Archive for 21 January 2011

21 January

映画『闇のバイブル』研究 4

周囲の誰もが自分に対して性的な関心を示し、それを拒むことができるのがヴァレリエにとっての大きな喜びである。そして主人公にはやっかいな人間関係を無化する特権として、日常の枠を超えた重大な異変の到来が約束されている。オルリークと共に戻ってきた館の中庭では、一面に流行り病に冒された鶏の死骸が散乱している。さらに館の窓からは、前夜ヴァレリエを襲った宣教師グラツィアンが窓の外でロープに首を吊って息絶えている。


 ヴァレリエとオルリークはグラツィアンの死体を地下室に隠すのだが、何故か隣の棺桶の中にはお婆様のエルサが眠っている。驚きのあまり気を失ったヴァレリエを抱いてオルリークが立ち去った後、お婆様は棺桶の中で目を覚まして二人の姿を見送る。そのお祖母様の口には、恐ろしそうな牙が生えている。


 ヴァレリエの従姉妹と名乗る若い女エルサが、館にいきなり姿を現す。エルサは、何故か真珠の首飾りを手にしてヴァレリエに近づく。エルサの保持する真珠の首飾りも、ヴァレリエの耳飾りと対応する魔術的器物であることが暗示されているが、その効能の詳細は解明されることはない。


エルサは、いきなりヴァレリエに襲いかかる。傍らの壁の上には、お父様の肖像画が掛かっているのが見える。


 しかし何故か途中で攻撃の手を止めるエルサである。ヴァレリエも、おかしなことに何事も無かったかのように、自室に戻って扉に施錠をしてベッドで休む。しかし再びエルサが、真珠の首飾りをかざしながら部屋に押し入ってくる。そのエルサの背後の鏡には、彼女の姿は映っていない。ヴァレリエはエルサによって縛られて小部屋に押し込められることになる。部屋の中では、不思議な歯車細工の機械のようなものが動いている。


 目覚めたヴァレリエは、部屋の床の穴を通して地下で男を誘惑するエルサの姿を目撃する。耳飾りの力を暗示する効果音と共に、縛めを解くヴァレリエの姿がある。ヴァレリエは、情交に耽りながら男を噛み殺して血をすするエルサの姿を目のあたりにする。今度は先ほどの男の場合と同じように、エルサはオルリークに対しても誘惑の手を差し伸べる。やはりヴァレリエは、この状況も同じ部屋の扉の鍵穴から目撃しているのである。時間の推移や具体的な関係性を一切省略して、エルサの示す攻撃と誘惑の悖徳的行為は、主人公ヴァレリエの主観の中の断片的な観念のみを具現化したもののようにも見える。



 ヴァレリエが閉じこめられた機械仕掛けのある小部屋は、彼女を監禁する密室であると同時に、彼女の意識と視点を夢の中のように肉体を離れて偏在させる効果を与える、心霊的な機能としての象徴性を持つもののようでもある。この位置座標喪失感覚は、リヒャルドに連れ込まれた救貧院の内部の場合と等質のものである。
 オルリークはエルサの誘惑をはねのける。オルリークは、ヴァレリエが奪われた真珠の耳飾りを巧みに取り戻してくれていた。先ほどのシーンではヴァレリエは、自分の耳飾りの力のおかげでエルサの首飾りの力から解放されたようにも見えたが、この場面では耳飾りを奪われてしまっていたようにも見える。これはストーリーの記述上の明らかな矛盾点であるが、むしろ異なった選択肢の採用に基づく網羅的可能世界の一つを暗示する、意図的なストーリーの分岐が語られているものとして理解できる箇所である。
 エルサはヴァレリエを閉じ込めた機械仕掛けのある小部屋で、自分も棺桶に入って眠りに落ちる。地下室と機械部屋の両方にある棺桶や、町と館の両方にある噴水の場合と同様に、人間や建造物や器物もまた固有の存在特性を限定されることがなく、各々が異界を繋ぐ通路もしくは出入り口のような機能を有して、連続的な関係性と多義的な存在性向を保有していることが分かる。
 ヴァレリエは、再びオルリークによって助け出されることになる。ここで映し出される小部屋の鍵穴から銃口を突き出して的を狙うこともなくいきなり発砲する様は、その無意味さの故に見事に儀式的な映像効果を発揮した記号的シーンを形成している。ナンセンスが巧みに映像化の処置を施して示された、極めて印象深い場面である。
 オルリークは救い出されたヴァレリエに、図書室の書架の上からギターを演奏して聴かせる。オルリークは、エルサから取り戻した耳飾りをヴァレリエに返してくれる。しかしそれに続けて思いがけなく言い寄るような素振りを見せるオルリークから、ヴァレリエはあわてて逃れ去る。小川でのシーンにあった求愛と拒絶の動作の反復がここにも繰り広げられる。


 映画の冒頭に映し出されていた温室の中の二つ並んだ男女の腰元に作られた蜜蜂の巣が、何かを象徴するように繰り返して映し出されている。ヴァレリエは、館の噴水の傍らを走って逃げ去る。


 噴水を媒介にして、シーンは町の広場に遷移する。町の噴水の周りには市が立っている。
 花売り娘がヴァレリエに花を手渡す。この花売り娘も、常にヴァレリエの姿を見守るように偏在的な登場の仕方をしている。


 ヴァレリエは、これから自分が取るべき行動の選択を花占いに委ねる。ヴァレリエが占いに用いたひなぎくの花には、血の染みが付いている。ヴァレリエは花占いの結果に従って鶏を盗み、救貧院の地下に赴く。そこではリヒャルドがエルサに裏切られて、死の瀬戸際に瀕しているのである。ヴァレリエは苦しむリヒャルドのところに駆け寄り、盗んできた鶏の生き血を啜って、口移しでリヒャルドに飲ませてやる。ヴァレリエの口元は、あたかも口紅を指したように血に染まっている。ヴァレリエの口付けを受けて瀕死の怪物は息を吹き返し、いきなり若々しいお父様の姿に変わる。


01:18:10 | antifantasy2 | 3 comments | TrackBacks