Archive for March 2006

31 March

Peter and Wendy 『ピーターとウェンディ』読解メモ 135


 "Silence," cried Wendy when for the twentieth time she had told them that they were not all to speak at once. "Is your mug empty, Slightly darling?"
 "Not quite empty, mummy," Slightly said, after looking into an imaginary mug.
 "He hasn't even begun to drink his milk," Nibs interposed.
 This was telling, and Slightly seized his chance.
 "I complain of Nibs," he cried promptly.
 John, however, had held up his hand first.
 "Well, John?"
 "May I sit in Peter's chair, as he is not here?"
" Sit in father's chair, John!" Wendy was scandalised. "Certainly not."
 "He is not really our father," John answered. "He didn't even know how a father does till I showed him."
T his was grumbling. "We complain of John," cried the twins.
 Tootles held up his hand. He was so much the humblest of them, indeed he was the only humble one, that Wendy was specially gentle with him.
 "I don't suppose," Tootles said diffidently, "that I could be father.
 "No, Tootles."
 Once Tootles began, which was not very often, he had a silly way of going on.
"As I can't be father," he said heavily, "I don't suppose, Michael, you would let me be baby?"
"No, I won't," Michael rapped out. He was already in his basket.
 "As I can't be baby," Tootles said, getting heavier and heavier and heavier, "do you think I could be a twin?"
 "No, indeed," replied the twins; "it's awfully difficult to be a twin."
 "As I can't be anything important," said Tootles, "would any of you like to see me do a trick?"
 "No," they all replied.
 Then at last he stopped. "I hadn't really any hope," he said.

「お喋りをやめなさい。」みんなが一度に話し始めるのは止めるようにと、もう20回も言った後でまた、ウェンディは声をあげました。「もう全部飲んだの、スライトリー?」
「まだ全部飲んでない。」スライトリーは、メイク・ビリーブのカップをのぞき込んだ後で言いました。
「スライトリーは、まだミルクを飲み始めてもいないよ。」ニブズが横から口を出しました。
これは告げ口でした。スライトリーは、言いつけるいい種を見つけました。
「ニブズはね、」スライトリーはすぐさま叫びました。
けれども、ジョンが先に手を上げていました。
「なあに、ジョン。」
「ピーターの席に座ってもいいかな。今はいないし。」
「お父さんの席に座るですって、ジョン!」ウェンディはあきれて叫びました。「勿論いけませんとも。」
「ピーターは、本当は僕等のお父さんじゃないんだよ。」ジョンは答えました。「僕が教えてやるまで、本当のお父さんがどんなふうに振る舞うか、ピーターは知りもしなかった。」
これは愚痴でした。「ジョンはね、」すかさず双子が言いつけました。
トゥートゥルズが手をあげました。トゥートゥルズはみんなの中で一番遠慮深い子で、実際子供達の中で唯一遠慮をする子で、ですからウェンディはこの子にはことのほか優しかったのです。
「多分僕は、」おずおずとトゥートゥルズが言い始めました。「お父さんにはなれないよね。」
「だめですとも、トゥートゥルズ。」
いったんトゥートゥルズが話し始めると、それが稀な分だけ一層、不器用に話し続けてしまうのでした。
「僕は、お父さんにはなれないから、」のそのそと続けました。「マイケル、僕に赤ちゃんをやらせてくはれないよね。」
「駄目だね。」マイケルはぴしりと言いました。マイケルは、もう籠の中に入っていました。
「僕は、赤ちゃんにはなれないから、」トゥートゥルズは、また言いました。さらにもっとのっそりとした感じになってきました。「僕は、双子になれるかな?」
「無理だね。」双子が答えました。「双子ってのは、とても難しいんだ。」
「僕は、難しいものには何もなれないから、」トゥートゥルズは続けました。「僕が手品をするのを見たい人は、いるかな。」
「見たくない。」全員が答えました。
これでようやく、トゥートゥルズも諦めました。「そうだと思ってたんだ。」

全てがメイク・ビリーブなのであれば、家族としての生活をする上での役割を演ずることばかりでなく、特定の人格を受け持つこととそれらを交換することも可能になるのであろう。トゥートゥルズの場合はあまりに無能なので、他の人格を一切演ずることが出来ないという、独自の人格を強固に保持していることになる。興味深いメタ論理である。
様々な点で、子供達の首領であるピーターとトゥートゥルズが、正反対の性格と能力を分け持っていることも興味深い。それぞれの局面・系の中で形質の分極が行われ、影としての存在が新たに生ずるのである。

用語メモ
humble:“つつましい”、“卑しい”
diffident:“おずおずとした”、“ためらいがちな”
 共にピーターの性向と対照的な傾向をあらわす形容詞である。


