Archive for October 2011

28 October

2011学園祭公開授業テキスト2の結尾

 造形作品における人格同一性の決定条件の及ぼす展開範囲を考察するための参考例として、ロダンの代表作『地獄門』を採り上げてみることにしよう。ダンテの『地獄編』にある記載を彫刻作品として具象化したこの作品は、題名の示す通り地獄の入り口にある門そのものが造形の対象として選び取られている。しかしロダン作の彫刻作品として最も著名であると思われる『考える人』は、実はこの群像作品『地獄門』の一部なのである。果たして一個の完成した立体造形作品『地獄門』の一部として『考える人』のパーツがあるのか、あるいはこの作品の中心的存在である『考える人』の保持する彫刻作品としての同一性を投射した背景として『地獄門』の造形があると考えるべきであるのかの問いは、人格同一性概念の本質を考える上で極めて興味深い問題の所在を照射することになる。つまり『考える人』の同一性の延長性である“外延性”と『地獄門』の同一性の延長性である“内延性”の共軛的関連性をいかに捉えるかが、概念それ自体の裡にある同一性の再考察を要請する契機となるからである。
 [地獄門画像]
 例えばフィギュア作品ブラック★ロックシューターのキャラクター形成要素と思われる特徴は、目に燃える青い炎・巨大な武器“ロック・キャノン”・胸と腹部の傷跡・貧弱な胸・黒いコート・左右非対称のツインテール等であるが、これらと並んで印象的なのが圧倒的な質感を持つ市松模様の台座であった。フィギュア一般を指示する記号としてまず優先的に機能するのが台座の存在なのであるが 、黒白の市松模様の台座はブラック★ロックシューターの人格同一性を指示する特有の記号となっているのである。市松模様はフィギュアの台座のみならずアニメ『ブラック★ロックシューター』の様々のシーンにおいても背景パターンを構築していて、このキャラクターの存在特性を補完する極めて印象的な要素となっている。
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これらのフィギュアの実例の示すように、実際のフィギュア作品制作において導入されている台座は、記号として想定される台座の典型的な形象を大きく跳躍して、しばしばさらに深くキャラクターの持つ本質的な意味形成上の要素を色濃く反映したものになっているのである。
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 フィギュア作品においてはこのような人格特性の投射する台座や背景等の周辺環境への反映は、“ヴィニェット”(vignette)という語を用いて語られることが多い。元来は書物のページを飾る背景として考案された葡萄の蔓を形象化した唐草模様風の文様を呼んでいたこの語は、フィギュア作品において背景のシーン全体を構築する人格特性補完要素として機能するジオラマ的構築物を指す概念として定着した感がある。
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 キャンバス、額縁、台座のみならず時には名札や題名までもが一個の芸術作品と切り離すことが出来ない概念的関係性に包含されているのである。その意味においてCDのジャケットも音楽の一部であり、ピアニストの衣装も演奏の一部なのである。概念形成上のこの事実を照射してみせたのがルネ・マグリットのコンセプチュアル・アート作品『これはパイプではない』と、この作品との連動性を持った種々の関連作品群であった。全体性の宇宙の一断面としてある独個の表象の現れとして理解された“モナド”の概念と類比的に、フィギュアにおいては周囲の環境を含めた総体として一人の人格の補完物が有機的な立体造形をされているのである。以下に示すのは様々のフィギュア作品における多角的な“ヴィニェット”の応用例である。
 [画像多数]

註釈
 任天堂ゲーム『スマッシュ・ブラザーズ』は、同社制作のアクション・ゲームやロール・プレイング・ゲーム等ヴァラエティに富む種々のゲームのキャラクター達を勢揃いさせてこれらをフィギュア化し、相互に対戦ゲームを行うという趣向の興味深いメタ・ゲームである。『スマッシュ・ブラザーズ』のオープニング・シーンにおけるキャラクター総覧では台座の付加が彼等のフィギュア属性を定義づける決定的な条件として導入されている。
 [スマブラ画像]
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27 October

