Archive for 06 June 2006

06 June

Peter and Wendy 『ピーターとウェンディ』読解メモ 202


 You see, the woman had no proper spirit. I had meant to say extraordinarily nice things about her; but I despise her, and not one of them will I say now. She does not really need to be told to have things ready, for they are ready. All the beds are aired, and she never leaves the house, and observe, the window is open. For all the use we are to her, we might well go back to the ship. However, as we are here we may as well stay and look on. That is all we are, lookers-on. Nobody really wants us. So let us watch and say jaggy things, in the hope that some of them will hurt.
 The only change to be seen in the night-nursery is that between nine and six the kennel is no longer there. When the children flew away, Mr. Darling felt in his bones that all the blame was his for having chained Nana up, and that from first to last she had been wiser than he. Of course, as we have seen, he was quite a simple man; indeed he might have passed for a boy again if he had been able to take his baldness off; but he had also a noble sense of justice and a lion's courage to do what seemed right to him; and having thought the matter out with anxious care after the flight of the children, he went down on all fours and crawled into the kennel. To all Mrs. Darling's dear invitations to him to come out he replied sadly but firmly:
 "No, my own one, this is the place for me."

 ごらんのようにこのご婦人は、当然示すべき覇気を持ち合わせていなかった。私は彼女について特別に素敵なことをいくつかお話ししてあげようと思っていたのだが、こんな風では私は彼女のことを軽蔑せざるを得ない。だからもう、何もお話することなどない。彼女に子供達を迎える準備をしておくように告げる必要も実はない。もう全てが準備できているからだ。どのベッドも風を通してあるし、ダーリング夫人は決して家を空けることもない。そして、御覧になるとよろしい、窓は今も開けられている。我々がどれほどの役に立つかは別として、もう船に戻るのが良さそうだ。しかし今我々は、この家に来ているのだから、もう少し留まって様子をうかがっていることにしよう。我々はそれだけのものでしかないのだ。単なる傍観者なのである。誰も我々を必要とすることなどないのだ。だから見ていて、嫌みなことを言ってやることにしよう。少しは気分を害してやることができるかもしれないから。
 子供部屋で唯一目に着く変化といえば、9時から6時までの間は、犬小屋がもうここには無いことだ。子供達が飛び去ってしまった時、ダーリング氏は全ての責任が自分にあると身に滲みて分かった。なにしろナナを鎖で繋ぎ止めてしまったのだから。最初から最後まで、ナナの方がずっと正しかったのだ。勿論、もうお分かりのように、ダーリング氏はごく単純な人だった。もしも髪の毛の薄いところさえ戻せたなら、子供としても充分に通用したに違いない。けれども、ダーリング氏には立派な正義感も備わっていたし、自分のすべきと思われることをする雄々しさも持っていた。だから子供達の失踪の後、じっくりとこの件について考えを巡らした結果、ダーリング氏は四つん這いになって下に降りて行き、犬小屋の中にもぐり込んだのである。ダーリング夫人が出て来るようにいくら声をかけても、ダーリング氏は悲し気な顔ではありながら、しかし、しっかりとした口調で答えたのであった。
 「いや、それはできない。僕はここにいなくちゃいけないんだ。」

 作品において描かれた語り手、登場人物、読者の各々は、いずれかの階層における作品世界中に描かれた登場人物であると共に、現実世界の読者、あるいは作者としての位相もやはり幾分かは、重ね合わせの形で保持しているのである。

用語メモ
 looker-on(傍観者):我々人間存在が自らの生を送るこの世界において、神によって選ばれた権利の保有者でもなく、あるいは神の目的に寄与する任務を託された当事者などでもなく、世界の運行とは無関係な幸や不幸を勝手に感じているだけの傍流の存在に過ぎないことを痛切に噛み締める感覚がここにある。これは近代的知性の獲得した自由の裏面にある空虚なのである。




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