Archive for 07 June 2006

07 June

Peter and Wendy 『ピーターとウェンディ』読解メモ 203


 In the bitterness of his remorse he swore that he would never leave the kennel until his children came back. Of course this was a pity; but whatever Mr. Darling did he had to do in excess, otherwise he soon gave up doing it. And there never was a more humble man than the once proud George Darling, as he sat in the kennel of an evening talking with his wife of their children and all their pretty ways.
 Very touching was his deference to Nana. He would not let her come into the kennel, but on all other matters he followed her wishes implicitly.
 Every morning the kennel was carried with Mr. Darling in it to a cab, which conveyed him to his office, and he returned home in the same way at six. Something of the strength of character of the man will be seen if we remember how sensitive he was to the opinion of neighbours: this man whose every movement now attracted surprised attention. Inwardly he must have suffered torture; but he preserved a calm exterior even when the young criticised his little home, and he always lifted his hat courteously to any lady who looked inside.
 It may have been Quixotic, but it was magnificent. Soon the inward meaning of it leaked out, and the great heart of the public was touched. Crowds followed the cab, cheering it lustily; charming girls scaled it to get his autograph; interviews appeared in the better class of papers, and society invited him to dinner and added, "Do come in the kennel."

 苦い後悔の念にかられて、ダーリング氏は、子供達が戻って来るまでは決してこの犬小屋から出ることはないと、誓いを立てたのだった。勿論これは気の毒なことだった。しかし何であれ、ダーリング氏は行き過ぎになるまでしてしまうのが常であった。さもなければ、先を続けられないのだった。かつての誇り高いジョージ・ダーリング氏であったこの人物程惨めな存在は、他になかっただろう。彼は夜毎犬小屋の中に座り込んで、妻と共に子供達の思い出話をするのであった。
 ダーリング氏のナナに対する敬意に満ちた振る舞いには、心打たれるものがあった。ダーリング氏は、決してナナに犬小屋に入らせようとしなかったが、他の事ならどんな場合でもすべてナナの望み通りに自ら従うのであった。
 犬小屋は毎朝ダーリング氏が辻馬車に運び込み、そのまま会社まで行って、同じようにして6時には家まで戻って来るのだった。ダーリング氏がどれほど周囲の人々の目を気にするかを思い起こせば、この人物の精神力の強さを窺い知ることもできるというものである。ダーリング氏のあらゆる行動が、常に驚きにみちた注目を惹き付けていたのである。ダーリング氏は、心の中では拷問にも等しい思いを味わっていたに違いない。しかし彼は、幼い子供達が彼のあまりにも小さな家のことをあげつらっている時も、落ち着き払った顔付きを保ち続け、中を覗き込む御婦人がいる時には恭しく帽子を挙げてみせさえもしたのである。
 その様は、突拍子も無いものであると言っても良い。しかし中々厳かなものであるとも言えた。まもなく、彼のこの行動の内なる動機が、人々の知るところとなった。そして、世の人々はいたく心を打たれたのである。大勢の人々が辻馬車の後について回り、熱中して囃し立てた。魅力的な娘達が、ダーリング氏のサインをもらおうと馬車にしがみついた。上流階級の新聞にも記事が掲載され、社交界からパーティーの招待状さえも届くようになった。招待状には「犬小屋のままお越し下さい」とあった。

 ネバーランドにおけるフックとの抗争の終結と共にこのお話が完結する訳ではない。むしろエピローグとして描かれたダーリング家のその後の顛末と、そしてウェンディとピーターのその後の経緯こそが、この物語の真の主題のあり処を語っているのである。

用語メモ
 society:“high soxiety”とも書く。“上流の社交界の人々”のことである。“Come in the kennel”は、“Come in Black”。“礼装でお越し下さい。”の代わりであろう。



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