2011学園祭公開授業テキスト2の続き


 立体造形作品であるフィギュアの中から人格規定的な特徴的付加条件を探索するならば、むしろキャラクターに特有の姿勢を挙げることができるだろう。殊にフィギュア作品では、彫刻と同様に独特のポーズに造形の要がかかっているといってもよい。例えば『化物語』の極めて印象的なツンデレ・キャラクターである戦場ヶ原ひたぎの場合では、彼女が戦闘の武器として用いた文房具であるカッターナイフとホッチキスを恫喝的にかざした姿勢がこれにあたる。可動式のフィギュアである“フィグマ”においても、ひたぎのこのポーズを再現することを予定して基本的な身体造形とパーツの作成がなされているように思われる。この姿勢と小道具はねんどろいど・ヴァージョンにおいても忠実に反映されている。
 しかしこの魅力的な被害妄想/加虐趣味のツンデレ美少女キャラクターのフィギュア造形作成例として最も記憶に鮮明なのは、ひたぎが高校校舎の階段上で一瞬阿良々木暦に対する戦意を喪失し、武装解除をして制服の中に隠されていた文房具の全てを床のうえに放擲した場面を、これらの小道具の細密表現を用いて見事にフィギュア化させた制作例である。作品世界の背景を巧妙に反映させて人格決定要素の造形化を図った典型的な成功例として評価することができるのが、[グッドスマイルカンパニー]制作の“化物語 戦場ヶ原ひたぎ 完成品フィギュア”である。立体造形においては“パンチラ”という概念は存在しない。下から覗き込めばパンツの姿が視認されることが当然だからである。この武装解除シーン・フィギュアにおいてもやはり気になるのは、ひたぎのスカートの下のパンツである。その造形と表象のプレゼンテーションの詳細を確認してみると、パンツの柄にも文房具パターンが施されており、戦場ヶ原ひたぎ属性を印象的に構築していることが確認できる。
 このフィギュア作品はスカートを取り外すことができる便利な仕様となっている。改めてパンツと文房具プリントの詳細を検証してみることとしよう。
 [パンツ画像]
 デザイン的にも非常に優れた文房具柄パンツであることが確認される。マックス・ファクトリー社製のフィグマ・シリーズにおいてもやはり、パンツの柄はホッチキスシルエットを強調した文房具柄が採用されているのである。
 [パンツ画像]
 この事実は別のフィギュア・シリーズ「ねんどろいど」においても同様に指摘できる。このようにホッチキス柄パンツは、フィギュア造形における戦場ヶ原ひたぎの人格同一性を決定する記号としての機能を果たしているのである。
 [パンツ画像]
上で確認した指摘内容を[アルター]制作の“化物語 戦場ヶ原ひたぎ 完成品フィギュア”の作例と比較してそれぞれのコンセプトの相違を検証してみることによって、フィギュア造形におけるポーズと小道具的背景要素の興味深い相関を確認することができるだろう。
 [パンツ画像]
 アルター版では背景の階段とその上に散乱した文房具は同様に採用されているものの、造形上のコンセプトはグッドスマイルカンパニー版とはまたひと味異なったものとなっている。しかし着用しているパンツ柄においては、アルター版においても同様に特有のホッチキスパターンが踏襲されていることが確認されるのである。
 これらの戦場ヶ原ひたぎフィギュア制作例と比較して同様の立体造形表現上の高い評価を下し得る創出例として、[コトブキヤ]制作の“化物語 戦場ヶ原ひたぎ 完成品フィギュア”を挙げることができる。これは実際の立体造形におけるキャラクター特性表現に関する工夫として、ひたぎに取り憑いた“重し蟹”をフィギュアの台座に配した、取り分け興味深い制作例なのである。
 ここで改めて問題としなければならないのは、戦場ヶ原ひたぎの“ひたぎ性”は果たして個物としての身体的延長範囲の本体に限られるのか、という点である。この蟹の爪の台座や先ほどの彼女の保有する武器であった文房具に加えて印象的なシーンを形成する背景を構築していた階段等の例が暗示するように、人格同一性と目されるものをさらに空間的に拡張した周辺環境にまで及んで理解すべきものであるかもしれないからである。“ベルの定理”を導出した光子対の観測実験の例が語るように、現象あるいは存在の“個物性”は、必ずしも古典力学が仮定したように単位粒子としての連続性という条件に拘束されるものではなく、むしろ離散的にその絡み合い的関係性による同一性を判断してよい場合が確かに存在するからである。このような不連続的同一性認定基準に従えば、憑依した怪異やキリスト教神話においてあらゆる人間個々に定められているとされる固有の守護天使や、さらにまた歴史的人物の固有人格を特定する不可欠の運命を担う事となった他の因縁的関係性において密接な役割を果たした別人格の各々もまた、ある意味で特定の一つの人格の影の部分としてその別次元の裏面を補完する規定要素として認め得ることとなるのである。西尾維新の原作『化物語』の主題として選ばれた“怪異”の秘める意義性がこの問題を照射するものであることと並んで、フィギュア造形上の人格同定に関わる特質は様々の同一性再考察の着眼点を提供してくれるものとなっている。ちなみにコトブキヤ版においても戦場ヶ原ひたぎの着用するパンツにはやはりホチキス柄が採用されている。
 [パンツ画像]
 