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30 March

Peter and Wendy 『ピーターとウェンディ』読解メモ 134


We have now reached the evening that was to be known among them as the Night of Nights, because of its adventures and their upshot. The day, as if quietly gathering its forces, had been almost uneventful, and now the redskins in their blankets were at their posts above, while, below, the children were having their evening meal; all except Peter, who had gone out to get the time. The way you got the time on the island was to find the crocodile, and then stay near him till the clock struck.
The meal happened to be a make-believe tea, and they sat around the board, guzzling in their greed; and really, what with their chatter and recriminations, the noise, as Wendy said, was positively deafening. To be sure, she did not mind noise, but she simply would not have them grabbing things, and then excusing themselves by saying that Tootles had pushed their elbow. There was a fixed rule that they must never hit back at meals, but should refer the matter of dispute to Wendy by raising the right arm politely and saying, "I complain of so-and-so;" but what usually happened was that they forgot to do this or did it too much.

さてこれから、その冒険の偉大さともたらされた結果の重大さのために、皆に“もっとも重大な夜”と呼ばれることとなった晩のことをお話することになります。昼の間は、あたかも静かにその力を蓄えているかのように、静穏に過ぎました。今はインディアン達は地上の見張り場所で毛布にくるまり、地下では子供達が夜の食事をとっていました。ピーターだけは別で、時間を調べに外出していました。ネバーランドで時間を調べに行くというのは、鰐を見つけだして時計が時を打つまで近くで待っていることを言います。
この晩の食事はメイク・ビリーブの食事でした。子供達はテーブルの周りに座って、がつがつと食べていました。本当に、ウェンディの言う通り、おしゃべりや騒々しくわめく声で耳がおかしくなる程でした。確かに、ウェンディは騒音はそれほど気にかけはしませんでした。でもウェンディは、不作法に食器を掴んだりして、トゥートゥルズが肘を押したせいだ、などというように言い訳したりするのは許しませんでした。食事中は決して殴り返してはならないという厳しい決まりがありました。そのかわりに静かに右手を上げて、争点の内容をウェンディに告げることになっていました。「だれそれが何々したんだよ、」というような具合です。けれどもしばしば子供達は、この決まりを忘れてしまうか、あるいはこの決まり通りにやり過ぎてしまったのです。

あり得ない空想上の主題を観念的な論理の上に展開しながら、作者の子供の行動パターンに関する観察は実に的確である。そしてそこに描き出される子供の示す典型的な特質は、常に身勝手で気まぐれで、全く信頼するに当たらないということである。一言で言えば子供とは、徹頭徹尾ハートレスな生き物なのである。

用語メモ
 子供:子供は残酷で身勝手で気が利かなくて忘れっぽい。だから子供でいることは楽しい。



和洋女子大学公開講座のお知らせ
 作品講読「ピーターとウェンディ」(Peter and Wendy)を読む

5月の毎週土曜日:5月6日、5月13日、5月20日、5月27日の4回、
2時から開催です。

連絡先:和洋女子大学 渉外課 
◆内容
 “ピーター・パン”の物語として有名な、『ピーターとウェンディ』を原文で読みます。実はあまり良く知られていない原作の哲学的な主題を、英語表現の鑑賞に気を配りながら読みとって行きます。4回という限られた回数で作品の全体像を把握するために、読解上の注釈を施したテキストを用意しました。インターネットで公開中の対訳とメモを活用し、質疑応答を通して要点を押さえながら、読解の作業を進めていきたいと思います。
 主題としては、意識内世界としてのネバーランドという場所、個人の内面心理を形成する疑似人格的要素としてのピーターとフックという人物像等について考察することにより、“世界”と“自己”という概念に対する再検証のあり方を試みるつもりです。これがファンタシー文学一般の中心的主題と考えられるものなのです。
 (インターネットの利用、コンピュータの操作等ができなくとも、受講には差し支えありません。)



「ミクシィ」でコミュニティ「アンチ・ファンタシー」を開設しました。
◆「最後のユニコーン」に関するSue Matheson氏の論文の解説等を行っています。
◆ アニメーション版「最後のユニコーン」における視覚表現についての解説を公開中です。
◆ ピーター・ビーグルに関する書誌データを公開中です。

http://mixi.jp/view_community.pl?id=427647

参加希望の方は、以下のアドレスにご連絡下さい。招待メールをお送りします。

kuroda@wayo.ac.jp



メインページurl http://www.linkclub.or.jp/~mac-kuro/


 平成17年12月21日和洋女子大学にて開催の
“ポエトリー・リーディング”
において行った朗読、「“Frivolous Cake”ー“浮気なケーキ”を読む」をアップロードしました。
http://www.linkclub.or.jp/~mac-kuro/speech/cake/cake.html

