Archive for 29 September 2005

29 September

The Last Unicorn 『最後のユニコーン』読解メモ 364


And in the whiteness, of the whiteness, flowering in the tattered water, their bodies aching with the streaked marble hollows of the waves, their manes and tails and the fragile beards of the males burning in the sunlight, their eyes as dark and jeweled as the deep sea--and the shining of the horns, the seashell shining of the horns! The horns came riding in like the rainbow masts of silver ships.

そして純白の白泡の中、裂け散るしぶきの中で花開くように、白亜のような波間で体を弓なりに反らして、陽の光を浴びてたてがみも尾も、雄はその顎髭も燃え上がるように光らせ、目だけは深い海のように宝石のように黒く、そしてその角は貝殻のような光沢で輝き、…銀の船の虹色の帆柱のようにその角の群は馳せ寄せてきました。

 解放される時を感じていよいよその姿を現そうとしているユニコーン達の、まだはっきりと目には映らぬ有り様が、海の泡立つ波の飽くまでも白い光の輝きのイメージと重ね合わせて、まばゆいばかりに印象的に語られている。そしてここでは、最後まで純粋な感覚的印象のあるがままの姿を描き出すために、記号的な指示語である“ユニコーン”という言葉は意図的に避けられ、除外されているのである。飽くまでもこの決定的な意味伝達をもたらす名辞を文中に用いる機会を遅延させようとするかのように、実際に記述されるものは海そのもの、あるいは白い輝きそのものとして変換して語られることにより、その実体性すら別物に変質を遂げようとさえしている。この場面での描写の対象物は、ユニコーンの別名である“角”という暗示的な言葉に置換して歌い上げられることになっているのである。

用語メモ:
 換喩(metonymy):記述対象の独特の属性を集約したその一部分を呼ぶことによって、本体を暗示的に示す比喩の技法の一つである。しかしながらここでは文飾としての修辞法のレベルを越えて、存在属性自体に対する認識機構の根本的転換さえも要求することになる、超越認識論的“時・空・精神連続体”把握感覚の再構築の見通し図が示されている。
 つまり現象世界において感知される事物の属性は、任意の次元の重ね合わせという形で究極の真実を物語る部分的要素としてのみ、その存在意義を主張することができるのであると考えられるので、ユニコーン達は文字通り、波立つ泡そのものであっても、あるいは淡く光る角の群であっても一向に構わないということになるのである


メインページurl http://www.linkclub.or.jp/~mac-kuro/

論文、アンチ・ファンタシーというファンタシー(14)“意味消失による意味性賦与の試み──『最後のユニコーン』における矛盾撞着と曖昧性”を新規公開中


作品研究サンプル
▼『不思議の国のアリス』とファンタシーの世界
・映画“ラビリンス”とアリス
・映画“ドリーム・チャイルド”とアリス


“『最後のユニコーン』読解メモ”はこの後の第14章をもって終了となります。
これまで解説されていた部分についての疑問、言及されていなかった箇所についての質問等がありましたら、お知らせ下さい。総集編で補完したいと思います。その他リクエスト等ご遠慮なくお寄せ下さい。


大学祭英文学科公開授業のお知らせ

The Last Unicorn 『最後のユニコーン』の世界

11月5日(土)、11月6日(日)の両日開催

The Last Unicornー映画化の最新情報

 1982年のアニメーション版は日本では未公開だが、欧米では熱狂的ファンも多い。“アメリカ”の主題歌が今また話題になっている。
 2005年公開予定で製作進行中の実写版は、今世界中のホームページで注目を浴びている。

1 ユニコーンとは

伝説に語り伝えられたユニコーン:プリニウスの「博物誌」の記述

Pliny describes the unicorn as being very ferocious, similar in the rest of its body to a horse, with the head of a deer, the feet of an elephant, the tail of a bear; a deep, bellowing voice, and a single black horn, two cubits in length

プリニウスによれば、ユニコーンはとても獰猛で、身体そのものは馬と同様だが、頭は鹿のようで、足は象のようで、尾は熊のようで、唸る声はとても重々しく、2キュービットの長さの黒い角を持っているということだ。

伝説上のユニコーンとは様々の動物の組み合わせ、“キメラ”(chimera)にも似た存在であった。

 クリュニー美術館所蔵のタペストリー:「貴婦人とユニコーン」
 中世的“アレゴリー”の世界の中のユニコーン像

2 『最後のユニコーン』のユニコーンは、これらとは全く異なる存在属性を与えられている。

ユニコーンを語る独特の描写と比喩の用法
She was very old, though she did not know it, and she was no longer the careless color of sea foam, but rather the color of snow falling on a moonlit night.

彼女は、自分では知らなかったけれど、とても年とっていた。そして彼女はもう海の泡のような無邪気な白い色ではなく、月の照らす晩に降る雪のような白い色をしていた。


But her eyes were still clear and unwearied, and she still moved like a shadow on the sea.

けれどもユニコーンの目はまだ透き通っていて疲れを知らず、彼女は
海の上の影のように身体を運びました。

She did not look anything like a horned horse, as unicorns are often pictured, being smaller and cloven-hoofed, and possessing that oldest, wildest grace that horses have never had, that deer have only in a shy, thin imitation and goats in dancing mockery.

彼女はユニコーンがしばしば絵に描かれていたように、角のついた馬のような姿はしていなかった。体は馬よりも小さく、蹄は二つに割れていて、馬が決して所有したことのない、そして鹿はただ薄っぺらなおずおずとした物真似でしか所有したことがなく、そして山羊はおどけて踊るような形でしか持っていない“オールド”で“ワイルド”な優美さを備えていた。


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