Archive for October 2010

28 October

2010和洋女子大学学園祭 公開授業

可能世界論としてのコンピュータ・ゲーム研究

講義シラバスより
 ゲーム作品『マヴラヴALTERNATIVE』を対象にして、コンピュータ画面上に現出した映像表現の特質と、そこに平行して用いられている活字や音声等の多元的な表現媒体が示唆する仮構世界表現手段の拡大と変容の可能性と実相を、コンピュータ・ゲームというジャンルあるいは世界の持つ潜在的意味性に対する考察として検証していく
 インタラクティブに操作されると同時に鑑賞対象ともなる視覚・総合芸術表現として提示された、ストーリーと記号的概念構造を重ね合わせて保持する特有の仮構の一種である”ビジュアル・ノベル”としてのゲームを実際にプレイすることにより、その新しいジャンルとしての表現の特質や、そこに秘められた独自の主題性についての哲学的、科学論的論考の可能性を模索していく。
【授業計画】
1 回 “あいとゆうきのおとぎばなし”というジャンルカテゴリー、「お約束的展開大前提御都合主義上等の超王道恋愛 AVG」は擬装?
2 回 “インタラクティブ・ノベル”の特質と可能性について、双方向性と網羅的試行からフィクション世界の宇宙論的解釈を模索
3 回 平行宇宙論と多世界解釈における人格の同一性問題、キャラクターの貫世界的同定に関わる haecceity と quiddity の問題
4 回 “コヒーレンス”、“デコヒーレンス”とバタフライ効果、観測効果と確率関数の収束、“存在確率”としての原形質的意義性
5 回 主題研究:主観世界と客観世界の捻転的合一の可能性、内宇宙と外宇宙の重ね合わせを示唆する形而上学的宇宙論
6 回 グロテスクとエロティシズムとナンセンス再考、エロへの逃避と、エロからの逃避に対する峻厳なる拒絶の意思表明
7 回 全と個の関係性再考、運命性と自己同一性の相関、世界創成と個人存在を関連づける全方位的意味性賦与のメカニズム
8 回 ループと永劫回帰と実存、時間性の呪縛に対する挑戦、運命愛と永遠性に対する渇望、刹那と無限、多義性と回帰性
9 回 分岐する世界と複数化する「私」、意識と存在/記憶と知覚、対応と相関、モナドロジー再考
10 回 高潔と悪徳、絶対悪の存在と闘争の意味の再検証、正義と必要悪の相克、絶対倫理とレゾン・デートル
11 回 自己犠牲と生け贄と贖罪のパラドクス、倫理のディレムマと意味座標平面の次元拡張
12 回 マトリクスと平行宇宙と多義性の原形質、素粒子の発現可能性の順列組み合わせ的網羅的可能態の宇宙像
13 回 創造的意味賦与の試み、代替候補の可能世界像を提示する神話・伝説とファンタシー、仮構世界の改変と挿話の付加
14 回 創造的論評の試み、妄想と悪乗りとしての鑑賞と思考、模造と改作という創造行為、考察と分析という創造行為
15 回 個々における創造的関与の様々な試行、パロディー、コスプレ、作品紹介ヴィデオ・クリップ作成等

講座ノートより
課題 夕呼の検索結果
 忘れないように、課題として指摘しておいたシーンをメモしておきます。
 国連軍横浜基地司令官補佐の香月夕呼は、突然基地に表れた白銀武について、コンピュータで検索した結果どのような事実を確認して、彼の言葉を信じることにしたのか?後のストーリーの展開から、この確かな理由を推し量ることができるはずです。これは、この作品の中心となる主題「平行宇宙」の存在原理と密接に連なる重要条件でもあるからです。
 ちなみに、授業中に進めた選択肢は講座担当者が最初に攻略したルートとは異なっていたため、このシーンは今回初めて見たのでした。

平行宇宙内存在物
 量子論的存在解釈に従って網羅的に分岐した平行宇宙を形成する集合の元となる「存在」を考える時、「黒田」でも「和洋」でも「赤」でも「カンニング」でも何でもいいから、何か命名をした無限のセルを表示することができるエクセルの表を考えます。ロール・プレイング・ゲームのキャラ設定の場合と同様にそのセルに「身長」だの「体重」だの「血液型」だの「好きなデザート」だの「苦手な教科」だのと並んで「存在しない」とか「仮構上の疑似存在」だとか、ありとあらゆる属性となる項目を付け加えることができることとします。一つの平行宇宙を形成する元となる条件項目として、さらにこのように無限に記述可能な属性細目を元として持ち得る「存在」あるいは「意味」がある訳です。このような宇宙記述モデルにおいては、ある一つの人格(ここではマトリクスで表記されている)が「貫世界的」に存在することが前提とされていることになります。そうなるとこれまで「個人」とか「同一性」という概念で理解されていたものが、全く異なった様相のもとに再考されなければならなくなることを理解して下さい。この案件がこの後『マヴラヴ』の中で取り分け興味深い状況を現出することとなるのです。
 このような記述モデルの具体例を一つ紹介しておきます。講座担当者が意味も無く「アリス・ゲーム」と名付けた、健全な論理記述の妄想悪乗り一人遊びです。
 アリス・ゲーム2
http://antifantasy2.blog01.linkclub.jp/index.php?blogid=1214&archive=2007-7-1

成長?レベルアップ?
 『マヴラヴ』で最初の平行世界にワープした主人公白銀武は精神的にも未熟で、知能・体力共に低レベルの「へたれ」でした。散々仲間の訓練生達の足を引っ張り、みんなに教え導いてもらいながらなんとか経験値を高めていったのでした。『マヴラヴ・オルタネイティブ』の白銀はさらにもう一つの平行世界にワープし、しかもこれまでの体力と知力と経験の記憶の大部分を保持したままスタートを切り直す結果となっています。ロール・プレイング・ゲームによくあるように、パーティが全滅した後の再ゲームでは、前回の試行が再プレイ後の地力として反映されているのです。しかしこのゲームでは、その自覚が主人公に対するプレッシャーとなり、行動範囲の制約を及ぼす桎梏ともなります。さらに、成長して仲間の訓練生達の尊敬の念を集める主人公が世界救済の使命感に燃えて語ったり考えたりしたことが、必ずしも全て正しい思考や判断であったと結論づけられる訳でもないのです。例えば彩峰のさりげない突っ込みなどに見られるように、訓練生達一人一人が実は、白銀の判断に疑義を唱える根拠となり得るような深い背景としがらみを背負っているからなのです。このゲームは、決してお約束事の安易な正解や正義を確証させてくれるものではありません。プレイヤーは重く、苦しく、このゲームの提示する問題性につき合わされていくことになるのです。覚悟しておいて下さいね。

 ニュートン力学が代表する科学思想においては、世界に招来するあらゆる事象は、最終的に物質を形成する基礎単位である個々の粒子の運動と配列によって決定することとされる。もしも現在世界に存在する限りの全ての物質粒子とそれらの位置と運動を全能の神のような存在が把握するとしたならば、未来の全ては予測に従った厳密な結果をもたらすだけのものとなるに違いない。これが「決定論的宇宙観」と呼ばれる現実認識の一つの形である。さらに、もしも世界の大きさが有限であり、物質構成単位となる粒子の数もまた有限であるならば、その順列組み合わせの数はいかに莫大なものであろうとも、ある有限の値を取ることが当然予想されるだろう。ということは、全ての可能性の分岐を経験してしまった後の世界は、必ずや以前に経験したのと全く変わらない状態を再び繰り返すことを条件づけられていることになる。永遠の時間の流れの中で、世界と世界構成要素の各々は、自身の発現形を選択する過程において、変化の無い繰り返しのループから逃れる術を持たないのである。これは存在と行動の意味自体を完全に否定してしまう冷徹な客観的世界の実相を示す残酷な教説と考えられるものであり、また「個」としての自覚を持つ意識の主体としては、考え得る限りの最も忌まわしい現実認識の形であるとも思われるものである。ニーチェはこの考えを「永劫回帰」と呼んだ。
 『マヴラヴ』の場合のように、多世界の存在と異世界へのリープあるいは過去への逆行が認められる世界を支配する物理法則とは、ニュートン力学のいかなる前提部分をどのように修正した結果得容認されることになるものだろうか。