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2011学園祭公開授業テキスト1の続き


...ここに確認した諸事実は、それぞれの概念と現象体の集合間に通底するある種の共変的特質を抽出する可能性を暗示しているようにも思われる。つまり“ねんどろいど性”という全てのキャラクターに対して適用可能な一つの汎用属性があると仮定するならば、いかなるキャラクター原形に対しても一意的に変換記述あるいは変形操作を及ぼすことにより、“ねんどろいど化”という属性賦与が一連の操作結果として一意的になされることが期待できることになる。これはミクのねんどろいど・ヴァージョンが形成されたように、他の種々のキャラクターのねんどろいど・ヴァージョンを、人的な想像力の助けを借りることなく機械的な演算処理過程として自動的に生産する手順があり得ることを示すものなのである。さらに“ミク”属性と“ねんどろいど”属性が並列的な重ね合わせが可能な同一平面上の特質であり得るならば、“ねんどろいど性”あるいは“ミク性”等の属性規定要素は様々に他の概念への変換操作を適用することさえもが可能な“変数”として適用可能な値となるので、例えば“ねんどろいど”属性とさらに別種のドール製品群である“プーリップ”属性の交換を行い、“プーリップ・ミク”の創出を導くこともできることが予測される。その概念操作の実際の適用結果が以下のプーリップ・ミク・ドールである。
 プーリップ・ミク・ドールは、特徴的なツイン・テールの頭髪と忠実なコスチュームデザイン表現において初音ミク性を導入しながら、繊維質の頭髪とグラス・アイ等によって従来のプーリップ・ドールとしての同一性を堅固に維持してもいる。
 さらにプーリップ・ドールと形態的共通要素を持つがプーリップとはまた異なるもう一つのドール製品群である“ブライス”属性と“プーリップ”属性との交換あるいはミク属性とブライス属性の重畳を行い“ミク”属性との積を求めた結果として、“初音・ブライス・ミク”を提示する手順も同様に導かれることとなるであろう。この概念操作手順の適用結果が、既に実際に3DCGソフトを活用した作例として示されているのである。下は「3DCGコミュニティサイト」(http://www.cg-site.net)に公開されているヴァーチャル・フィギュアの作例である。
 “初音・ブライス・ミク”は、立体造形作品としての物理的実体を有することのない代わりに、縦軸・横軸方向に360度の回転を行って頭髪の隙間や衣服の裏側等の内部造形までをも仮想的に描像する機能を持つCGアートである。 この“ヴァーチャル・ミク” の表象は、3DCGデザインを行うコンピュータ・アプリケーションの段階的操作の結果生成したデータ加工の集積であるので、その手順を特定し一連のアルゴリズムとして抽出することが可能なものである。ここに仮定した変換操作アルゴリズムの存在を任意の現象物と属性に対して適用することによって、変換記述/生成の原理的照応を事物の存在と属性の連続体としてある宇宙の原型的基質 の裡に求める試行を想起するならば、コンセプチュアル・アートとメタフィクションの間にある同等性あるいは相違性等の概念の深層を考察することもまた可能になるに違いない。マックスファクトリー社/グッドスマイルカンパニー社とその他各社の現出せしめた総体としての初音ミク・フィギュア作品群は、存在物とその存在を規定するであろう概念・表象との相関に関わる、宇宙の原存在における意味局相と質料局相の事象発現以前の原形質次元における共変性を暗示する、システム法則性の照射試行の企図さえ窺わせる興味深い事例提示となっているのである。この形而上的発想のさらなる応用例として、“擬人化”表現の試行の展開例を万物照応的に敷衍することにより、例えば鯨ミク、烏賊ミク、ゴキブリミク等のキャラクター概念の様々な現象化が可能なことも暗示されている。原形質的初音ミクの発現形として条件・形質を網羅したマトリクスの展開を仮想するなら、現実存在人間ミク、宇宙人ミク、未来人ミク、エスパー・ミク等全ての項目に充当する初音ミクの存在が考え得るからである。参考に、ゴキブリの美少女擬人化の作例を挙げて、初音ミクゴキブリ化の作例に対するヒントとしておくことにしよう。
