Archive for 01 November 2005

01 November

The Last Unicorn 『最後のユニコーン』読解メモ 397


"Ungrateful son, will you desert your father in the hour of his distress, when a word from your pet wizard would have set everything right again? Despise me if you will, but I have played my part in putting you where you are, and you dare not deny it? Villainy has its rights too."

「恩知らずな息子よ。あなたは苦難にある父を、お付きの魔法使いの一言で何もかも元通りにすることができるというのに、見捨てて行こうと言うのか。この私を軽蔑するなら、するがよい。けれども私もまた、今のあなたを成り立たせるために一役かっていたのだよ。それを拒絶することは、できはしまい。悪漢にも悪漢なりの権利というものがあるのだ。」

 自らがいかに低劣であさましい悪漢に過ぎないかをよく承知していながら、世界を構築する上でのその存在意義らしきものを主張しようとするドリンである。フクションの中の悪漢が自らを悪漢であると認識している構図は、典型的なメタフィクションとなっている。確かに、悪漢なくしてロマンスは成立しない。作中のそれぞれの存在が、しっかりとした意味を持った関係の許に配置され、各々の役割分担が明確に定められている仮構世界の中では、主役と並んで必要不可欠なのが悪漢である。しかしドリンは実は、端役の一人の小悪党に過ぎないのである。この物語の典型的悪漢がハガード王であることに間違いはない。ドリンに悪漢としての存在意義を与える極性決定要素は、もう一つ別の対称軸を設定することによって得られることになるのだろう。

用語メモ
 悪漢(villain):主人公であるHeroの対立軸として機能する悪役が“villain”である。その所行が“villainy”と呼ばれる。別種の仮構世界における図式の上では、時に正義の味方である探偵や、恩寵を与える神がこの役割を果たすこともまたある。


お願い
 “『最後のユニコーン』読解メモ”は、この後の第14章をもって終了となります。
 これまで解説されていた部分についての疑問、あるいは言及されていなかった箇所についての質問等がありましたら、どうかお知らせ下さい。総集編で補完したいと思います。その他リクエスト等ありましたらご遠慮なくお寄せ下さい。


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論文、“アンチ・ファンタシーというファンタシー2:ファンタシーにおける非在性のレトリック─『最後のユニコーン』のあり得ない比喩と想像不能の情景”を新規公開中


大学祭英文学科公開授業のお知らせ

英文学科学園祭公開授業
The Last Unicorn『最後のユニコーン』の世界
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 11月5日(土)、11月6日(日)の両日開催
 午後1時より3時まで

 東館11階 演習室3 にて

 アニメーション映画を上映しながら、テーマの解説を行います。


 The Last Unicorn―映画化の最新情報

 1982年のアニメーション版は日本では未公開だが、欧米では熱狂的ファンも多い。“アメリカ”の主題歌が今また話題になっている。
 2005年公開予定で製作進行中の実写版は、今世界中のホームページで注目を浴びている。


 11月5日、土曜日の内容
 1 ユニコーンとは―伝説に語り伝えられたユニコーン
 A ローマの博物学者プリニウスの「博物誌」の記述

Pliny describes the unicorn as being very ferocious, similar in the rest of its body to a horse, with the head of a deer, the feet of an elephant, the tail of a bear; a deep, bellowing voice, and a single black horn, two cubits in length
 プリニウスによれば、ユニコーンはとても獰猛で、身体そのものは馬と同様だが、頭は鹿のようで、足は象のようで、尾は熊のようで、唸る声はとても重々しく、2キュービットの長さの黒い角を持っているということだ。

 ユニコーンとは様々の動物の組み合わせ、“キメラ”(chimera)にも似た存在であった。

 B タペストリーに描かれたユニコーン

 クリュニー美術館所蔵のタペストリー―“貴婦人とユニコーン”
 メトロポリタン美術館所蔵のタペストリー“クロイスターズ・ユニコーン”
 タペストリーの中に描かれたユニコーンとは、中世的“アレゴリー”の寓諭的意味を背負っているものであった。

 C 聖書の記述―申命記とヨブ記に記載のある“reem”と呼ばれる動物

 ユニコーンと彼女の宿敵である牡牛との関係

 蝶の言葉

His firstling bull has majesty, and his horns are the horns of a wild ox. With them he shall push the peoples, all of them, to the ends of the earth.
--
You can find your people if you are brave. They passed down all the roads long ago, and the Red Bull ran close behind them and covered their footprints.


 11月6日、日曜日の内容
 『最後のユニコーン』のユニコーンは、従来の言い伝えとは全く異なる存在属性を与えられている。
 ユニコーンを語る独特の描写と比喩の用法

A
She was very old, though she did not know it, and she was no longer the careless color of sea foam, but rather the color of snow falling on a moonlit night.
彼女は、自分では知らなかったけれど、とても年とっていた。そして彼女はもう海の泡のような無邪気な白い色ではなく、月の照らす晩に降る雪のような白い色をしていた。

B
But her eyes were still clear and unwearied, and she still moved like a shadow on the sea.
けれどもユニコーンの目はまだ透き通っていて疲れを知らず、彼女は 海の上の影のように身体を運びました。

C
She did not look anything like a horned horse, as unicorns are often pictured, being smaller and cloven-hoofed, and possessing that oldest, wildest grace that horses have never had, that deer have only in a shy, thin imitation and goats in dancing mockery.
彼女はユニコーンがしばしば絵に描かれていたように、角のついた馬のような姿はしていなかった。体は馬よりも小さく、蹄は二つに割れていて、馬が決して所有したことのない、そして鹿はただ薄っぺらなおずおずとした物真似でしか所有したことがなく、そして山羊はおどけて踊るような形でしか持っていない“オールド”で“ワイルド”な優美さを備えていた。


アンチファンタシー研究プロジェクト

 書籍として出版された研究書・注釈書とインターネットで一般に公開中のテキスト、研究資料が連動している


『ピーターとウェンディ』と『最後のユニコーン』について考察した研究書:

 『アンチ・ファンタシーというファンタシー』

 “アンチ・ファンタシー”というキーワードからファンタシーの本質に迫る

キーワード別に主題を解説した注釈テキスト:

 Annotated Last Unicorn

 様々の文学作品や流行歌からの引用を解説
 テーマを解析するためのキーワード、“old”、“time”、“magic”など




インターネットで公開中の様々な関連データ
 ホームページ “Fantasy as Antifantasy”
 http://www.linkclub.or.jp/~mac-kuro/

 ブログ “Fantasy as Antifantasy Daily Lecture”
 ―The Last Unicorn 『最後のユニコーン』読解メモ
 http://antifantasy2.blog01.linkclub.jp/



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