特異点
 ニュートンの構想した宇宙観においては、あらゆる物質がその固有の質量の大きさに比例する力(万有引力)で互いに引きつけ合っているという根本原理を採用しながら、当然の帰結であるはずの宇宙にある全ての物質がある一点に引き寄せられて凝集するという可能性が排除されていたのは、無限の広がりを持つ空間における「釣り合い」という実は誤った仮説が信じられていたためでした。キリスト教の教義である始まりと終わりのある時間の7000年という有限性の延長範囲は、すでに18世紀、19世紀の知識人にとっては廃れた偽説でしかなかったのでしょう。空間的・時間的無限を前提として受け入れる限り、機械論的因果関係に従う決定論的運命観は異論の余地の無いものとして主張されることになります。現在支配的なものとなっている、始まりと終わりの存在を許容する宇宙論は、厳密な意味での「科学思想」が容認することを拒否していた「特異点」をむしろ積極的に採用する「非科学的」要因を備えた思想であるとも言えます。空間における極大と極小の「特異点」において異次元空間への連接があり得るように、時間次元においても同等の特異点が存在することを予期しているのが、現在の世界の我々にとってすでに当たり前の時空認識なのです。
 質量点としての物質粒子が世界を構成する基礎単位であるとすれば、ニュートンが仮定したように全ての存在物が引力の支配を受けているのが当たり前となります。しかしそのような特性を持つ「物質」の基幹要因として考えられていた「原子」を構成する部分的要素として「素粒子」の存在があらたに認められ、その「素粒子」は原子がそうであったように特定の「質量」を持っているわけではなく、時に原子に質量を与える要因であったり、あるいは保持する質量はゼロでありながら原子の構成要素として機能していたり、さらにまた可能性としてはマイナスの質量を持つ「素粒子」さえもが存在することが予測され得ることとなった時、「重力」と「もの(質量)」という概念そのものの再検討が必要とされることになりました。つまり質量を質量足らしめる「情報(意味)」という基礎要因の存在が新たに認められねばならないこととなったのです。時間軸の延長上に個別の存在物としての座標を維持しているもの、あるいは空間的連続性を保ち繋がった一塊のものであるという条件以外にも、存在の個別性がむしろその意義性や「形状」あるいは「性質」という条件のみにおいて確かに「同一性」として判断されるという、より踏み込んだ界面での「同定条件」の存在が考えられることとなる訳です。白金武の恋人の鑑純夏の「鑑純夏」性は、そのようなものとしてこの後『マヴラヴ・オルタネイティブ』に登場してくることになります。

ホグワーツ学院魔術学原論 中間試験問題
 以下に列挙する事象は、すべて一つの魔術的システム理論に関連して生起する現象である。これらの依拠する基幹システムの内実と、各々の事象の保持する相関について「同一性」という概念の検証を通して指摘せよ。
 5寸釘を突き立てる呪い人形は、相手の姿形を型どったものを用いる。
 写真を撮られると魂を抜かれる。
 成金や政治家は銅像を建てたがる。
 王や権力者は硬貨や紙幣に自らの肖像を刻印する。

直列と並列
 主人公白銀と夕呼博士によってなされていた、戦術機の操作プログラムの改良案についての会話の中で参照された、AIと人間知能のシステム理論的な質の違いが「並列」と「直列」でした。ここでは「並列処理」(parallel)と「直列処理」(serial)というアルゴリズム概念の相違が指摘され、さらに観察/対応対象として有限の範囲が規定されているゲーム内環境の場合と、無限に解放された環境変化が想定される現実環境の場合の重大な異なりが考察されていました。これらは実は、身近なコンピュータの機能の応用を通して容易く確認することができるものです。階層別に整理したフォルダの中に通し番号を付けて1、2、3…と単なる数字をファイル名として与えて保存していった場合では、二桁の10や3桁の100が含まれることになった時点で、コンピュータはこれらを一連の量的違いを判断することのできる数字であると認識することができなくなります。100枚以内であれば最初から000、001、002、のように3桁の数字として制約された情報により、フォルダ内の全てのファイルを統一的に関連づけておく必要があるのです。人間知性は明らかに無限対応なので、全体を見ずに部分情報のみを参考にして支障無く思考を組み立てていくことができます。このように人間の知能は、コンピュータが行うような演算アルゴリズムとは全く異なる独特の思考方法を用いて活動を行っていることが理解されます。ここに確認したようなシステム理論的観点から既存の様々な議論を振り返ってみると、様々な発見が得られるはずです。応用としては、「線的」(linear)という概念、「スカラー数」という概念などをこれらの議論に反映させてみると興味深い発見が得られることでしょう。
 社会管理の方策の手段として採用された「並列化」と、思考アルゴリズムのモデルの一つである「並列処理」の相違と関連を理解しておきましょう。
 さらにもう一つ、「開放系」と「閉鎖系」というシステム理論的概念にも注目しておいて下さい。夕呼と白金の議論と関わる実例として、人間の大脳の働きと小脳・間脳その他の神経組織との関連、および永野護の『ファイブスター・ストーリーズ』に語られた、モーターヘッドを操る際の騎士とファティマの関係を考察してみて下さい。

並列と直列
 「並列」と「直列」という対照的な概念を、他の分野における関連語句に置き換えて対比してみることにします。「並列側」と「直列側」に分けられたそれぞれの概念が示唆する、統合的宇宙解釈上の具体的な問題点を確認することができるでしょう。
 並列    ー    直列
 多義性   ー    一意性
 重ね合わせ ー    単独存在/現象
 コヒーレンスー    デコヒーレンス
 波動    ー    粒子
「人間知性」の実像と宇宙の基幹的場の原理的存在属性は、必ずしもこれまで科学的見地から信じられて来たような「直列」的なものではなさそうなのです。

11月30日、箱の中のリンゴ
 夕呼先生は「箱の中のリンゴ」で説明してましたが、話の内容は「シュレーディンガーの猫」でした。一つの世界で事象として生起する前の可能性の束である原存在は、相矛盾する状態同士を重ね持つ「確率」の霧の状態にありますが、意識を向ける観察者の行う「観測行為」のおかげで、確率の霧状態からある特定の「事象」としての収束がもたらされることになります。
 ここで「霧」と語られたものを、言葉を換えて「波動」として理解すれば、正反対の波長同士が互いを打ち消し合って相殺状態にある「コヒーレント」な状態から、これまでの均衡状態の崩壊がもたらされた結果世界の中の一現象として実体化する「デコヒーレント」な事象の具現化が得られる、と理解しても同じ結果となります。夕呼先生の平行世界理論によれば、貫平行世界的に存在を移動することができる意識は、脳波の「同期性」と「分散性」によりその遷移を実現させている訳です。

11月30日、世界が欲する
 夕呼先生の仮定した平行世界理論によれば、白銀存在は複数の平行世界間を移動することができたものの、構成要素の一つを失って本来の安定状態を喪失した世界と、余分の構成要素を重複して抱え込んでこれまた安定状態を失った世界は、お互いに初期の安定状態への回帰を果たす要素交換の再試行を行うことを欲するのであるとされていました。
 これは丁度熱力学的にみれば、エネルギー密度に濃淡の差がある空間のそれぞれが均衡状態への回帰に対する指向性を持ち、時間の経過と共に世界全体が最終的均衡状態へと同時進行する結果、結果的にはこれ以上の熱的変化の要因を持たない安定状態すなわち「熱死」に導かれるとされる「エントロピー増大則」が、世界内部の諸局所領域に関してではなく「間世界的」に適用されたことになります。

多世界理論と観測効果と観測の主体たる意識存在
 デカルトはキリスト教会の干渉を防ぐために自分の研究対象を客観的な物質存在に限定し、宗教の扱うべき領域である霊的事象については一切触れることを避けると言明することによって、「科学」という自己の研究領域を守ったのでした。しかし量子的事象の究明が進むと共に、物理的事象の生成における観測効果の影響が無視することのできないものであることが分かってきました。ここにおいて「科学」は、「意識」と意識の主体である「精神」の存在を除外することができなくなってしまった訳です。
 『マヴラヴ・オルタネイティブ』においては、無限に分岐した平行宇宙を通貫して存在可能な精神的主体である「自己」性が、物質――精神連続存在を宇宙規模で理解するための仮説として採用されていると考えることができそうです。「変性意識状態」(altered states consciousness)と呼ばれる超能力(パラサイコロジー)的事象を裏付ける未知の意識の領域は、本人の自覚しない異世界的「もう一人の私」の別種の知覚や思考の残留感覚を示しているものであるかもしれません。「夢」という未だ解明のなされていない「現象?/意識?」の謎を解く鍵が、この辺りに潜んでいるかもしれないと妄想してみたくなるところです。

 「BETA は人類を生命体として認識していない」
 これだけ聞くといかにも BETA ばかりが極悪非道みたいに思えますが、実はそんなことはないのですね。夕呼博士も言っている通り、人工授精を繰り返して効率優先で霞達の「発現体」を造り出し、作戦のために損耗率のはなはだしいハイブ突入を強いたりする人間の方が、道具としての兵士を「生命体として認識」している分だけよっぽど残酷な訳です。化粧品製造のため多数のラットを実験台にしている人間社会の利己的なありかたの実質について科学者としてはっきり自覚しており、横浜基地副司令として躊躇い無く人情を切り捨てた判断をすることができるのが夕呼博士でした。
 キリスト教の救済の理念と BETA の生命体認識を比較してみれば、さらに興味深い類似点を指摘することができます。異種の教義の存在を認めない排他的な宗教であるキリスト教は、救世主イエス・キリストの誕生以前に生まれていた聡明な哲学者や善良な市民達の全てを、当然のごとく「異教徒」として天国に召される権利を持たないものと認識していました。これはダンテの「神曲」を読めばよく理解できることです。さらにキリスト教徒となるべき人の証としての魂を持たない異種の意識体、すなわち人魚や妖精や精霊達には決して神による救いが訪れることはなかったのです。アンデルセンの「人魚姫」の主題はそこにありました。

