Archive for 27 September 2005

27 September

The Last Unicorn 『最後のユニコーン』読解メモ 362


Again she charged, and again the Bull gave ground, heavy with perplexity but still quick as a fish. His own horns were the color and likeness of lightning, and the slightest swing of his head made her stagger; but he retreated and retreated, backing steadily down the beach, as she had done. She lunged after him, driving to kill, but she could not reach him. She might have been stabbing at a shadow, or at a memory.

もう一度ユニコーンは襲いかかりました。そしてまた、レッド・ブルは困惑したように重た気に、けれども魚のように彼女に素早く道を譲ったのです。牡牛の角は稲光りのような色と形をしていました。ほんのわずかでも牡牛がその頭を振ったなら、ユニコーンをたじろがせることができたでしょう。けれどもレッド・ブルは後ずさりを続け、先程ユニコーンがそうしたように、渚の方へと降りていったのでした。ユニコーンはとどめを刺そうと突きかかりました。けれども彼女の角は牡牛には届きませんでした。彼女が角を突き立てようとしていたその相手は、影であったのか、あるいは記憶であったのかもしれません。

 レッド・ブルの実体性の無さが再び言及されている。文字通り、この怪物の正体は影であり、心の中に潜む悪夢にほかならないものだろう。この新機軸の神話的存在は、ユニコーンというこの物語の主役と、ハガード王という裏のヒーローのそれぞれの存在性向を補完すべき、観念的要素として記述が摘要されている。

用語メモ
 She might have been stabbing at a shadow, or at a memory.:シュメンドリックが町の人々を前にユニコーンについて語っていた言葉、“She is a myth, a memory, a will-o'-the-wish. Wail-o'-the-wisp.”(『最後のユニコーン』Daily Lecture 110)と見事な対照をなす、レッド・ブルに関する描写である。


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論文、アンチ・ファンタシーというファンタシー(14)“意味消失による意味性賦与の試み──『最後のユニコーン』における矛盾撞着と曖昧性”を新規公開中


作品研究サンプル
▼『不思議の国のアリス』とファンタシーの世界
・映画“ラビリンス”とアリス
・映画“ドリーム・チャイルド”とアリス



大学祭英文学科公開授業のお知らせ

The Last Unicorn 『最後のユニコーン』の世界

11月5日(土)、11月6日(日)の両日開催

The Last Unicornー映画化の最新情報

 1982年のアニメーション版は日本では未公開だが、欧米では熱狂的ファンも多い。“アメリカ”の主題歌が今また話題になっている。
 2005年公開予定で製作進行中の実写版は、今世界中のホームページで注目を浴びている。

1 ユニコーンとは

伝説に語り伝えられたユニコーン:プリニウスの「博物誌」の記述

Pliny describes the unicorn as being very ferocious, similar in the rest of its body to a horse, with the head of a deer, the feet of an elephant, the tail of a bear; a deep, bellowing voice, and a single black horn, two cubits in length

プリニウスによれば、ユニコーンはとても獰猛で、身体そのものは馬と同様だが、頭は鹿のようで、足は象のようで、尾は熊のようで、唸る声はとても重々しく、2キュービットの長さの黒い角を持っているということだ。

伝説上のユニコーンとは様々の動物の組み合わせ、“キメラ”(chimera)にも似た存在であった。

 クリュニー美術館所蔵のタペストリー:「貴婦人とユニコーン」
 中世的“アレゴリー”の世界の中のユニコーン像

2 『最後のユニコーン』のユニコーンは、これらとは全く異なる存在属性を与えられている。

ユニコーンを語る独特の描写と比喩の用法
She was very old, though she did not know it, and she was no longer the careless color of sea foam, but rather the color of snow falling on a moonlit night.

彼女は、自分では知らなかったけれど、とても年とっていた。そして彼女はもう海の泡のような無邪気な白い色ではなく、月の照らす晩に降る雪のような白い色をしていた。


But her eyes were still clear and unwearied, and she still moved like a shadow on the sea.

けれどもユニコーンの目はまだ透き通っていて疲れを知らず、彼女は
海の上の影のように身体を運びました。

She did not look anything like a horned horse, as unicorns are often pictured, being smaller and cloven-hoofed, and possessing that oldest, wildest grace that horses have never had, that deer have only in a shy, thin imitation and goats in dancing mockery.

彼女はユニコーンがしばしば絵に描かれていたように、角のついた馬のような姿はしていなかった。体は馬よりも小さく、蹄は二つに割れていて、馬が決して所有したことのない、そして鹿はただ薄っぺらなおずおずとした物真似でしか所有したことがなく、そして山羊はおどけて踊るような形でしか持っていない“オールド”で“ワイルド”な優美さを備えていた。


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