 こうして古代思想にあった生物相の空と陸と海におけるそれぞれの対応のみならず、万物の照応と相関における、コレスポンデンス(correspondence)の原理がホロスコープ的相関の行列として全宇宙的に反映されることが確認されることにより、あらゆる概念間の種々の関連性あるいは同等性が密接に裏付けられた“意味のある世界”を具現する見通し図の照射を図る企図を、フィギュア造形の中に読み取ることも可能になると思われる。
 このような形而上的概念抽出試行作業において最も興味深い作例と思われるものは、ねんどろいど・シリーズの一つとして、“マンガ作品『らきすた』の登場人物である柊かがみが初音ミクのコスプレをしている”ヴァージョンである。本体が“かがみ”であり、装われた人格表象として初音ミクが選択されたことが、ねんどろいど・フィギュアとして的確に具現化され得ている事実は、反転的に“かがみのコスプレをしている初音ミクのねんどろいど・ヴァージョン”のみならず、プーリップ・ヴァージョンやブライス・ヴァージョンその他の作例創出の可能性をも示唆するものだからである。この問題を敷衍すれば“狸に化けている狐”と“狐に化けている狸”の表象化における類似と相違の検証や、“羊と名乗る狼”と“狼と目される羊”等の概念的相関における表象の類似と相違、あるいは深層的意味次元における根幹的な同一性・相当性の認証という哲学的試行さえもが効果的に提示される展望が開けてくるであろう。
 この発想をマトリクス的に補填した実例として、実際にフィギュア製品界においては、ねんどろいど版に並んで “フィグマ版ミク・コスプレ柊かがみ”も既に製品として公開されている。
 初音ミクというフィギュア作品を対象にキャラクター同定上の指標となるべき要素としてミクのヴォーカロイド制服に確認したコスチューム、青緑色の極長ツインテールに確認した髪型、小道具としてのねぎに確認した後発的アタッチメント、さらに特有の印象を喚起する姿勢・ポーズ等があったことが確認され、これらが省略あるいは他の要素とそれぞれ置換され得るものでもあったことは、例えばさらなる新ミクヴァージョンの潜勢態として任意の空白の行列を補完することにより髪の色違い、目の色違い等の変化形のみならず“ヌード・ミク”、“巨乳ミク”、“スキンヘッド・ミク”等の創出可能性があることを暗示してもいる。さらにメイコ、カイト、鏡音リン/レン、巡音ルカ達との類似性あるいは相違性が方程式化されることにより、行列的な属性配置から網羅的な仮構表象的人格性の展開を図ることが可能となり、曼荼羅としてのキャラクター展開の可能性を考えるならば、キャラクターはその本性上“一個の他と分断し得る独立した存在”である以上に、“相互浸透し合う重ね合わせ可能な相矛盾する要素の集積体”として理解すべき概念なのであるかもしれないのである。
 初音ミクを対象に行ったこれまでの考察の結果を、『新世紀エヴァンゲリオン』の中心的キャラクターであるアスカとレイを対象にして応用的検証を試みることも可能である。惣流・アスカ・ラングレーと式波・アスカ・ラングレーの間に現出したはなはだ微妙な人格同一性に関する問題点は、実はアスカ自身とレイ自身についても指摘可能な事実だったのである。