コブタヌキツネコ
 仮構(ゲーム)と精神(プレイヤー)と時空(世界)を統合連続体として理解しようとする本講座の理念において、鑑純夏を鑑純夏として同定するための条件、すなわち存在の「同一性」解釈における従来の科学思想が前提としていたものとは異なる要素がいかに展開していたかを理解するための一助として、以下の省察「ブタヌキツネコ」の記載内容を参考にしてみて下さい。
 コブタヌキツネコ 1
 だれでも知っているように“コブタヌキツネコ”は、3時間毎にコブタータヌキーキツネーネコと、姿ばかりでなくその属性の全てを瞬時に変換して生きている特殊生物です。存在物としての座標的連続性は決して失われることがないので、コブタ、タヌキ、キツネ、ネコのいずれの様相をとっている場合においても個体としての時空的同一性は保持されているものと考えられています。このような“同一性”は論理学的には“haecceity”という言葉で呼ばれている一種の“そのもの性”です。“コブタヌキツネコ”の場合のように、姿形・内実において全面的な変更がなされてはいても、座標上の連続性が厳密に保たれている限り、コブタもタヌキもキツネもネコも厳然たる同一物として認定されることでしょう。

 一方、存在物の純然たる特質を定義づける“そのもの性”を考える概念も別に認められています。それが“quiddity”と呼ばれる、意味の複合体としての内実における同一性を同定する根拠とされる概念です。コブタヌキツネコの場合ならば、このように自身の外見・属性を変化させるという特質そのものを、この独特の性質を持った一個の存在物としての定義として記述した場合のもう一つの“そのもの性”として、先ほどのhaecceityとは別の解釈に基づく“同一性”として認めることになる訳です。つまりコブタヌキツネコのように、「3時間毎に自発動的にコブタ―タヌキ―キツネ―ネコと変化する生物」、という記述を充当するものであるならば、今度は時空的・座標的連続性を固有の存在界面において現出させているという条件を充当させる必要も全くなく、例えば「ドラゴン・クエスト」というゲームの中に登場したコブタヌキツネコも、「ドラえもん・クエスト」というアニメに描かれたコブタヌキツネコも、「ドラドラ・クエスト」というマンガの中で記述されているコブタヌキツネコも、存在物としての座標的個別性や時間的連続性を一切顧慮されることなく完全なる“同一物”として認定されることとなります。たとえそれが宇宙の概念基盤と物理法則を決定する物理定数と基幹的因果関係性のドラスティックな混乱を導いた時空・意味的相転移を発生させたとされるセカンド・インパクト以前には紛れも無くクジラッコンブであった筈の動物・植物複合体であろうと、そのコブタヌキツネコとしての“同一性”には何ら疑いを差し挟まれる余地はないのです。

  同様の原理に基づき、水をかぶった早乙女乱馬が女に変身し、お湯をかぶった女乱馬が男の姿に戻る事が出来るというのは現代仮構動画現象学の常識ですが、“水”という物質の化学的性質自体にこの変身を誘発する原因がもしないと仮定するならば、変身を左右する決定的な要因はその温度ということに集約されねばならないことになります。そこで改めて、男女の別を決定する温度の臨界値は果たして何度にあるのであろうか、という重大なフィクション・メタフィジックス的疑問が生じることになります。仮に熱過ぎもぬる過ぎもしない「40度」という数値が実験の結果確証されたとするならば、今度は男乱馬が40度の水をかぶった場合と女乱馬が40度の水をかぶった場合に、それぞれにもたらされる変身あるいはその他の変化の有無の結果が興味深いものとなるでしょう。この実験結果が納得のいく原理的理解をもたらした後の重要課題としては、絶妙の温度調整を行って厳密に40度を保ち続けている水に乱馬が浸り続けた場合に、果たして乱馬の性が何らかの変化をもたらされることはないのか、あるいは生理学的・解剖学的・遺伝学的検証に耐える何らかの変異を示し得るのか、という極めて倫理学的・教育学的重要性を持つ関心を納得させるべき検証作業が生起することとなるでしょう。さらに上の例においては、水の化学的性質が乱馬の性差決定に影響をもたらすことはないと仮定されていましたが、もし様々な液体の化学的・物理的性質が熱的物理作用以外に乱馬の性変化に何らかの影響をもたらす要因を持つことがあるという新事実が解明された際には、その物質が持つ比重や比熱や触媒的作用等様々の素因を、今度は全体性としての宇宙の相関作用及び宇宙自身の開闢以来の経過的変化という内的要因をも無視することなく加味して、乱馬の性変化を支配する運動力学あるいは全体性のシステム理論を統合する宇宙論・心理学的メカニズムが解明されなければなりません。そしてこの場合の乱馬の“同一性”あるいは“そのもの性”をいかに判別し、キャラクターあるいは霊的存在様相のペルソナ的内実を理解すべきかが、倫理・宗教ゲーム理論的に人類の最重要課題として迫りくる筈なのです。

「ダブル・スリット」実験
 12月9日のエピソードでは、夕呼博士が量子論理の基本とも言うべき存在解釈を導くきっかけとなった、電子の軌跡を検証する目的で行われた実験の内容について語ってくれています。「多世界理論」が誕生する土台となったこの実験の示唆する量子存在の特質を語る内容を、よく確認しておいて下さい。「重ね合わせ」は、英語では super position とも overlay とも言われる現象です。

鬱ゲー『マヴラヴ』
 12月10日の、戦術機のOS機能比較演習の際の突然のBETA来襲が語られるエピソードでは、以前に経験して覚えた情報が全く役に立たない新規の事態が生成して、これまでの有能な救世主白銀の人物像を演じることが不可能になった主人公の、壊滅的な挫折の有様が語られることになります。「鬱ゲー」と呼ばれる『マヴラヴ』の真髄は、この辺りから開帳されることになる訳です。大変重く、辛いエピソードが長々と続くことになりますが、これこそ『マヴラヴ』の真骨頂と言える部分なのです。世界の根本にある問題性の重さに耐えかねて現実の瑣末事に逃げるのは、年取って精神対応力の虚弱化した大人のよくやることですが、現実からも根本原理からも逃げないのがこのエロゲーです。

元の世界に逃げ帰って、また追われるように
 12月10日(元の世界では12月13日から12月17日まで)は、主人公白銀武のずたずたぼろぼろのエピソードが語られることになります。
 もとの世界でもこちらに劣らない悲惨な体験を余儀なくされ、「世界を救う傍観者」としての立場から「世界に害悪をもたらした張本人」への残酷な移行を経験することになります。主観の中に描かれた幻想世界から覚醒した後の苛酷な現実世界の実相として、実は同等の精神的体験は我々の誰のもとにも訪れる可能性のあるものです。
 全てを失って精神的に生まれ変わり、またこちらの世界に戻って仕切り直し、一人の「弱虫」として一からやり直しです。あちらの世界の12月13日から12月17日までは、長過ぎるので講義では省略させて頂きます。
 再びこちらの世界に戻って、00ユニットの完成を知らされると共にいよいよ鑑純夏の消息が判明する。こちらの世界の日付は12月17日、これに続く12月18日辺りが「哲学的主題」の始まりです。次週の講義はこの辺りに飛んで行きます。途中の重たいエピソードはこのゲームの真髄とも言える部分なので、是非各自でプレイして確認しておいて下さい。

「エロゲー」としての新機軸
 新規の攻略対象と攻略ステージの考案―エロのための哲学と形而上学
 12月19日のエピソードでは、BETAに関する生態学的解釈を企てた際の、常識では到底理解不能の未知の要素が、むしろ際立ってリアリスティックに語られています。12月20日のエピソードにおいては、新種の敵であるBETAを相手にすべき戦術的考証として対応を迫られることになった戦術機の設計思想の変化が、極めて論理的にきめ細かく語られていました。共に画面の動きがない、映像として表現するには非常に困難な抽象的内容が密につまったエピソードでしたが、基本設定がしっかりしているのでむしろ見応えがあります。ゲームだからといって全てを絵で表現しなくとも、文字データによる概念的記述のみで十分に鑑賞に足ることが証明された2回のエピソードでしたが、その裏で白銀と00ユニット純夏との機縁の深まりも同時進行で語られていきます。
 12月21日のエピソードは、ハイブ突入を目指した演習におけるフォーメーションの意義性の戦術的把握が、今度は新しく加わった分隊の同士達との会話を通して語られていました。これらの裏設定のおさらいの後12月22日のエピソードに至り、ようやくこのゲームのストーリーの結末を予期させる今後の展開への道筋と、これまで隠されていた事実のさらなる開示が得られることになります。それはやはり完成した00ユニット純夏の存在性向の担う“自己同一性再検証”に関する概念理解の手法の再提示という形で展開していくことになる訳です。“エロゲー『マヴラヴ』”として他に例を見ない特異な攻略対象と最終攻略ステージを構築するために、間多世界的情報伝播の超宇宙論的仮説に基づいた、“貫多世界的人格同一性”という概念の経験則的理解の枠を超えた大胆な提示がなされることになる訳です。考えてみれば滅茶苦茶重たい“エロゲー”ではありました。