 “公開講座8” The Last Unicorn『最後のユニコーン』の世界
を追加しました。
http://www.linkclub.or.jp/~mac-kuro/H17E_fest/eibun.htm

論文、“アンチ・ファンタシーというファンタシー2:ファンタシーにおける非在性のレトリック─『最後のユニコーン』のあり得ない比喩と想像不能の情景”を新規公開中



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29 March

Peter and Wendy 『ピーターとウェンディ』読解メモ 133


Chapter 10
THE HAPPY HOME

One important result of the brush on the lagoon was that it made the redskins their friends. Peter had saved Tiger Lily from a dreadful fate, and now there was nothing she and her braves would not do for him. All night they sat above, keeping watch over the home under the ground and awaiting the big attack by the pirates which obviously could not be much longer delayed. Even by day they hung about, smoking the pipe of peace, and looking almost as if they wanted tit-bits to eat.
They called Peter the Great White Father, prostrating themselves before him; and he liked this tremendously, so that it was not really good for him.
"The great white father," he would say to them in a very lordly manner, as they grovelled at his feet, "is glad to see the Piccaninny warriors protecting his wigwam from the pirates."
"Me Tiger Lily," that lovely creature would reply. "Peter Pan save me, me his velly nice friend. Me no let pirates hurt him."
She was far too pretty to cringe in this way, but Peter thought it his due, and he would answer condescendingly, "It is good. Peter Pan has spoken."
Always when he said, "Peter Pan has spoken," it meant that they must now shut up, and they accepted it humbly in that spirit; but they were by no means so respectful to the other boys, whom they looked upon as just ordinary braves. They said "How-do?" to them, and things like that; and what annoyed the boys was that Peter seemed to think this all right.
Secretly Wendy sympathised with them a little, but she was far too loyal a housewife to listen to any complaints against father. "Father knows best," she always said, whatever her private opinion must be. Her private opinion was that the redskins should not call her a squaw.

礁湖での小競り合いのもたらした大きな成果は、インディアン達が子供達と仲良くなったことです。ピーターは、タイガー・リリーを恐ろしい運命から救ってくれたのです。ですから今は、彼女も仲間の勇者達も、ピーターのためなら何でもしてくれるのです。インディアン達は、海賊達の総攻撃に備えて一晩中地下の隠れ家の上で見張りをしました。まもなく総攻撃が始まるのは避けられないことでした。昼の間でさえもタイガー・リリー達は周囲に留まって、友好の印の煙草をふかし、何かおやつでも差し出してもらいたそうにさえ見えました。
インディアン達はピーターのことを“偉大なる白い父”と呼び、ピーターの足元でひれ伏しました。ピーターはこれがとても気に入ってしまったので、こんなことになったのはピーターのためにあまりいい事とは言えませんでした。
「偉大なる白い父は、」ピーターは平伏したインディアン達にとても偉そうに言うのでした。「ピカニニー族の戦士達が、海賊から小屋を守ってくれているのを、とてもうれしく思うぞ。」
「タイガー・リリーを、」美しい娘は、答えて言うのでした。「ピーター・パン救った。私、ピーター・パンの友達だ。海賊に、ピーター・パン、傷つけさせない。」
あまりに美しいタイガー・リリーがこんなへつらうような態度を見せるのは、似付かわしくありませんでした。けれどもピーターは、これが当たり前だと思っていました。そして家来をねぎらうように言うのでした。「それはよろしい。これがピーター・パンの言葉じゃ。」
ピーターが「これがピーター・パンの言葉じゃ。」と言った時には、“もう喋るな”ということでした。そしてインディアン達は、おとなしくこれに従ったのです。けれども他の少年たちに対しては、決してこのような態度をとることはありませんでした。ごく普通の勇者として扱うばかりでした。インディアン達は子供達には「やあ、どう?」とかいうように声をかけるのでした。そして子供達を当惑させたのは、ピーターもこれが当然のことだと思っていたらしいことです。
胸の内では、ウェンディは子供達のことが少し気の毒な気がしていました。でもウェンディはとても夫を大事にする奥さんだったので、お父さんに対する文句など、聞くつもりはありませんでした。「お父さんの言うことが一番よ。」胸の内は何であれ、ウェンディはいつも言うのでした。でも内心思っていたのは、インディアン達が自分のことを“スクウォー”呼ぶのは勘弁して欲しい、ということでした。

