Archive for 05 June 2006

05 June

Peter and Wendy 『ピーターとウェンディ』読解メモ 201


 One thing I should like to do immensely, and that is to tell her, in the way authors have, that the children are coming back, that indeed they will be here on Thursday week. This would spoil so completely the surprise to which Wendy and John and Michael are looking forward. They have been planning it out on the ship: mother's rapture, father's shout of joy, Nana's leap through the air to embrace them first, when what they ought to be prepared for is a good hiding. How delicious to spoil it all by breaking the news in advance; so that when they enter grandly Mrs. Darling may not even offer Wendy her mouth, and Mr. Darling may exclaim pettishly, "Dash it all, here are those boys again." However, we should get no thanks even for this. We are beginning to know Mrs. Darling by this time, and may be sure that she would upbraid us for depriving the children of their little pleasure.
 "But, my dear madam, it is ten days till Thursday week; so that by telling you what's what, we can save you ten days of unhappiness."
 "Yes, but at what a cost! By depriving the children of ten minutes of delight."
 "Oh, if you look at it in that way!"
 "What other way is there in which to look at it?"

 私がやってみたいとことさら強く思うことは、本の著者がよくやるように、彼女に子供達が戻ってこようとしていて、次の木曜日にはここに着いているだろうと告げてあげることだ。そうすれば、ウェンディとジョンとマイケルが楽しみにしている不意打ちの計画が、台無しになってしまうことだろう。子供達は、船でこの計画をずっと練り続けてきたのだった。お母さんは喜びに我を忘れ、お父さんは歓声をあげ、ナナは子供達を一番最初に抱きしめようと宙に跳ぶに違いない。本当だったら彼等がしていなくてはならなかったことは、うまく身を隠すことであっただろうに。前もってダーリング夫人にこのたくらみを告げて、子供達の計画を台無しにしてやれればなんと楽しいことだろう。意気揚々と子供達が家に入ってくると、ダーリング夫人はウェンディにキスをさせてあげるために顔を近づけようとさえしないのだ。ダーリング氏は、「やれやれ、またこいつらが戻ってきたよ。」などと、不機嫌そうに言うかもしれない。けれども、そんなことになっても、我々は全然感謝してもらえることはないだろう。我々は、ダーリング夫人という人のことを、もうそろそろよく理解できるようになってきている。ダーリング夫人は、子供達の楽しみを奪ってしまったら、きっと我々を責めるに違いない。
 「ですが、奥様。今度の木曜日で十日にもなるんですよ。奥様に何がどうなっているか教えてさしあげることで、奥様は十日分の悲しみを無しにすることができるんですよ。」
 「それはそうですけど、その代わりに子供達の十分間の楽しみを台無しにしてしまうなんて。」
 「そうですか、奥様はそういう角度からこの件をご覧になっていらっしゃる訳で。」
 「この件を他のどういう角度から見ることができるとおっしゃるんですの?」

 ここでは物語の中核的主題そのものが、可能態におけるストーリーの選択の界面へとシフトしているのである。この場面で作者とダーリング夫人の間に交わされているやりとりは、本編のストーリーには描かれなかった仮想的事実であるが、小説『ピーターとウェンディ』における何らかの階層において、確かに描かれている虚構的事実の一つでは確かにある。一人称による語りの操作の粋を凝らした表現となっている。

用語メモ
 pleasure:“快楽”である。キリスト教においては、音楽や美食によって得られる感官の喜びも、魂を堕落させる悪徳として弾劾された。しかしダーリング夫人は、子供に与えられるものがどれほどささやかな喜びであろうと、それが大人達のいかに重大な心痛を代償に得られるものであってさえも、寛大に許されるべきものであると主張している。PTAや教育委員会や文部科学省が見習うべき、健全極まりない文化的価値評価基準である。




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