“最終兵器彼女純夏”
 12月23日にはいよいよ、12月25日に佐渡島ハイブ総攻撃が行われる計画があることが部隊に告知されます。しかし12月24日まで、相変わらずのまったりとしたペースで、冥夜や他の仲間達との交流を通して『マヴラヴ』の反省心に満ちた緻密な世界観の掘り下げがなされていきます。遂に00ユニット純夏が人類の切り札である最終兵器の中央演算処理ユニットとして機能するものであることが明かされ、いまだに動作が不安定な純夏に対する白銀の“調律”の重要性が夕呼博士によって説明されます。
 12月25日は人類の命運を賭けた佐渡島総攻撃が行われますが、純夏を搭載した新兵器は圧倒的な攻撃力を発揮した直後に、原因不明の不調を起こして擱座してしまいます。新たな希望の幕開けを感じさせると同時に、くやしいばかりのあっけない結末を迎えたのが、12月25日の佐渡島総攻撃でした。
 12月26日には夕呼博士との話し合いの結果純夏の突然の不調の原因が明らかにされ、改めて白銀は世界を背負う自分の運命の重さを眼前に突きつけられてしまうことになります。“因果導体”として多世界間の情報(記憶)の混淆をもたらしてしまう特殊存在である白銀に全ての原因があったのですが、この事実に対する夕呼博士の合理的に割り切った科学者的判断には驚嘆すべきものがあります。このような苛酷な経験を通して「大人になる」と同時に、白銀独自の「大人になって割り切る」ことのできない純粋な精神のみが00ユニット純夏の「調律」に役立つことを教えられることになります。

お約束のエッチ・シーン
 「エロゲー界の哲学」としての『マヴラヴ・オルタネイティブ』に対する考察の、この講義のヤマとなるお約束のエッチシーンは、12月28日のエピソード開始後2時間20分辺りから20分程の時間で展開されています。“ダッチワイフとのエッチ”という特殊状況を効果的に演出するために、“平行宇宙”間を遷移する“因果導体”と世界と個人の保持する“記憶情報”の伝播という擬似科学的仮説、さらに“貫多世界的同一性”という形而上的思弁を展開したのが、この理屈っぽいエロゲーだったのでした。

エッチ・シーンの背景―貫多世界的形而上SFドラマでもある壮大極まりないエロゲー
 12月27日には、精神状態の安定した00ユニット純夏が衛士の一員として小隊に配属されてきます。純夏と小隊の他の仲間達との出会いをきっかけに、白銀自身の現在の記憶が複数の平行世界の白銀の体験記憶の重ね合わせ(具体的には他の女の子たちとのエッチ経験の記憶)となっていることが分かります。このことが純夏の調律に微妙な影響をもたらすことにもなる訳です。そこの問題点を解消するためにも、白銀と純夏が性交渉を持って人間存在としての縁を深めることの必要性が生起してきます。
 12月28日にはエロゲーとしてのクライマックスとして、ようやく白銀と純夏のエッチ・シーンが描かれることになります。しかし二人が結ばれたこの日の夜が明ける間もなく、横浜基地は思いがけないBETAの奇襲に見舞われ、人類はさらなる深刻な状況を迎えることになるのです。







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27 October

2010和洋女子大学公開授業 テキスト公開

Fate stay nightノート

 プロローグ第1日目、凛がサーヴァント召喚を行うあたりで、この仮構世界の基本原理を形成すると思われる特殊な概念とそれらの織りなす独特の関係性が紹介されている。興味深いのは、文字列とそこに振られた読みがな(ルビ)とが意味を乖離した二重構造を形成するという、一種のタイポグラフィーの工夫を活用してこの概念操作が行われている点である。

プロローグ
 「Schliessung(ロック)、 Verfahren(コード)、 Drei(3)。」
 聖杯戦争に参加する条件。それはサーヴァントと呼ばれる使い魔を招集し、契約する事のみだ。サーヴァントは通常の使い魔とは一線を画す存在だ。その召喚、使役方法も通常の使い魔とは異なる。
 ……サーヴァントはシンボルによって引き寄せられる。強力なサーヴァントを呼び出したいのなら、そのサーヴァントに縁のあるモノが必要不可欠なのだ、かぁ……つまり、そのサーヴァントが持っていた剣とか鎧とか、紋章とか、そういうとんでもない値打ち物だ。
 「閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。」
 繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する。
 「―Anfang(セット)。」
 ……指先から溶けていく。否、指先から満たされていく。取り込むマナがあまりにも濃密だから、もとからあった肉体の感覚が塗りつぶされていく。だから、満たされるという事は、同時に破却するという事だ。魔術刻印は術者であるわたしを補助する為、独自に詠唱を始め、わたしの神経を侵していく。取り入れた外気(マナ)は血液に。始めよう。取り入れたマナを“固定化”する為の魔力へと変換する。視覚が閉ざされる、目前には肉眼で捉えられぬという第五要素。故に、潰されるのを恐れ、視覚は自ら停止する。
 「Vertrag(令呪に告げる)….! Ein neuer Nagel(聖杯の規律に従い、) Ein neues Gesetz(この者、我がサーヴァントに) Ein neues Verbrechen(諌めの法を重ね給え)-- 」
 ―右手に刻まれた印が疼く。三つの令呪。聖杯戦争の要、サーヴァントを律するという三つの絶対命令権が行使される。
 「……はあ。いいかね。令呪はサーヴァントを強制的に行動させるものだ。 それは“行動を止める”だけでなく、“行動を強化させる”という意味でもある。」
 「そっか。サーヴァントは聖杯に呼ばれるけど、呼ばれたサーヴァントをこの世に留めるのは。」
 「そう、マスターの力だ。サーヴァントはマスターからの魔力供給によってこの世に留まる。」

 『FATE』では魔法使いによって召喚された“英霊”、つまり神話・伝説上の英雄的存在達が互いに戦い合い、莫大な願いを叶える力を備えているといわれる“聖杯”を勝ち取るゲームを展開する訳だが、ここで興味深いのは召喚の対象となる英雄達の素性である。彼等は、各々がギリシア神話や古代アイルランド神話等の中で活躍した、“英雄”と目されるものであったのだが、それぞれの存在する次元界面が異なっているために、互いに関わり合いを持つことがあり得ない独立したキャラクター同士だった。しかしこの『FATE』という一つのフィクションの中において、彼等の存在性向を束縛していた次元的断絶が超克され、一つのルールのもとに“戦い合う”という関係性を賦与されて、結果的にこれらのキャラクター達を媒介軸として、複数の神話・伝説の世界の統合と融和がなされる結果が招来していることになる。そればかりでなく、召喚された英霊の一人の佐々木小次郎などは、本人が自分が神話や伝説を通して醸成された存在とは異なる、純粋にフィクションの中の一切の現世的実体性を持たない存在であることを自覚しているのである。このゲームにおいては、何らかの歴史的事実を核としてその存在傾向を確定させていた神話・伝説上の存在達に加えて、さらにとりとめの無い空想上のキャラクターまでもが同一空間に勢揃いして、互いの存在論的意義性を付託し合うことが可能となっていることになる。このような世界観断絶の跳躍が可能となる可能世界次元として、『FATE』というフィクション空間を成立せしめている世界の肌理の構成単位、あるいは宇宙論的“場”がいかなる特質を持っているものとして仮定されているのかが、重要な論考の対象となるはずである。システム理論的には、この『FATE』というゲームにおけるオリジナルの“英雄”像であるアーチャーの存在までもがさらに付け加えられていることが、見逃すことのできない構造的特質となる。

 Fate 2日目(2月1日)の重要箇所と思われる部分のテキスト。魔法とサーヴァントとの関連が、固有の専門用語を通して語られている。殊に興味深いのが、“英霊”とされるものの存在論的内実だろう。

