Archive for 09 May 2006

09 May

Peter and Wendy 『ピーターとウェンディ』読解メモ 174


 Hook was not his true name. To reveal who he really was would even at this date set the country in a blaze; but as those who read between the lines must already have guessed, he had been at a famous public school; and its traditions still clung to him like garments, with which indeed they are largely concerned. Thus it was offensive to him even now to board a ship in the same dress in which he grappled her, and he still adhered in his walk to the school's distinguished slouch. But above all he retained the passion for good form.
 Good form! However much he may have degenerated, he still knew that this is all that really matters.
 From far within him he heard a creaking as of rusty portals, and through them came a stern tap-tap-tap, like hammering in the night when one cannot sleep. "Have you been good form to-day?" was their eternal question.
 "Fame, fame, that glittering bauble, it is mine," he cried.
 "Is it quite good form to be distinguished at anything?" the tap-tap from his school replied.

 フックというのは、彼の本当の名前ではなかった。彼の正体を明かすことは、今になってさえも世の中を大変に騒がすことになるであろう。しかし行間を読んで下さる読者ならもうお気づきの筈のように、彼は有名なパブリック・スクールの出身なのであった。そして母校の伝統が、着衣のように彼の身に染み付いていた。実際、出身校の伝統は、身に付ける衣服に深く関わっていたのである。そういう訳で今となっても、この船を拿捕した時に身に付けていた衣服のままで再び乗船することは、彼にとって我慢のならないことであった。そしてフックは、今なお歩く時には、母校の独特の前屈みの姿勢をとることを忘れなかった。しかし何にも増して彼が気にかけたのは、恰好良さということであった。
 恰好良さ!いかに堕落したとはいえ、フックはこのことこそ唯一尊ぶべきことであると弁えていた。
 心の奥深い部分から、錆び付いた門扉のようにきしる音が聞こえて来た。そしてその響きと共に、眠りに就くことが出来ない夜に聞こえて来る鋭く胸の扉を叩く音も、忍び寄ってくるのだった。「今日は恰好よく過ごせたか?」これが、常に問われる言葉であった。
 「名声、名声、輝かしくも愚かしいもの、それは今俺のものだ。」フックは叫んだ。
 「何かに際立って優れているということは、恰好の良いことといえるだろうか?」学生時代からの心の中の声が問い返した。

 架空の世界に転身する以前の、現実世界におけるフックの正体に関する言及が行われている。フックは貴族の子弟が寄宿していた、有名なパブリック・スクールの出身だったのである。これは、フックの存在の謎を解明する糸口となる重要な記述である。そのフックが最も気にかけていることは、“good form”という言葉に集約されている。これはフックの美学上の固定観念であると共に、難解なディレムマを導くパラドクスを際立たせ、人間存在と倫理の間の根幹にある問題に関わって来ることになる。

用語メモ
 good form:美学的には“恰好良さ”と訳される概念となる。社会的には“たしなみの良さ”とも訳し得る。この両者を共に満足させたいと考えるのが、フックのストイックなこだわりである。




◆和洋女子大学公開講座のお知らせ
 作品講読「ピーターとウェンディ」(Peter and Wendy)を読む

◇  教室が決まりました。西館の3Fにある第2コンピュータ室で開催の予定です。コンピュータの使い方をご存じの方は、当日お伝えするユーザー名とパスワードを用いてログインし、インターネットに接続することができます。“Daily Lecture”等の公開中のファイルを開いて、講座のテキストとして御覧になれます。ワードを起動して自分でメモ等を作成することもできます。データ保存のためのフロッピー・ディスクあるいはフラッシュメディアをご持参下さい。
 この機会にコンピュータやインターネットを試してみたいという方は、早めにお出で下されば使い方の説明を致します。

◇第1回目が連休の最中という、大変な日程で組まれていることが分かりました。初回欠席でも、受講には差し障りありません。2回目以降好きな時に出席して頂いて結構です。講座は4回連続ですが、毎回の講義内容は、その場の状況に合わせて随時工夫していく予定ですので、出席は単発でも構わないのです。当日の受講受付もできます。
 コンピュータの利用に親しんでいる方は、テキストを購入しなくても教室でインターネットに繋いで、物語の本文を参照することができます。コンピュータに不馴れな方のためには、書物のテキストを用意してあります。講座は2時から開始ですが、1時頃には講師は来ておりますので、質疑応答等行えます。
 あらかじめ、物語のどの部分を読んでみたいか、あるいはこのお話の解釈について疑問を感じる点等を用意しておいて頂ければ、これに対する解説として講義を行って行きます。
 対訳を作成してありますので、翻訳上の疑問点等をご指摘頂ければ、「意訳」の工夫などを話題にすることもできます。

5月の毎週土曜日:5月6日、5月13日、5月20日、5月27日の4回、
2時から開催です。

連絡先:和洋女子大学 渉外課  047-371-1473

◇内容
 “ピーター・パン”の物語として有名な、『ピーターとウェンディ』を原文で読みます。実はあまり良く知られていない原作の哲学的な主題を、英語表現の鑑賞に気を配りながら読みとって行きます。4回という限られた回数で作品の全体像を把握するために、読解上の注釈を施したテキストを用意しました。インターネットで公開中の対訳とメモを活用し、質疑応答を通して要点を押さえながら、読解の作業を進めていきたいと思います。
 主題としては、意識内世界としてのネバーランドという場所、個人の内面心理を形成する疑似人格的要素としてのピーターとフックという人物像等について考察することにより、“世界”と“自己”という概念に対する再検証のあり方を試みるつもりです。これがファンタシー文学一般の中心的主題と考えられるものなのです。
 (インターネットの利用、コンピュータの操作等ができなくとも、受講には差し支えありません。)



◆「ミクシィ」でコミュニティ「アンチ・ファンタシー」を開設しました。
◇「最後のユニコーン」に関するSue Matheson氏の論文の解説等を行っています。
◇アニメーション版「最後のユニコーン」における視覚表現についての解説を公開中です。
◇ピーター・ビーグルに関する書誌データを公開中です。
◇18年度開講中の各講座のトピックを開設しました。
 受講生以外の外部の方も御覧になれます。

http://mixi.jp/view_community.pl?id=427647

参加希望の方は、以下のアドレスにご連絡下さい。招待メールをお送りします。

kuroda@wayo.ac.jp



◆メインページurl http://www.linkclub.or.jp/~mac-kuro/

◇論文、“アンチ・ファンタシーというファンタシーII:ユニバーサル、ユニコーン―『最後のユニコーン』におけるユニコーンの存在論的指標”を新規公開中
http://www.linkclub.or.jp/~mac-kuro/anti/universal.htm

◇論文、“アンチ・ファンタシーというファンタシー(15):レッド・ブル―無知と盲目の影”を新規公開
http://www.linkclub.or.jp/~mac-kuro/anti/shadow.htm




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