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26 October

2011学園祭公開授業テキスト2



テキスト2 台座と背景とヴィニェット:戦場ヶ原ひたぎと人格決定条件記号

 アニメ作品の中では、キャラクターの発した特定の台詞がキャラクター特性そのものを決定する要因として認められることも多い。その代表的なものが、アニメ史上かつてない屈折した人格の保有者であった『起動戦士ガンダム』の主人公アムロ・レイの語った「親父にだって殴られたことないのに。」という、いじけきった台詞である。同じく屈折した心性のヒーローが登場する『新世紀エヴァンゲリオン』の中から同等の著名な台詞を探すとするならば、軟弱主人公碇シンジの連発する「逃げちゃだめだ。」の病的独白や、ツンデレ美少女惣流アスカ・ラングレーの「ばかばっか、み〜んなばっか。」の奔放発言を挙げることができる。そしてまた多くのアニメ・キャラクターは、身に付けているコスチューム、取り分け制服により個人そのものの同定が可能になっていることが多い。代表的なものが『新世紀エヴァンゲリオン』に登場するアスカとレイのプラグ・スーツである。二人は同じ中学に在籍することから同等の制服姿で作品世界に描写されているが、彼等の搭乗する人型汎用兵器エヴァとのシンクロをより緊密にするために、搭乗員のシンジやアスカやレイはそれぞれ固有の戦闘用ユニフォームを備えてもいる。搭乗機との同調を確実にするための頭部に装着するインターフェースも加えて、それぞれのキャラクターの身に着ける戦闘服であるプラグ・スーツは各々色合いやデザインにおいて変化のあるものとなっており、コスチュームの色・形によって容易に人格同一性を判別することができる結果となっているのである。これは彼等の各人が単独で搭乗機エヴァ初号機から2号機までとの同調を可能にするファーストからサードまでの“チルドレン”と呼ばれる世代枠を充当していた事実と見事に符合する結果となっている。
 これは彼等と同様にエヴァに乗り込む能力を持つキャラクター達である渚カヲルや、劇場版エヴァンゲリオン“破”において後に登場した真希波・マリ・イラストリアスの場合においても当てはまる事実である。
 しかし作品世界の設定条件に従って、制服着用は個々のキャラクター同定条件には結びつかない、複数の人物によって共有される特質として示される場合もある。その具体例は『化物語』に登場する戦場ヶ原ひたぎ、羽川翼、神原駿河の三人の美少女達のフィギュア造形に確認することができる。
 この場合はそれぞれのキャラクターの体型を反映して各々のユニフォーム着用姿が特有のフォルムを形成していることが造形上の要となっている。特に胸の膨らみが及ぼす上着のシルエットの変化は無視することのできないものだろう。『ダ・カーポ』と『To Heart』以来、胸の形状を忠実に反映した制服表現はゲーム・キャラクターとフィギュア・デザインの欠かせない要素となっている。戦場ヶ原ひたぎの使用する特殊武器である文房具に代替するキャラクター補完要素として羽川翼の場合は携帯電話を保持しており、神原駿河の場合は背景としてBL本の山を従えていることも、立体造形上の工夫として見逃すことができない。さらに羽川の装着する眼鏡と神原の着用するスカートの下のスパッツ等も、キャラクター特質を表現する重要な要素となっている。
 作品中で戦場ヶ原ひたぎの着用するコスチュームは制服に限られていた訳ではないので、以下のような異なるコスチューム姿のフィギュア制作例も存在する。これらに通貫して認められる“戦場ヶ原ひたぎ性”が、重要な人格同一性概念として考察対象とされることになるのである。
  立体造形作品であるフィギュアの中から人格規定的な特徴的付加条件を探索するならば、むしろキャラクターに特有の姿勢を挙げることができるだろう。殊にフィギュア作品では、彫刻と同様に独特のポーズに造形の要がかかっているといってもよい。例えば『化物語』の極めて印象的なツンデレ・キャラクターである戦場ヶ原ひたぎの場合では、彼女が戦闘の武器として用いた文房具であるカッターナイフとホッチキスを恫喝的にかざした姿勢がこれにあたる。可動式のフィギュアである“フィグマ”においても、ひたぎのこのポーズを再現することを予定して基本的な身体造形とパーツの作成がなされているように思われる。この姿勢と小道具はねんどろいど・ヴァージョンにおいても忠実に反映されている。
 しかしこの魅力的な被害妄想/加虐趣味のツンデレ美少女キャラクターのフィギュア造形作成例として最も記憶に鮮明なのは、ひたぎが高校校舎の階段上で一瞬阿良々木暦に対する戦意を喪失し、武装解除をして制服の中に隠されていた文房具の全てを床のうえに放擲した場面を、これらの小道具の細密表現を用いて見事にフィギュア化させた制作例である。作品世界の背景を巧妙に反映させて人格決定要素の造形化を図った典型的な成功例として評価することができるのが、[グッドスマイルカンパニー]制作の“化物語 戦場ヶ原ひたぎ 完成品フィギュア”である。立体造形においては“パンチラ”という概念は存在しない。下から覗き込めばパンツの姿が視認されることが当然だからである。この武装解除シーン・フィギュアにおいてもやはり気になるのは、ひたぎのスカートの下のパンツである。その造形と表象のプレゼンテーションの詳細を確認してみると、パンツの柄にも文房具パターンが施されており、戦場ヶ原ひたぎ属性を印象的に構築していることが確認できる。


