Archive for 04 October 2005

04 October

The Last Unicorn 『最後のユニコーン』読解メモ 369


The unicorns would surely have run her down, as the Red Bull had trampled Prince Lir, for they were mad with freedom. But Schmendrick spoke, and they streamed to the right and left of Molly and Lir and himself--some even springing over them--as the sea shatters on a rock and then comes whirling together again. All around Molly there flowed and flowered a light as impossible as snow set afire, while thousands of cloven hoofs sang by like cymbals.

解放されて狂乱したユニコーン達は、リア王子を踏み倒したレッド・ブルのように、モリーをも打ち倒してしまったことでしょう。けれどもシュメンドリックが声をあげると、ユニコーン達は波が岩の上で砕けて、また沸き立ちながら一つに合わさるように、左右に分かれてモリーとリア王子とシュメンドリックを避けていきました。彼等の真上を跳び越えていったもの達もありました。モリーの身の周り一面に、燃え盛った雪のようにあり得ない光の帯が吹きこぼれ、花開いていました。幾千もの二つに分かれた蹄がシンバルのように耳許で轟いていました。

 解放されて自由の身となり、再び世界に満ちあふれようとするユニコーン達の姿が、やはり海の波と白泡のイメージでもって見事に描写されている。主体と客体、現象と実在、視覚と聴覚の及ぼす効果と印象を転倒させ、これらの位相を混淆して錯綜の渦の中で描くことを試みようとする、ポー的な反転的記述原理に従った詩学的修辞法を最大限に活用しながら、永遠なるものたちの現象的実体性の欠如を通して、見事に極限の美と歓喜が描かれている場面である。

用語メモ
 flowed and flowered:キーワード“poetic phrases”と関連する箇所である。“flow”と“flower”は駄洒落のような言葉の遊びとなっているが、“流れて、花開いた”と美しい音楽的なフレーズを形成している。


お願い
 “『最後のユニコーン』読解メモ”は、この後の第14章をもって終了となります。
 これまで解説されていた部分についての疑問、あるいは言及されていなかった箇所についての質問等がありましたら、どうかお知らせ下さい。総集編で補完したいと思います。その他リクエスト等ありましたらご遠慮なくお寄せ下さい。


メインページurl http://www.linkclub.or.jp/~mac-kuro/

論文、アンチ・ファンタシーというファンタシー(14)“意味消失による意味性賦与の試み──『最後のユニコーン』における矛盾撞着と曖昧性”を新規公開中


作品研究サンプル
▼『不思議の国のアリス』とファンタシーの世界
・映画“ラビリンス”とアリス
・映画“ドリーム・チャイルド”とアリス



大学祭英文学科公開授業のお知らせ

The Last Unicorn 『最後のユニコーン』の世界

11月5日(土)、11月6日(日)の両日開催

The Last Unicornー映画化の最新情報

 1982年のアニメーション版は日本では未公開だが、欧米では熱狂的ファンも多い。“アメリカ”の主題歌が今また話題になっている。
 2005年公開予定で製作進行中の実写版は、今世界中のホームページで注目を浴びている。

1 ユニコーンとは

伝説に語り伝えられたユニコーン:プリニウスの「博物誌」の記述

Pliny describes the unicorn as being very ferocious, similar in the rest of its body to a horse, with the head of a deer, the feet of an elephant, the tail of a bear; a deep, bellowing voice, and a single black horn, two cubits in length

プリニウスによれば、ユニコーンはとても獰猛で、身体そのものは馬と同様だが、頭は鹿のようで、足は象のようで、尾は熊のようで、唸る声はとても重々しく、2キュービットの長さの黒い角を持っているということだ。

伝説上のユニコーンとは様々の動物の組み合わせ、“キメラ”(chimera)にも似た存在であった。

 クリュニー美術館所蔵のタペストリー:「貴婦人とユニコーン」
 中世的“アレゴリー”の世界の中のユニコーン像

2 『最後のユニコーン』のユニコーンは、これらとは全く異なる存在属性を与えられている。

ユニコーンを語る独特の描写と比喩の用法
She was very old, though she did not know it, and she was no longer the careless color of sea foam, but rather the color of snow falling on a moonlit night.

彼女は、自分では知らなかったけれど、とても年とっていた。そして彼女はもう海の泡のような無邪気な白い色ではなく、月の照らす晩に降る雪のような白い色をしていた。


But her eyes were still clear and unwearied, and she still moved like a shadow on the sea.

けれどもユニコーンの目はまだ透き通っていて疲れを知らず、彼女は
海の上の影のように身体を運びました。


She did not look anything like a horned horse, as unicorns are often pictured, being smaller and cloven-hoofed, and possessing that oldest, wildest grace that horses have never had, that deer have only in a shy, thin imitation and goats in dancing mockery.

彼女はユニコーンがしばしば絵に描かれていたように、角のついた馬のような姿はしていなかった。体は馬よりも小さく、蹄は二つに割れていて、馬が決して所有したことのない、そして鹿はただ薄っぺらなおずおずとした物真似でしか所有したことがなく、そして山羊はおどけて踊るような形でしか持っていない“オールド”で“ワイルド”な優美さを備えていた。


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