子供達同士の場合だけでなく、インディアン達を相手にしても、他の子供達と比してピーターの享受する特権的な厚遇は、いささかも変わるところが無い。互いの夢想の重なり合いとしての世界を共有して生きていながら、すべてを支配下に置くヒエラルキーの頂点が別個に確かに存在するのである。これは多くのファンタシーが無意識の裡に指向すると思われる、失われた崇高と絶対的な支配原理の復権の願望に対する、アイロニカルな参照とも読み取れそうに思える。

用語メモ
condescend:“身を低める”ことではあるが、自分がより高い身分にあることを意識しながら、相手に親身な態度をとってやることを意味するので、“cringe”(へつらう)ような“humble”(へりくだった)な態度とは、むしろ正反対である。
スクウォー:インディアンの言葉で女のこと。軽蔑的に用いられる。



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28 March

Peter and Wendy 『ピーターとウェンディ』読解メモ 132


 Of course when Peter landed he beached his barque in a place where the bird would easily find it; but the hat was such a great success that she abandoned the nest. It drifted about till it went to pieces, and often Starkey came to the shore of the lagoon, and with many bitter feelings watched the bird sitting on his hat. As we shall not see her again, it may be worth mentioning here that all Never birds now build in that shape of nest, with a broad brim on which the youngsters take an airing.
 Great were the rejoicings when Peter reached the home under the ground almost as soon as Wendy, who had been carried hither and thither by the kite. Every boy had adventures to tell; but perhaps the biggest adventure of all was that they were several hours late for bed. This so inflated them that they did various dodgy things to get staying up still longer, such as demanding bandages; but Wendy, though glorying in having them all home again safe and sound, was scandalised by the lateness of the hour, and cried, "To bed, to bed," in a voice that had to be obeyed. Next day, however, she was awfully tender, and gave out bandages to every one, and they played till bed-time at limping about and carrying their arms in slings.

 もちろんピーターは陸に着いた時、もらった船をネバーバードがたやすく見つけることのできるところに引き上げました。けれどもネバーバードはピーターにもらった帽子がとてもの気に入ったので、ネバーバードはもとの巣を見捨てることになったのです。この巣はしばらく海の上を漂った後、ばらばらに壊れてしまいました。そしてスターキーは礁湖の岸辺にやって来た時、ネバーバードが自分の帽子の上に乗っているのを見て、よく苦々しい気持ちになったものでした。もうこのネバーバードの姿を見ることもないのでお話しておくことにしますと、ネバーバード達はみんな帽子の形の巣を作るようなり、その大きなつばに乗ってひな鳥達が涼んだりするようになったのです。
 ピーターがウェンディのすぐ後に続いて地下の隠れ家に戻った時、みんなの喜びようは大変なものでした。ウェンディはあちこち風に飛ばされて、戻るのに手間取ったのです。誰もが、みんなの前で語るのにふさわしい、立派な冒険を経験していました。中でも一番の冒険は、床に就くのが何時間も遅れたということでしょう。子供達はこのことに気を良くして、包帯を巻いて欲しいだのと色んな注文をつけて、さらに床に着くのを遅らせるようとしました。けれどもウェンディは、みんなが無事に家に戻れたことに喜びを感じたものの、あまりに遅い時間に恐れをなして、逆らいようのない厳しい声で「もう、お休みなさい。」と叫んだのでした。でもウェンディは、翌日にはいつにも増して優しい態度で、一人残らず包帯を配ってくれたのです。子供たちは床に着く時間までずっと、びっこを引いて歩いたり、腕を三角巾に吊るしてみたりして遊んだのでした。

 ネバーランドでの生活は、すべてメイク・ビリーブの遊びで成り立っているので、傷を負うことも不便を被ることも何もかもが、恰好いい冒険を演じる遊技となってしまう。だからピーターがフックに負わされた負傷も、当然のごとく忘れられてしまうのである。

用語メモ
 冒険(adventure):本来ならばロマンスの世界において、凶悪な魔物と戦いを行うなどの、崇高で運命的な行為を語る言葉であったことだろう。子供達の主観がすべてを決定する世界では、ベッドに就く時間を遅らせることが最高の冒険となってしまう。行った行為の偉大さではなく、行動原理の倫理的な基準の変更がより大きな精神的冒険となってしまった、19世紀末以降の思想的状況のカリカチュアとなっている。




