Archive for 30 September 2005

30 September

The Last Unicorn 『最後のユニコーン』読解メモ 365


But they would not come to land while the Bull was there. They rolled in the shallows, swirling together as madly as frightened fish when the nets are being hauled up; no longer with the sea, but losing it. Hundreds were borne in with each swell and hurled against the ones already struggling to keep from being shove ashore, and they in their turn struck out desperately, rearing and stumbling, stretching their long, cloudy necks far back.

けれども彼等は牡牛がそこにいる間は、決して陸に上がってこようとはしませんでした。彼等は浅瀬で波にもまれ、網が揚げられる時のおびえた魚達のように、もはや海と共にあるのではなく、海を失ってしまうかのように逃げ惑っていました。何百もの群が巨大な波が膨れ上がる度に運ばれて、岸に打ち上げられないようにとすでに抗っているもの達のかたまりにたたきつけられていました。そして岸辺に群れていたもの達も、後肢立ちになり、つまずきながら長い雲のように白い首を伸ばして、必死になって打ち返しているのでした。

 ユニコーン達の姿が、海の波の泡と同化したものとして記述されている。ユニコーンもまた、彼等に対する観念的対立物であるレッド・ブルの場合と同様に、その現象的実体性の欠如においてこそ、特有の存在属性の崇高さを最も適切に物語ることができるものかもしれない。キーワード“real”と最も深く関連する箇所である。

用語メモ
 real:究極の“真実”とは、夾雑物に満ちた現実の存在物の雑多な集合体である“reality”とは全く別個のものでなければならない。“real”な存在は主観の中のイメージとしてのみ顕現し、現象世界的即物性を持たないことがむしろその本質を主張する基幹条件となる。


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論文、アンチ・ファンタシーというファンタシー(14)“意味消失による意味性賦与の試み──『最後のユニコーン』における矛盾撞着と曖昧性”を新規公開中


作品研究サンプル
▼『不思議の国のアリス』とファンタシーの世界
・映画“ラビリンス”とアリス
・映画“ドリーム・チャイルド”とアリス


“『最後のユニコーン』読解メモ”はこの後の第14章をもって終了となります。
これまで解説されていた部分についての疑問、言及されていなかった箇所についての質問等がありましたら、お知らせ下さい。総集編で補完したいと思います。その他リクエスト等ご遠慮なくお寄せ下さい。


大学祭英文学科公開授業のお知らせ

The Last Unicorn 『最後のユニコーン』の世界

11月5日(土)、11月6日(日)の両日開催

The Last Unicornー映画化の最新情報

 1982年のアニメーション版は日本では未公開だが、欧米では熱狂的ファンも多い。“アメリカ”の主題歌が今また話題になっている。
 2005年公開予定で製作進行中の実写版は、今世界中のホームページで注目を浴びている。

1 ユニコーンとは

伝説に語り伝えられたユニコーン:プリニウスの「博物誌」の記述

Pliny describes the unicorn as being very ferocious, similar in the rest of its body to a horse, with the head of a deer, the feet of an elephant, the tail of a bear; a deep, bellowing voice, and a single black horn, two cubits in length

プリニウスによれば、ユニコーンはとても獰猛で、身体そのものは馬と同様だが、頭は鹿のようで、足は象のようで、尾は熊のようで、唸る声はとても重々しく、2キュービットの長さの黒い角を持っているということだ。

伝説上のユニコーンとは様々の動物の組み合わせ、“キメラ”(chimera)にも似た存在であった。

 クリュニー美術館所蔵のタペストリー:「貴婦人とユニコーン」
 中世的“アレゴリー”の世界の中のユニコーン像

2 『最後のユニコーン』のユニコーンは、これらとは全く異なる存在属性を与えられている。

ユニコーンを語る独特の描写と比喩の用法
She was very old, though she did not know it, and she was no longer the careless color of sea foam, but rather the color of snow falling on a moonlit night.

彼女は、自分では知らなかったけれど、とても年とっていた。そして彼女はもう海の泡のような無邪気な白い色ではなく、月の照らす晩に降る雪のような白い色をしていた。


But her eyes were still clear and unwearied, and she still moved like a shadow on the sea.

けれどもユニコーンの目はまだ透き通っていて疲れを知らず、彼女は
海の上の影のように身体を運びました。

She did not look anything like a horned horse, as unicorns are often pictured, being smaller and cloven-hoofed, and possessing that oldest, wildest grace that horses have never had, that deer have only in a shy, thin imitation and goats in dancing mockery.

彼女はユニコーンがしばしば絵に描かれていたように、角のついた馬のような姿はしていなかった。体は馬よりも小さく、蹄は二つに割れていて、馬が決して所有したことのない、そして鹿はただ薄っぺらなおずおずとした物真似でしか所有したことがなく、そして山羊はおどけて踊るような形でしか持っていない“オールド”で“ワイルド”な優美さを備えていた。



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