 聖杯に選ばれた魔術師はマスターと呼ばれ、マスターは聖杯の恩恵により強力な使い魔(サーヴァント)を得る。―――マスターの証は二つ。サーヴァントを召喚し、それを従わせる事と。サーヴァントを律する、三つの令呪を宿す事だ。アーチャーを召喚した事で、右手に刻まれた文様。これが令呪。聖杯によってもたらされた聖痕(よちょう)が、サーヴァントを召喚する事によって変化したマスターの証である。強大な魔力が凝縮された刻印は、永続的な物ではなく瞬間的な物だ。これは使う事によって失われていく物で、形の通り、一画で一回分の意味がある。
 「……あいつの記憶が戻るまで法具(きりふだ)は封印か……思いだせないんじゃ使いようがないしね。」
 「ああ、そういう事か。」

 「それも問題ではない。確かに着替える必要はあるが、それは実体化している時だけでね。サーヴァントはもともと霊体だ。非戦闘時には霊体になってマスターにかける負担を減らす。」
 「あ、そっか。召喚されたって英霊は英霊だものね。霊体に肉体を与えるのはマスターの魔力なんだから、わたしが魔力提供をカットすれば。」
 「自然、我々も霊体に戻る。そうなったサーヴァントは守護霊のようなものだ。レイラインで繋がっているマスター以外には観測されない。もっとも、会話程度は出来るから偵察ならば支障はないが」

 「マスター、私のクラスは何か忘れたのか。遠く離れた敵の位置を探るなど、騎士あがりにできるものか。」
 ――――固有結界。魔術師にとって到達点の一つとされる魔術で、魔法に限りなく近い魔術、と言われている。ここ数百年、“結界”は魔術師を守る防御陣と相場が決まっている。簡単に言ってしまえば、家に付いている防犯装置が極悪になったモノだ。もとからある土地・建物に手を加え、外敵から自らを守るのが結界。それはあくまで“すでにあるもの”に手を加えるだけの変化にすぎない。だが、この固有結界というモノは違う。固有結界は、現実を浸食するイメージである。魔術師の心象世界――心のあり方そのものを形として、現実を塗りつぶす結界を固有結界と呼ぶ。……周囲に意識を伸ばす。精神で作り上げた糸を敷き詰め、公園中を索敵する。
 「……わたしじゃ見つけられない。アーチャー、貴方は?」
***************************************

 ここで“レイライン”と呼ばれているものは、大地の気の流れとして知られるあの“ley line”とは異なる、独特の造語である“霊ライン”なのだろう。
 “固有結界”についての説明の、“現実を浸食するイメージである。”という部分が、英霊の存在性と等質の存在論的仮説に基づいていることが分かる。このあたりの裏設定を理解するためには、物理現象の生成に関する“観測効果”についての理解を深めておく必要がある。

続いてFate 第3日目(2月2日)の前半。
 人間存在あるいは英霊を規定する概念の中で、“たましい”と“精神”という言葉がいかなる背景のもとに理解されているかが、殊に興味深いものとなる。類例としては、「魂」と「魄」の関係性などを挙げることもできるだろう。

2月2日
 一時的にこの呪刻(けっかい)から魔力を消す事はできるけど、呪刻(けっかい)そのものを撤去させる事はできない。術者が再びここに魔力を通せば、それだけで呪刻(けっかい)は復活してしまうだろう。内部の人間から精神力や体力を奪うという結界はある。けれど、いま学校に張られようとしている結界は別格だ。これは魂食い。結界内の人間の体を溶かして、滲み出る魂を強引に集める血の要塞(ブラッドフォート)に他ならない。古来、魂というものは扱いが難しい。在るとされ、魔術において必要な要素と言われているが、魂(それ)を確立させた魔術師は一人しかいない程だ。魂はあくまで“内容を調べるモノ”“器に移し替えるモノ”に留まる。それを抜き出すだけでは飽き足らず、一つの箇所に集めるという事は理解不能だ。だって、そんな変換不可能なエネルギーを集めたところで魔術師には使い道がない。だから、意味があるとすれば、それは。
 「アーチャー。貴方たちってそういうモノ?」
 知らず、冷たい声で問いただした。
 「……ご推察の通りだ。我々は基本的に霊体だと言っただろう。故に食事は第二(たましい)、ないし第三(せいしん)要素となる。君たちが肉を栄養とするように、サーヴァントは精神と魂を栄養とする。」
 地面に描かれた呪刻に近寄り、左腕を差し出す。左腕に刻まれたわたしの魔術刻印は、遠坂の家系が伝える“魔道書”だ。ぱちん、と意識のスイッチをいれる。魔術刻印に魔力を通して、結界消去が記されている一節を読み込んで、あとは一息で発動させるだけ。
 「Abzug(消去) Beldienung(摘出手術) Mittelstnda(第二節)。Es ist gros(軽量)。 Es ist klein……(重圧)!!」
 サーヴァント。七人のマスターに従う、それぞれ異なった役割(クラス)の使い魔たち。それは聖杯自身が招き寄せる、英霊と呼ばれる最高位の使い魔だ。 サーヴァントとは、それ自体が既に、魔術の上にある存在(モノ)なのだ。率直に言おう。サーヴァントとは、過去の英雄そのものである。神話、伝説、寓話、歴史。真偽問わず、伝承の中で活躍し確固たる存在となった“超人”たちを英霊という。人々の間で永久不変となった英雄は、死後、人間というカテゴリーから除外されて別の存在に昇格する。……奇跡を行い、人々を救い、偉業を成し遂げた人間は、生前、ないし死後に英雄として祭り上げられる。そうして祭り上げられた彼らは、死後に英霊と呼ばれる精霊に昇格し、人間サイドの守護者となる。これは実在の人物であろうが神話上の人物であろうが構わない。英雄を作り出すのは人々の想念だ。聖杯は英霊たちが形になりやすい“器(クラス)”を設け、器に該当する英霊のみを召喚させる。予め振り分けられたクラスは七つ。
 剣の騎士、セイバー。槍の騎士、ランサー。弓の騎士、アーチャー。騎乗兵、ライダー。魔術師、キャスター。暗殺者、アサシン。狂戦士、バーサーカー。
 この七つのクラスのいずれかの属性を持つ英霊だけが現代に召喚され、マスターに従う使い魔――サーヴァントとなる。サーヴァントとは、英雄が死後に霊格を昇華させ、精霊、聖霊と同格になった者を指す。かつて、竜を殺し神を殺し、万物に君臨してきた英雄の武器。サーヴァントは自らの魔力を以てその“宝具”を発動させる。言うなれば魔術と同じだ。サーヴァントたちは、自らの武器を触媒にして伝説上の破壊を再現する。敵サーヴァントを打破するには、その正体を知ることが近道となる。自分の正体さえ知らないバカものは例外として、サーヴァントにとって最大の弱点はその“本名”なのだ。サーヴァントの本名―つまり正体さえ知ってしまえば、その英霊が“どんな宝具を所有しているか”は大体推測できる為だ。言うまでもないが、サーヴァントは英霊である以上、確固たる伝説を持っている。それを紐解いてしまえば、能力の大部分を解明する事ができる。サーヴァントがクラス名で呼ばれるのは、要するに“真名”を隠す為なのだ。なにしろ有名な英雄ほど、隠し持つ武器や弱点が知れ渡っているんだから。サーヴァントとなった英霊は決して自分の正体を明かさない。サーヴァントの正体を知るのはそのサーヴァントのマスターのみ。

 「願い?そんなの、別にないけど。」
 「――なに?よし、よしんば明確な望みがないのであれば、漠然とした願いはどうだ。例えば、世界を手にするといった風な。」
 「なんで?世界なんてとっくにわたしの物じゃない。」
 「あのね、アーチャー。世界ってのはつまり、自分を中心とした価値観でしょ?そんなものは生まれたときからわたしの物よ。そんな世界を支配しろっていうんなら、わたしはとっくに世界を支配しているわ。」

 気配が、気配にうち消される。
 ランサーというサーヴァントの力の波が、それを上回る力の波に消されていく。……瞬間的に爆発したエーテルは幽体であるソレに肉を与え、
 実体化したソレは、ランサーを圧倒するモノとして召喚された。

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 凛の「願いや野望なんてものは別にない」という醒めた認識が、かつての伝説を形成した英雄達の保持していた筈の世界観とは明らかに異なる、はなはだ現代的な生の感覚をあらわしている。戦いの目的や偉業を成し遂げることなどの基幹原理に対する率直な疑問を提示する、常に反省的な意識がむしろこの作品の基調となっているのである。“英雄”の意味と“正義”の内実の再検証がこのエロゲーの中心的関心事なのである。
 “エーテル”という概念については、物理学と宇宙論に関する歴史的な意味の変化を調べてみると興味深い。
 遠坂凛の登場するプロローグは、魔法という主題に関してかなりややこしい裏設定のあるこのゲーム世界を解説する役割を果たしていたようである。プロローグであると同時に、凛パートでゲームを進めた場合の、ゲームオーバーを迎える一つの結末としても理解できるのが、ここまでの進行であった。