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25 October

2011学園祭公開授業テキスト

公開予定のフィギュア達とテキストの一部をアップします。



テキスト1 初音ミクとフィギュア

 “初音ミク”は仮構世界と現実世界にまたがって存在する一人の少女である。彼女はマンガのキャラクターと同様に髪型や衣服などに固有の特徴的な姿形を有している。そしてまたアニメの登場人物のように独特の声音を備えてもいる。しかしこの少女は、小説の登場人物や映画のヒロインの場合のようなストーリーや場面等の人格特性を決定する具体的情報を提供する物語世界的枠組みは持っていない。初音ミクは、音楽作成ゲーム・ソフトの中で導入されている、プレイヤーが作曲した楽曲を歌い上げる機能を果たすために考案された擬似人格なのである。その独特の印象的な機械音声は、“ヴォーカロイド” (Vocaloid) という名のコンピュータ・プログラムあるいはヴァーチャルなアンドロイドとしての選別的な属性を彼女に与えることとなっているが、本質的には一人の人格性を構築し特定する条件として、むしろ他の多くの仮構世界内のキャラクター達に比べて空隙の部分が多い筈である。しかしこの少女がネット上の動画投稿作品の題材となって独特のキャラクター・イメージを増幅していき、その影響を受けて種々のフィギュア製品が製作される過程を経るにつれて、既存の映画や小説等の中の仮構的存在物達とは明らかに異なる様々な背景的特性と、さらに現実存在としてのある種のキャラクター性向をも獲得してきたのは、人格同一性概念そのものを全方位的に再考する上で取り分け興味深い事実なのである。
 一個のキャラクター像を形成する要素や条件について、実在の人間存在と伝説上の人物あるいは仮構世界内の擬似人格は、その存在論的本質は次元界面を全く別にする根本的に異なったものの筈である。しかしながら一方、仮構と現実の区別を超えた“人間存在”としての通貫した概念的特質においては、むしろ現実と仮構を隔てる境界線は限りなく曖昧になってくるのが実情である。アーサー王やヘラクレス等は伝説上の人物として各々が一つの名のもとに相反する様々の属性や特質を重畳して備えている。またシーザーやクレオパトラ等の歴史上の人物も、数々のエピソードや記述の中で相反する複数の様相において語られて、その人物像は現実と仮構の境界線上に多面的にその人格特性を投射することとなっているのである。この事実は固有名詞に集約される人格概念に止まらず、国家や文化等についても全く同様にあてはまるだろう。チョーチンの下をゲイシャが行き交うエキゾチックな夢の国ニッポンや、荒唐無稽な戦闘技を操る忍者や神秘的な決め技を隠し持つ柔道や空手等の、現実の相応物から遊離した仮構的イメージがその代表的なものである。おそらく“悪の帝国共産主義”や“堕落社会の極みの資本主義国家”、さらには“恐怖政治の狂信者集団タリバーン”等の国家集団的イメージも、偏見に満ちた主観によって賦与された、ある種の仮構的キャラクター概念なのであろう。
