Archive for 04 June 2006

04 June

Peter and Wendy 『ピーターとウェンディ』読解メモ 200


 Instead of watching the ship, however, we must now return to that desolate home from which three of our characters had taken heartless flight so long ago. It seems a shame to have neglected No. 14 all this time; and yet we may be sure that Mrs. Darling does not blame us. If we had returned sooner to look with sorrowful sympathy at her, she would probably have cried, "Don't be silly; what do I matter? Do go back and keep an eye on the children." So long as mothers are like this their children will take advantage of them; and they may lay to that.
 Even now we venture into that familiar nursery only because its lawful occupants are on their way home; we are merely hurrying on in advance of them to see that their beds are properly aired and that Mr. and Mrs. Darling do not go out for the evening. We are no more than servants. Why on earth should their beds be properly aired, seeing that they left them in such a thankless hurry? Would it not serve them jolly well right if they came back and found that their parents were spending the week-end in the country? It would be the moral lesson they have been in need of ever since we met them; but if we contrived things in this way Mrs. Darling would never forgive us.

 しかし船の様子をうかがっている代りに、3人の子供達が無慈悲にも見捨てて立ち去った、彼等の侘しい家へと目を移すことにしよう。これまでずっと14番地のあの家のことを振り返ることがなかったことは、恥ずべきことと言わねばならない。けれども、ダーリング夫人が我々のことを責めたりしないことは、確信して良い。もしも我々が先にダーリング夫人のところに戻って、なぐさめの言葉をかけてあげたとしても、ダーリング夫人はきっと、「馬鹿なこと言わないでちょうだい。私のことがなんだっていうの。はやく戻って子供達のことを見ててちょうだい。」と叫んだことだろう。母親というものがこういう風である限り、子供達は彼等を利用し続けることだろう。これは間違いの無いことだ。
 今だって我々がこのお馴染みの子供部屋に戻るのは、その正規の住人達が今戻って来ようとしつつあるからなのだ。子供達に先んじて、ベッドにはきちんと風が通してあり、両親がこの晩外出などしていないのを確かめるために、急いでこの家に赴こうとしているに過ぎないのだ。我々はただの召使いでしかない。子供達が恩知らずにも大急ぎで逃げだしていってしまったことを思えば、彼等のベッドがちゃんと風を通してもらっているのは、勿体ないことだ。もし子供達が戻って来た時、両親は郊外で週末を過ごしていたなんていう展開になっていたら、その方がよっぽど彼等にはふさわしいことではないだろうか。我々が子供達と出会って以来、彼等が当然受けるべきであった教訓はこういうことだった。しかし我々が事をそのように進めたら、ダーリング夫人は決して我々を許してはくれないだろう。

 ここには仮言命題として分岐した、ストーリーの可能性の一つが語られている。そして語りの技法として物語の分岐の可能性の一例があげられると共に、ストーリーの展開に関する論議そのものが、ストーリー自体を積極的に構築してもいるのである。

用語メモ
 メタフィクション:物語が物語自身のことを自覚している構図のことがこう呼ばれる。このお話においては、語り手である作者と作中人物の一人であるダーリング夫人の間の関係において、この機構が導入されている。しかしことさらに特別な種類のお話のみがこのような要素を備えているという訳でもなく、むしろ「お話」と呼ばれるもののの根源的な機能そのものに、“メタフィクション”の要素があると考えるべきだろう。



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