 士郎パートの本編1日目の重要部分を以下に抜き出す。
Fate stay night
プロローグ
 両親とか家とか、そのあたりが無くなってしまえば、小さな子供には何もない。だから体以外はゼロになった。要約すれば単純な話だと思う。つまり、体を生き延びらせた代償に。心の方が、死んだのだ。
1月31日
 テーブルに朝食が並んでいく。鳥ささみと三つ葉のサラダ、鮭の照り焼き、ほうれん草のおひたし、大根とにんじんのみそ汁、ついてにとろろ汁まで完備、という文句なしの献立だ。古びた電気ストーブに手を触れる。普通、いくらこの手の修理に慣れているからって、見た程度で故障箇所は判断しにくい。それが判るという事は、俺のやっている事は普通じゃないってことだ。視覚を閉じて、触覚でストーブの中身を視る。――途端。頭の中に沸き上がってくる一つのイメージ。伝熱管がイカレてたら素人の手には負えない。その時は素人じゃない方法で“強化”しなくてはいけなかったが、これなら内部を視るだけで十分だ。それが切嗣に教わった、衛宮士郎の“魔術”である。
 そう。衛宮士郎に魔術の才能はまったく無かった。その代わりといってはなんだが、物の構造、さっきみたいに設計図を連想する事だけはバカみたいに巧いと思う。実際、設計図を連想して再現した時なんて、親父は目を丸くして驚いた後、「なんて無駄な才能だ」なんて嘆いていたっけ。物事の核である中心を即座に読み取り、誰よりも速く変化させるのが魔術師たちの戦いだと言う。

 「せーのっ、起きろー、タイガー。」
 全員が声を合わせたわりには、呟くような大きさだった。
 「……まったく、人が良いのも考え物だな。衛宮がいてくれると助かるが、他の連中にいいように使われるのは我慢ならん。人助けはいい事だが、もう少し相手を選ぶべきではないか。衛宮の場合、来る人拒まず過ぎる。」
 「? そんなに節操ないか、俺」
 「早く呼び出さないと死んじゃうよ、お兄ちゃん。」

 鶏肉はじっくり煮込めば煮込むほど硬くなってしまう。故に、面倒でも煮る前に表面をこんがりと焼いておくと旨味を損なわずジューシーな仕上がりになる。
 「じゃあ話しちゃおう。これがねー、士郎は困った人を放っておけない性格なのよ。弱きを助け強きをくじくってやつ。子供の頃の作文なんてね、ボクの夢は正義の味方になる事です、だったんだから。」

 深夜零時前、衛宮士郎は日課になっている“魔術”を行わなくてはならない。
 「―――――」
 結跏趺坐に姿勢をとり、呼吸を整える。頭の中はできるだけ白紙に。外界との接触はさけ、意識は全て内界に向ける。
 「―――同調(トレース)、開始(オン)。」
 自己に暗示をかけるよう、言い慣れた呪文を呟く。
 否、それは本当に自己暗示にすぎない。魔術刻印とやらがなく、魔道の知識もない自分にとって、呪文は自分を変革させる為だけの物だ。……本来、人間の体に魔力を通す神経(ライン)はない。それを擬似的に作り、一時的に変革させるからには、自身の肉体、神経全てを統括しうる集中力が必要になる。魔術は自己との戦いだ。例えば、この瞬間、背骨に焼けた鉄の棒を突き刺していく。 その鉄の棒こそ、たった一本だけ用意できる自分の“魔術回路”だ。これを体の奥まで通し、他の神経と繋げられた時、ようやく自分は魔術使いとなる。それは比喩ではない。実際、衛宮士郎の背骨には、目に見えず手に触れられない“火箸に似たモノが、ズブズブと差し込まれている。
 「―――僕は魔法使いなのだ。」
 そう言った衛宮切嗣は、本当に魔術師だった。数々の神秘を学び、世界の構造とやらに肉薄し、奇跡を実行する生粋の魔術師。その切嗣に憧れて、とにかく魔術を教えてくれとねだった幼い自分。だが、魔術師というのはなろうとしてなれる物ではない。持って生まれた才能が必要だし、相応の知識も必要になってくる。で、もちろん俺には持って生まれた才能なんてないし、切嗣は魔道の知識なんて教えてくれなかった。
 なんでも、そんなモノは君には必要ない、とかなんとか。今でもその言葉の意味は判らない。それでも、子供だったじぶんにはどうでも良かったのだろう。 ともかく魔術さえ使えれば、切嗣のようになれると思ったのだ。しかし、持って生まれた才能―――魔術回路とやらの多さも、代々積み重ねて来た魔術の業も俺にはなかった。切嗣の持っていた魔術の業……衛宮の家に伝わっていた魔術刻印とやらは、肉親にしか移植できないモノなのだそうだ。魔術師の証である魔術刻印は、血の繋がっていない人間には拒否反応が出る。だから養子である俺には、衛宮家の刻印は受け取れなかった。
 いやまあ。実際、魔術刻印っていう物がなんなのか知らない俺から見れば、そんなのが有ろうが無かろうがこれっぽっちも関係ない話ではある。で、そうなるとあとはもう出たトコ勝負。魔術師になりたいなら、俺自身が持っている特質に応じた魔術を習うしかない。魔術とは、極端に言って魔力を放出する技術なのだという。魔力とは生命力と言い換えてもいい。魔力(それ)は世界に満ちている大源(マナ)と、生物の中で生成される小源(オド)に分かれる。大源、小源というからには、小より大のが優れているのは言うまでもない。人間一人が作る魔力である小源(オド)と、世界に満ちている魔力である大源(マナ)では力の度合いが段違いだ。どのような魔術であれ、大源(マナ)をもちいれる魔術は個人で行う魔術をたやすく凌駕する。そういったワケで、優れた魔術師は世界から魔力をくみ上げる術に長けている。それは濾過器のイメージに近い。
 魔術師は自身の体を変換回路にして、外界から魔力(マナ)を汲み上げて人間でも使えるモノ、にするのだ。この変換回路を、魔術師は魔術回路(マジックサーキット)と呼ぶ。これこそが生まれつきの才能というヤツで、魔術回路の数は生まれた瞬間に決まっている。一般の人間に魔術回路はほとんどない。それは本来少ないモノなのだ。だから魔術師は何代も血を重ね、生まれてくる子孫たちを、より魔術に適した肉体にする。いきすぎた家系は品種改良じみた真似までして、生まれてくる子供の魔術回路を増やすのだとか。
 ……まあ、そんな訳で普通の家庭に育った俺には、多くの魔術回路を望むべくもなかった。そうなると残された手段は一つ。切嗣曰く、どんな人間にも一つぐらいは適性のある魔術系統があるらしい。その人間の“起源”に従って魔力を引き出す、と言っていたけど、そのあたりの話はちんぷんかんぷんだ。確かな事は、俺みたいなヤツでも一つぐらいは使える魔術があって、それを鍛えていけば、いつか切嗣のようになれるかもしれない、という事だけだった。だから、ただその魔術だけを教わった。それが八年前の話。
 切嗣はさんざん迷った後、厳しい顔で俺を弟子と認めてくれた。
 「――――いいかい士郎。魔術を習う、という事は常識からかけ離れるという事だ。死ぬ時は死に、殺す時は殺す。僕たちの本質は生ではなく死だからね。魔術とは、自らを滅ぼす道に他ならない― 」
 幼い心は恐れを知らなかったのだろう。強く頷く衛宮士郎の頭に、切嗣は仕方なげに手を置いて苦笑していた。
 「――君に教えるのは、そういった争いを呼ぶ類いの物だ。だから人前で使ってはいけないし、難しい物だから鍛錬を怠ってもいけない。でもまあ、それは破ったって構わない。一番大事な事はね、魔術は自分の為じゃなくて他人の為にだけ使う、という事だよ。そうすれば士郎は魔術使いではあるけど、魔術師ではなくなるからねーー」
 ……切嗣は、衛宮士郎に魔術師になってほしくなかったのだろう。それは構わないと思う。俺が憧れていたのは切嗣であって魔術師じゃない。ただ切嗣のように、あの赤い日のように、誰かの為になれるなら、それはーー

 衛宮士郎は魔術師じゃない。こうやって体内で魔力を生成できて、それをモノに流す事だけしかできない魔術使いだ。だからその魔術もたった一つの事だけしかできない。それが――
 「――構成材質、解明。」
 物体の強化。対象となるモノの構造を把握し、魔力を通す事で一時的に能力を補強する“強化”の魔術だけである。
 「――、基本骨子、変更。」
 目前にあるのは折れた鉄パイプ。これに魔力を通し、もっとも単純な硬度強化の魔術を成し得る。
 そもそも、自分以外のモノに自分の魔力を通す、という事は毒物を混入させるに等しい。衛宮士郎の血は、鉄パイプにとって血ではないのと同じ事。異なる血を通せば強化どころか崩壊を早めるだけだろう。

 今朝のメニューは定番の他、主菜でレンコンとこんにゃくのいり鶏が用意されていた。朝っぱらからこんな手の込んだ物を作らなくとも、と思うのだが、きっと大量に作って昼の弁当に使うのだろう。