 現代に生きる実在する同世代人達にしても、その人格的内実は各観測者個々の心情や対象との関係性を反映して印象と表象を様々に変化させている。外的存在である他者のみならず、現実存在として人格を保有する筈の我々は、分割され得ない“個人”(individual)として特定の時間に固有の座標を占めて存在する唯一無二のものとして自身を捉え、“自我”という単独の意識を備えていることにより他と分別される独個の自己同一性を確証し得ている“自分”として通常“私性”を認識している。しかし、その存在論的確証性は、必ずしも客観的に定かなものであるとは言い難い。意識存在としての我々は単なる空間上の座標点ではないし、有機物の集塊として判断されるものでもないからである。さらに我々を人格として個別的に特徴づける筈の記憶や属性情報も、通常これらをデータとして複写して時間的・空間的断絶を経て再現することが不可能な選別された特殊要因であるかのように理解されているが、これもまた実は意識の主体による直感に支配された憶測でしかない。我々の“人格性”は、固有名詞として命名を施して他と分別されることによって自分の自分性を確証し得ていると錯覚されているものの、実際に思考を行いつつある“我”を規定する要因は、必ずしも科学という仮説にあったような厳密な概念化作業によって明確に定められたものではないのである。だから個人としての命名を通して社会の一員として認識されていた関係性を剥奪されて世界との概念的連繋を見失った時、我々は名前のみならずその存在性自体を喪失して何物でもないものとなってしまうのである。改めて無名のものに環帰した意識の主体にとって“自分”を形成する諸要素の細目については未だ未知の部分が多いし、逆に“自分”がより広範な包括的な何物かに帰属する一部であるか否かについてすらも、実は原理的には知る由もないのである。このように実ははなはだ不可解なものである“私性”あるいは“人格性”を再検証するにあたり、初音ミクという擬似人格の保持する種々の表象とイメージについて、フィギュア作品として具現化したキャラクター像を対象にしてその存在論的実質を検証することにより、意識存在としての我々の人格を形成するかもしれぬ未知の諸要素に対する推察の糸口を探ってみることができそうにも思われるのである。
 デスクトップ・ミュージック・ソフトウェア『初音ミク』は、クリプトン・フューチャー・メディアによって2007年8月31日に販売を開始された製品である。このシリーズはヤマハの開発した音声合成エンジン“VOCALOID2”を導入しているが、“歌声ライブラリ”のデータには実際の声優のものを起用していて、それぞれの歌声毎にキャラクターとしての特有の設定が用意され、そのキャラクターの名称が各々の製品名にもなっている。先行するVOCALOIDとしてMeikoとKaitoの二人のキャラクターがあったが、ミクの後発のボーカロイド・キャラクターとしては、既に鏡音リン・レンのペアと巡音ルカが登場している。その他の変種として、さらに他社の開発した“Vocaloid”の範疇に属すると思われるその他いくつかのキャラクター・ヴァージョンも存在する。
 “仮構世界キャラクター”初音ミクの原型的な表象は、音楽作成ソフトとして発売されたパッケージの図柄によって構築されているものである。『VOCALOID初音ミク』のパッケージ・イラストのミクは、身長と同じ程の長さの青緑色のツインテールの髪を四角い赤の髪留めで止めている。濃いグレーの袖無しの上着に髪と同色のネクタイを着用しており、黒のスカートとストッキングにも髪と同色の青緑色の縁取りが配されている。さらに肘から下を覆う幅広の黒のアームカバーが、ミクの外形の印象的なフォルムを形成している。ヴォーカロイド・キャラクター特有の選別的な特徴として、耳許に装着したヘッドセットと上腕に刻印された赤い字のシリアルナンバー“01”と、さらにアームカバー下部に装備された計器板がミク独特のメカニカルな印象を形成している。これらは初音ミクを演じる際のコスプレ衣装の中核的な要素となっていて、初音ミクの同一性を判別するための重要な条件となっているものである。