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27 March

Peter and Wendy 『ピーターとウェンディ』読解メモ 131


 Nevertheless the bird was determined to save him if she could, and by one last mighty effort she propelled the nest against the rock. Then up she flew; deserting her eggs; so as to make her meaning clear.
Then at last he understood, and clutched the nest and waved his thanks to the bird as she fluttered overhead. It was not to receive his thanks, however, that she hung there in the sky; it was not even to watch him get into the nest; it was to see what he did with her eggs.
There were two large white eggs, and Peter lifted them up and reflected. The bird covered her face with her wings, so as not to see the last of them; but she could not help peeping between the feathers.
 I forget whether I have told you that there was a stave on the rock, driven into it by some buccaneers of long ago to mark the site of buried treasure. The children had discovered the glittering hoard, and when in a mischievous mood used to fling showers of moidores, diamonds, pearls and pieces of eight to the gulls, who pounced upon them for food, and then flew away, raging at the scurvy trick that had been played upon them. The stave was still there, and on it Starkey had hung his hat, a deep tarpaulin, watertight, with a broad brim. Peter put the eggs into this hat and set it on the lagoon. It floated beautifully.
The Never bird saw at once what he was up to, and screamed her admiration of him; and, alas, Peter crowed his agreement with her. Then he got into the nest, reared the stave in it as a mast, and hung up his shirt for a sail. At the same moment the bird fluttered down upon the hat and once more sat snugly on her eggs. She drifted in one direction, and he was borne off in another, both cheering.

 それにも関わらず、ネバーバードはどうしてもピーターを助けてやることに決めていたのでした。最後の力を振り絞ると、彼女は巣を岩の方に近づけました。そして卵を捨てて空に飛び立ったのです。自分の気持ちをはっきりと伝えるためです。
 ようやくピーターも意味が分かりました。巣を掴むと、頭の上を飛んでいるネバーバードに手を振って、感謝の気持ちを告げました。けれどもネバーバードが飛び立っていかなかったのは、ピーターの合図を受け取るためではありませんでした。ピーターが確かに巣に乗り込むかどうかを見届けるためでもありませんでした。ピーターが卵をどうするか、確かめたかったのです
 巣の中には、二つの大きな卵がありました。ピーターはこの卵を手に取って、考え込みました。ネバーバードは、翼で目を覆いました。卵の最後を見たくなかったからです。けれども彼女は、翼の間から透かして見ずにはいられませんでした。
 もうお話したかどうか忘れてしまったのですが、岩には一本の杭が打ち込まれていました。昔、海賊が埋めた宝の在りかを示すために行ったことです。子供たちはきらきら光る金貨を見つけ、はしゃぎ回ってモイドール金貨やダイアモンドや真珠やスペイン銀貨などを、カモメに浴びせかけたのでした。カモメ達は食べ物だと思って飛びかかったのですが、質の悪い悪戯に気分を害して飛び去ってしまったのです。杭はまだそこにありました。この杭の上にスターキーは、彼の帽子をかけていたのです。防水加工をした帆布製の深い幅広の帽子でした。ピーターは卵をこの帽子の中に入れて、水に浮かべました。帽子は見事に浮かびました。
 ネバーバードはピーターの仕草を見て、彼が何をしようとしているか、即座に理解しました。そして大きな声をあげて、ピーターの行為を讚えました。そして何と、ピーターも一緒になって歓声をあげたのです。それからピーターは、巣に乗り込みました。杭をマストのように立てて、シャツを帆の替りに張りました。それと同時にネバーバードは帽子の上に飛び降りて、心地よく卵を抱くことができたのでした。こうして二人とも上機嫌で、ネバーバードは潮に流されていき、ピーターは反対の方角に流されていきました。

 既に語ったどうかを話題として持ち出すことによってストーリーの語りを進めるという、ひねりを加えた語りの技法が用いられている。作者バリは様々の語りの手法を利用して、特有の仮構世界のプレゼンテーションを図っている。そしてこのメタフィクション的手法が、フックによって傷を負わされたという事実が、単に飛ぶことも泳ぐことも出来ないという条件にすり替えられ、怪我を負わされたことの生命に関わる重大さを隠蔽するペテン的記述を援護することに役立っている。ピーター自身のメイク・ビリーブによって生成している心の中の世界を特徴づけるものとして、この種のペテン的言説はこの物語の重要な要素となっているのである。

用語メモ
 ペテン的記述:仮構としての物語世界を成り立たせる基本条件として、現実世界の制約をあからさまに無視した、あり得ない出来事が意図的に描かれることをこう呼ぶことにする。メ非在性の記述モとして指摘されることもある。別な側面から見れば、メ漫画的記述モとも語られる特質である。この種の荒唐無稽は、純然たる仮構としての仮構世界の記述を正しく読み取ることのできる極めて知的な一部の読者にしか理解できない、ある特有の仮構作品の重要な特質となっているものと見做すべき要素なのである。




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