 十年前。まだあの火事の記憶を忘れられない頃は、頻繁に夢にうなされていた。それも月日が経つごとになくなって、今では夢を見てもさらりと流せるぐらいに立ち直れている。……ただ、当時はわりと酷かったらしく、その時からうちにいた藤ねえは、俺のそういった変化には敏感なのだ。

「……気のせいか、これ。」
 なのに、目を閉じると雰囲気が一変する。校舎には粘膜のような汚れが張り付き、校庭を走る生徒たちはどこか虚ろな人形みたいに感じられる。青い方のソレに、吐き気がするほどの魔力が流れていく。周囲から魔力を吸い上げる、という行為は切嗣に見せてもらった事がある。それは半人前の俺から見ても感心させられる、一種美しさを伴った魔術だった。だがアレは違う。水を飲む、という単純な行為も度を過ぎれば醜悪に見えるように。ヤツがしている事は、魔力を持つ者なら嫌悪を覚えるほど暴食で、絶大だった。

 こみ上げてくる物を堪えながら、手近な教室に入る。おぼつかない足取りのままロッカーを開けて、雑巾とバケツを取り出した。
 「……あれ……なにしてるんだろ、俺……。」
 まだ頭がパニックしてる。とんでもないモノに出会って、いきなり殺されたっていうのに、なんだってこんな時まで、後片付けをしなくちゃいけないなんて思ってるんだ、馬鹿。

 「――――同調(トレース)、開始(オン)。」
 自己を作り替える暗示の言葉とともに、長さ六十センチ程度のポスターに魔力を通す。 あの槍をどうにかしようというモノに仕上げるのだから、ポスター全てに魔力を通し、固定化させなければ武器としては使えないだろう。
 「――――構成材質、解明。」
 意識を細く。皮膚ごしに、自らの血をポスターに染み込ませていくように、魔力という触覚を浸透させる。
  「――――構成材質、補強。」
 こん、と底に当たる感触。ポスターの隅々まで魔力が行き渡り、溢れる直前、
  「――――全行程(トレース)、完了(オフ。)」

 「ゴーストライナー……?じゃあその、やっぱり幽霊って事か?」
 とうの昔に死んでいる人間の霊。死した後もこの世に姿を残す、卓越した能力者の残留思念。だが、それはおかしい。幽霊は体を持たない。霊が傷つけられるのは霊だけだ。故に、肉を持つ人間である俺が、霊に直接殺されるなんてあり得ない。」
 「幽霊……似たようなものだけど、そんなモンと一緒にしたらセイバーに殺されるわよ。サーヴァントは受肉した過去の英雄、精霊に近い人間以上の存在なんだから」
 「――――はあ?受肉した過去の英霊?」
 「そうよ。過去だろうが現代だろうが、とにかく死亡した伝説上の英雄を引っ張ってきてね、実体化させるのよ。ま、呼び出すまでがマスターの役割で、あとの実体化は聖杯がしてくれるんだけどね。魂をカタチにするなんてのは一介の魔術師には不可能だもの。ここは強力なアーティファクトの力におんぶしてもらうってわけ。」
 「ちょっと待て。過去の英雄って、ええ……!?」
 セイバーを見る。なら彼女も英雄だった人間なのか。いや、そりゃ確かに、あんな格好をした人間は現代にはいないけど、それにしたって――――
 「そんなの不可能だ。そんな魔術、聞いた事がない。」
 「当然よ、これは魔術じゃないもの。あくまで聖杯による現象と考えなさい。そうでなければ魂を再現して固定化するなんて出来る筈がない。」
 「……魂の再現って……じゃあその、サーヴァントは幽霊とは違うのか……」
 「違うわ。人間であれ動物であれ機会であれ、偉大な功績を残すと輪廻の枠から外されて、一段階上に昇華するって話、聞いたことない?英霊っていうのはそういう連中よ。ようするに崇め奉られて、擬似的な神様になったモノたちなんでしょうね。降霊術とか口寄せとか、そういう一般的な“霊を扱う魔術”は英雄(かれら)の力の一部を借り受けて奇跡を起こすでしょ。けどこのサーヴァントっていうのは英霊本体を直接連れてきて使い魔にする。だから基本的には霊体として側にいるけど、必要とあらば実体化させて戦わせられるってワケ。」

2月3日朝
 「そうなると原因はサーヴァントね。貴方のサーヴァントはよっぽど強力なのか、それとも召還の時に何か手違いが生じたのか。……ま、両方だと思うけど、何らかのラインが繋がったんでしょうね。」
 「ライン?ラインって、使い魔と魔術師を結ぶ因果線の事?」
 「あら、ちゃんと使い魔の知識はあるじゃない。なら話は早いわ。ようするに衛宮くんとセイバーの関係は、普通の主人と使い魔の関係じゃないってコト。見たところセイバーには自然治癒の力もあるみたいだから、それが貴方に流れてるんじゃないかな。普通は魔術師の能力が使い魔に付与されるんだけど、貴方の場合は使い魔の特殊能力が主人を助けてるってワケ。」

 「聖杯を手に入れる為にマスターがサーヴァントを呼び出す、じゃない。聖杯が手に入るからサーヴァントはマスターの呼び出しに応じるのよ。」
 「マスター同士で和解して、お互いに聖杯を諦めれば話は済むと思っていたけれど、サーヴァントが聖杯を求めて召還に応じて現れたモノで、けして聖杯を諦めないのならば、それじゃ結局、サーヴァント同士の戦いは避けられない。 ……なら。自分を守るために戦い抜いてくれたあの少女も、聖杯を巡って争い、殺し、殺される立場だというのか。……なんてことだ。英霊だかなんだか知らないけど、セイバーは人間だ。昨日だってあんなに血を流してた。」
 「あ、その点は安心して。サーヴァントに生死はないから。サーヴァントは絶命しても本来の場所に帰るだけだもの。英霊っていうのはもう死んでも死なない現象だからね。戦いに敗れて殺されるのは、当事者であるマスターだけよ。」

 「そうよ。けれどサーヴァント達は私たちみたいに自然から魔力(マナ)を提供されている訳じゃない。基本的に、彼らは自分の中だけの魔力で活動する。それを補助するのがわたしたちマスターで、サーヴァントは自分の魔力プラス、主であるマスターの魔力分しか生前の力を発揮できないの。けど、それだと貴方みたいに半人前のマスターじゃ優れたマスターには敵わないって事になるでしょ?その抜け道っていうか、当たり前って言えば当たり前の方法なんだけれど、サーヴァントは他から魔力を補充できる。サーヴァントは霊体だから。同じモノを食べてしまえば栄養はとれるってこと。」
 「簡単でしょ。自然霊は自然そのものから力を汲み取る。なら人間霊であるサーヴァントは、一体何から力を汲み取ると思う?まず、呼び出される英霊は七人だけ。その七人も聖杯が予め作っておいた役割(クラス)になる事で召還が可能となる。英霊そのものをひっぱってくるより、その英霊に近い役割を作っておいて、そこに本体を呼び出すっていうやり方ね。口寄せとか降霊術は、呼び出した霊を術者の体に入れて、なんらかの助言をさせるでしょ?それと同じ。 時代の違う霊を呼び出すには、予め筐(はこ)を用意しておいた方がいいのよ。」
 「役割(クラス)――ああ、それでセイバーはセイバーなのか!」
 「そういう事。英霊たちは正体を隠すものだって言ったでしょ。だから本名は絶対に口にしない。自然、彼らを現す名称は呼び出されたクラス名になる。」
 「それもあるけど、彼らの能力を支えるのは知名度よ。生前何をしたか、どんな武器を持っていたか、ってのは不変のものだけど、彼らの基本能力はその時代でどのくらい有名なのかで変わってくるわ。英霊は神さまみたいなモノだから、人間に崇められれば崇められるほど強さが増すの。存在が濃くなる、とでも言うのかしらね。信仰を失った神霊が精霊に落ちるのと一緒で、人々に忘れ去られた英雄にはそう大きな力はない。」

 「彼らにはそれぞれトレードマークとなった武器がある。それが奇跡を願う人々の想いの結晶、貴い幻想とされる最上級の武装なワケ。」
 何故だろう。聖杯には、嫌悪感しか湧かない。望みを叶えるという杯。それがどんなモノかは知らないが、サーヴァントなんていうモノを呼び出せる程の聖遺物だ。どんな望みも叶える、とまではいかないにしても、魔術師として手に入れる価値は十分すぎる程あるだろう。それでも―俺はそんなモノに興味はない。実感が湧かず半信半疑という事もあるのだが、結局のところ、そんな近道はなんか卑怯だと思うのだ。それに、選定方法が戦いだっていうのも質が悪い。……だが、これは椅子取りゲームだ。どのような思惑だろうと、参加したからには相手を押し退けないと生き残れない。その、押し退ける方法によっては、無関係な人々にまで危害を加える事になる。だから、――喜べ衛宮士郎。俺の戦う理由は聖杯戦争に勝ち残る為じゃなくて、――君の望みは、ようやく敵う。どんな手を使っても勝ち残ろうとするヤツを、力づくでも止める事。