  初音ミクのキャラクター同一性を確定するこれらの特徴は、人間存在に対する命名行為にも相当する、彼女の独個として保有する記号的な特質なのである。『不思議の国のアリス』においてハンプティ・ダンプティが意地悪くアリスに語ったように、名称と日常的呼称とその本体自身の間には必ずしも一貫した相等性がある訳ではなく、これらの間には本質的に決定的な乖離があるのが当然なのだが、一方人間の主観的意識の裡においてはむしろこれらの記号性こそが紛れも無い対象物を規定する絶対条件であるかのように認識されているのも、厳然たる一つの事実である。当然ながらフィギュア造形作品のキャラクター同定においても、このような固有の記号性が欠かせない要件となっている。フィギュア製品における初音ミクの記号性の細目を確認することができる代表的な具体例としては、グッドスマイルカンパニー製の“キャラクター・ボーカル・シリーズ01:1/8初音ミク”を挙げることができる。 このフィギュア作品においては、上に挙げたこのヴォーカロイド少女の記号的要素が忠実に再現されて、立体造形における初音ミクの“ミク性”を堅固に構築していることを確認することができる。二次元で表現された平面イラスト作品と三次元の立体構造体は、本来は存在理念においては全く異なる別存在である筈なのだが、これらの視覚的な記号的特質の相当性によって、このフィギュアは初音ミクのミク性を主張するための十分な説得力を備えるに至っているのである。
 生命感のあるポーズと活き活きとした表情のみならず、髪や衣服等のプラスティック素材の効果的な選択によるディテールの表現など完成度の高いこの造形作品はフィギュア愛好家の高い評価を得て、販売終了後にまもなく再販が決定されたばかりでなく、その後いくつかの変化形ヴァージョンさえもが生み出されている。その中の取り分け印象的な一つが、“マックスファクトリー製キャラクター・ボーカル・シリーズ01:1/7初音ミク”である。1/7ヴァージョンはグッドスマイルカンパニー製の先行作品とは微妙に姿勢の異なる、ディテールの表現に異質の要素を加えた出来映えのものになっていて、細身ながらブーツや上着等の衣装に締めつけられた肉付きの表現がとりわけ印象的なものになっている。しかし、初音ミクの記号的同一性決定要素においては、その細目は変わることなく踏襲されていることがよく分かる。
  これらのフィギュア造形によって確証されるキャラクター表象の同一性条件と共に、上記の二つのモデルの間において確認される変異と新たな付加的属性もまた、人格同一性を考察する上で重要な実例を提供しているのである。何故ならば興味深い事実として、これ以外にも“初音ミク”の名を冠したさらにいくつかの変種が存在するからである。これらはそれぞれ有名イラストレーターの描いた初音ミクイラストを立体化してフィギュア製品化されたものであるが、各々の外観的特徴において興味深い偏差が確認されるのである。当然ながら、全ての記号的特徴において完全に一対一対応的な同等性が厳密に保たれていなければ、人格の同一性が認定され得ない訳ではない。人間知性の判断基準そのものが曖昧性にその機能的特質の重要点を負っていることを暴き出すように、立体造形作品においてはいくつかの記号的要素の改変や省略が同一キャラクターのヴァリエーションとして提示されるところにおいて、創作の工夫と人格表現に関するコンセプトのプレゼンテーションの主張がなされることとなる。
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