメージのみの存在であることを暗示するものとして再び言及されている。そしてまた、ユニコーンと牡牛の対決という物語の大団円を形成する筈の象徴的行為さえもが、それが果たして戦いであったのか、その結果があるいは一方の勝利であったのか、あるいはそれ以外の別の言葉で語り得る何者かであったのかさえ、飽くまでも定かなものとなされることは結局あり得ないのである。

用語メモ
 flood:詩語で“海”、あるいは“水”を表す言葉である。海のことを別名“the deep”と呼んだりもする。


お願い
“『最後のユニコーン』読解メモ”はこの後の第14章をもって終了となります。
これまで解説されていた部分についての疑問、言及されていなかった箇所についての質問等がありましたら、お知らせ下さい。総集編で補完したいと思います。その他リクエスト等ありましたらご遠慮なくお寄せ下さい。



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論文、アンチ・ファンタシーというファンタシー(14)“意味消失による意味性賦与の試み──『最後のユニコーン』における矛盾撞着と曖昧性”を新規公開中


作品研究サンプル
▼『不思議の国のアリス』とファンタシーの世界
・映画“ラビリンス”とアリス
・映画“ドリーム・チャイルド”とアリス



大学祭英文学科公開授業のお知らせ

The Last Unicorn 『最後のユニコーン』の世界

11月5日(土)、11月6日(日)の両日開催

The Last Unicornー映画化の最新情報

 1982年のアニメーション版は日本では未公開だが、欧米では熱狂的ファンも多い。“アメリカ”の主題歌が今また話題になっている。
 2005年公開予定で製作進行中の実写版は、今世界中のホームページで注目を浴びている。

1 ユニコーンとは

伝説に語り伝えられたユニコーン:プリニウスの「博物誌」の記述

Pliny describes the unicorn as being very ferocious, similar in the rest of its body to a horse, with the head of a deer, the feet of an elephant, the tail of a bear; a deep, bellowing voice, and a single black horn, two cubits in length

プリニウスによれば、ユニコーンはとても獰猛で、身体そのものは馬と同様だが、頭は鹿のようで、足は象のようで、尾は熊のようで、唸る声はとても重々しく、2キュービットの長さの黒い角を持っているということだ。

伝説上のユニコーンとは様々の動物の組み合わせ、“キメラ”(chimera)にも似た存在であった。

 クリュニー美術館所蔵のタペストリー:「貴婦人とユニコーン」
 中世的“アレゴリー”の世界の中のユニコーン像

2 『最後のユニコーン』のユニコーンは、これらとは全く異なる存在属性を与えられている。

ユニコーンを語る独特の描写と比喩の用法
She was very old, though she did not know it, and she was no longer the careless color of sea foam, but rather the color of snow falling on a moonlit night.

彼女は、自分では知らなかったけれど、とても年とっていた。そして彼女はもう海の泡のような無邪気な白い色ではなく、月の照らす晩に降る雪のような白い色をしていた。


But her eyes were still clear and unwearied, and she still moved like a shadow on the sea.

けれどもユニコーンの目はまだ透き通っていて疲れを知らず、彼女は
海の上の影のように身体を運びました。

She did not look anything like a horned horse, as unicorns are often pictured, being smaller and cloven-hoofed, and possessing that oldest, wildest grace that horses have never had, that deer have only in a shy, thin imitation and goats in dancing mockery.

彼女はユニコーンがしばしば絵に描かれていたように、角のついた馬のような姿はしていなかった。体は馬よりも小さく、蹄は二つに割れていて、馬が決して所有したことのない、そして鹿はただ薄っぺらなおずおずとした物真似でしか所有したことがなく、そして山羊はおどけて踊るような形でしか持っていない“オールド”で“ワイルド”な優美さを備えていた。








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