 サーヴァントは英霊だ。その正体はあらゆる時代で名を馳せた英雄である。 彼らはクラス名で正体を隠し、自らの手の内をも隠している。サーヴァントの真の名はおいそれと知られてはならないもの。だが、同時にマスターだけは知っておかなければならない事でもあるのだ。何故なら、英霊の正体が判らなければ正確な戦力が判らない。マスターとサーヴァントは一心同体。どちらかが隠し事なんてしていたら、まともに戦える筈がない。

 「ええ、それなのですが、……おそらく、これはもう私たちでは解決できない事です。私たちサーヴァントはマスターからの魔力提供によって体を維持する。だからこそサーヴァントはマスターを必要とするのですが、それが――」
 「……俺が半端なマスターだから、セイバーが体を維持するのに必要なだけの魔力がないって事か?」
 「違います。たとえ少量でもマスターから魔力が流れてくるのなら問題はないのです。ですが、シロウからはまったく魔力の提供がありません。本来繋がっている筈の霊脈が断線しているのです。」

 ザッと考えて、まず揚げ出し豆腐。汁物は簡単な豆腐とわかめのみそ汁に。
 下ごしらえが済んでいる鶏肉があるので、こいつは照り焼きにして主菜にしよう。豆腐の水切り、鶏肉の下味つけ、その間に大根をザザーと縦切りにしてシャキッとしたサラダにする。大根をおろしてかけ汁を作ってししとうを炒めて――

 「協力体制を決めていただけよ。安心なさい、別に貴方のセイバーをとったりしないから。」
 「――――!」
 カア、と顔が赤くなるのが判る。
 遠坂に言われて、自分が何に怒っていたのかに気づいてしまった。

 ……恐らく。
 あの瞬間、自分の中にあった“殺される”という恐怖より、セイバーを“救えない”という恐怖の方が、遥かに強かっただけの話。

 「そうですね。それが正常な人間です。自らの命を無視して他人を助けようとする人間などいない。それは英雄と言われた者たちでさえも例外ではないでしょう。ですから――そんな人間がいるとしたら、その人間の内面はどこか欠落しています。その欠落を抱えたまま進んでは、待っているのは悲劇だけです。」

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07 October

佐倉セミナー・ハウス 文化・教養講座 テキスト公開 4

デーモンとラプラスの魔あるいはマクスウェルの悪魔

 “デーモン”(魔神)は、ユダヤーキリスト教的な一神教の“神”概念とは異なる、自然界の根源的作用を司る宇宙の機能の一つとして理解することもできる存在である。だからニュートンが力学的世界観の中で採用した“引力”は、一つのデーモンとして現れた、全体性の宇宙の一断面としての位相でもあり得る。宇宙を構築する自然法則の各々が“デモーニッシュな力”として存在物としての“魔”と呼び換えられているのである。ソクラテスは自らの内なる声を“ダイモニオン”と呼んで、その示唆に身を任せた。“デモーニッシュ”な力は、人間存在の全体性との繋がりを前提とするものである。
 これに対してキリスト教神学においては、布教を拡大した地域に以前から信仰の対象としてあった神格の全てを悪魔として処理しなければならなかったので、膨大な数の神々を教義的に“悪魔”として同定するための体系である“悪魔学”を構築する必要が生まれた。ギリシア神話の神々のポセイドンやヴィーナス達が、紛れも無い“悪魔”と看做されることになったのである。神に反逆した天使ルシフェルは“悪魔”と呼ばれることになったが、日本語訳における“悪魔”と“魔”の使い分けはあまり明瞭になされていないようである。

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06 October

佐倉セミナー・ハウス 文化・教養講座 テキスト公開 3


 アメリカ版のアニメ『エルゴ・プラクシー』は、難解な主題をよく把握して詳細な註釈などが付け加えられているのですが、一部には日本語の内容を誤解してしまっているところもありました。どのような箇所で日本語は誤って聞き取られるのか、具体的な事例を検証しながら、この野心的なアニメ作品の核心に迫っていきます。

『エルゴ・プラクシー』誤訳部分


EP 03 「無への跳躍」
リルの処置について討議する執国の4体のオートレーブ達の会話。

 「勘が鋭敏すぎるのだ。」
 「全く、誰に似たのかしら。」
 「市民は全て並列化された情報を雛形にしている。局所的近似値には何の意味もない。」
 「やはり情報局などには配属すべきではなかったのだ。」
 「いや、教育的観点から考えても適切な判断だった。」
 「その証拠に、市民レベルとしては最高の感受性を保持している。」
 「素晴らしい結果だ。」
 「しかし、そこから派生する行動力こそが元凶だ。」
(However, we now have to deal with the initiative she has recently displayed.)
 「元凶というならば警備局はどうだ。」
(Speaking of the present, what about the Security Bureau?)
 「案ずることはない。あれだけ念押ししたのだ。」
 「いずれにせよ、このロムドが揺らいでいることは否定できない。」
 「一刻も早く事態の解決に向けた迅速な措置を。でなければ。」
 「レゾン・デートルの崩壊。」

EP 04 「未来詠み、未来黄泉」
 ドーム外部のコミューンの住民フーディは、ヴィンセントの看病をしながら、ジョー・ブスケの詩を朗読し続けている。

 記憶を辿りうなされるヴィンセントに、フーディの声がさらに聞こえる。「そこにあるあらゆるものは、町でも教会でも川でも、色彩でも光でも影でもなかった。」
(Of all of the things there, it had no cities, no boundaries, no rivers, no color, no light and no shadow.)
 ジョー・ブスケは、第1次大戦で彼に半身不随という苦難をもたらした傷について、「“傷”は自分の存在以前にもともと有り、自分という存在がその傷を具現した」と啓示的な随想を語った詩人であった。社会制度と心霊存在の本質を追究した哲学者ドゥールーズは、その著書『意味の論理学』の一章「できごとについて」でジョー・ブスケを取り上げ、“できごと”と“存在”の関係について独特の哲学的考察を展開している。“深層”である身体と“表層”である記号的概念が、“私”という意識存在において結びつくことによって“具体化”されるとドゥールーズは考えていた。ガタリは精神病理学者としてフロイト的な精神分析とは異なる、環境全体を視野に入れた心霊解釈を追求した。ドゥールーズとガタリは、資本主義と分裂病に関する論考を行った『アンチ・オイディプス』と『千のプラトー』の二部作を共著で著している。

EP 10 「存在」
 突然起こった2分17秒間の停電事故についてラウルに報告する事務官達。
 ラウルは何かを察知し、デダルスに会うことにする。

 「気味が悪いだろう。」
 (You are wicked.)
 「お遊びが過ぎたな。」
 (It is long past play time.)

EP14 「貴方に似た誰か」

  「僕は、誰かのふりをして愛してもらうことを覚えた。
(I remember pretending to be someone else, in order to be loved.)

EP22 「桎梏」
 リルの目の前にもう一人のリルが現れる。「初めまして。もう一人の私。」
 銃を構えるリルに彼女は言う。

 「哀しいことしないで。」
 (Don’t be sad.)

 デダルスは叫ぶ。「ヴィンセント、ヴィンセント。みんなあいつだ!」
 (It’s all his fault.)

 「ヴィンセントは本当にこの街を造ったのか?」
 「このドーム、そして良き市民の基となる数十体。」
「後はウー厶・シスでの管理増産。」
(And all that was left was the creation and regulation of the Eumesis.)

リルはエルゴ・プラクシーに語る。
 「私が引金を引くと?」
(I will pull the trigger.)

EP23 「代理人」

デダルスは、愛想を尽かしたようにリルに言う。
「吐き気がするよ。」
(You’re too ambitious.)

空高く舞い上がったモナド。
 「聞こえる。計画。受け皿と。
呼んでいたのは、あなた達だったのね。」
(The one we were calling was you, wasn’t it.)

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2010和洋女子大学学園祭 公開授業

今年の学園祭の公開授業は「アニメ・ゲーム研究」です。


 アニメのディスクを沢山用意して、リクエストに応じて希望の作品を上映します。鑑賞しながらお話しましょう。様々のテーマから、アニメ論の講義もします。隠れた名作を紹介したり、主題の解説を行ったりします。

アニメ:新房昭之作品特集
 映像表現に注目しよう。
 『ソウル・テイカー』
 『絶望先生』
 『化物語』など。

ゲーム:作品世界の設定を検証しよう
 『Fate stay night』
 『マブラブ・オルタネイティブ』

場所: 東館10階の10−2教室
時間: 10月30日(土)、10月31日(日)の両日共、
 1時から4時までずっと。
 好きな時に入室して、好きな時に退室できます。
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