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06 October

2015佐倉セミナーハウス文化教養講座テキスト 2回目(10月10日)

Mathematics and Empirical Evidence can Reveal Truths If Physicists Eliminate Theorists’ Tricks

James Putnam

物理学者達が理論物理学の偽計を排除した時、数学と実験結果が真実を暴くことができる

 パトナムは理論物理学者達が理論の構築のために導入している概念と数学的記法が、現象的実態と乖離した抽象的で思弁的なものであり、宇宙の実態を記述するには不適切なものである可能性を指摘する。

Introduction: Mathematics is the science of cataloguing and using shortcuts that permit achieving sums while avoiding or minimizing counting. By itself mathematics has no existence. What is meant by this is that there is no such thing as a pure number. A number represents a sum of something. For example, the number one is one of something or it is a sound without meaning. The science of physics uses mathematics as its tool for analyzing and describing its mechanical interpretation of the operation of the universe. Physics counts meters and seconds. They are the units of empirical evidence. They are the representatives of the properties of empirical evidence. The empirical evidence is always patterns in changes of velocities of objects with respect to time. It is called acceleration and its units are meters per second2. The early representation of a physics equation is Newton’s f=ma. The empirical evidence is represented by the letter a standing for acceleration. The cause of acceleration is represented by the letter f standing for force. Resistance to force is the letter m standing for mass. The units of acceleration are naturally indefinable units. There are no previously existing units by which either meters or seconds can be defined. A defined unit is one that is defined in terms of pre-existing units. A defined property is one that is defined in terms of previously existing properties.
イントロダクション:数学は計測手順を迂回するか最小化することによって総量を計算することを可能にする、簡略手順を一覧化して用いる知識である。数学それ自体はいかなる存在でもあり得ない。つまり純粋な“数”などという実体は存在しない。数は何物かを数えた結果の数値を示すものである。例えば“1”という数は、何かが一つあることを示す以外には、意味を持たないただの音に過ぎない。物理学は数学を宇宙の事象を機械的活動として分析し、描写するために採用する。物理学においてはメートルや秒を数える。これらは経験的な事実を証する単位である。これらの単位は経験的実証性の属質となる指標である。経験的事実は常に時間の経過に対応する物体の速度の変化の様態として認知される。それは“加速度”と呼ばれ、その単位は長さを時間の二乗で割った形であらわされる。F=maが、初期に採用された物理学の等式である。経験的事実が加速度を意味する “a”の記号を用いて示されている。加速度の原因となるものは“力”を意味する “f”の記号で示されている。力に対する抵抗となるものとして“質量”を示す “m”が用いられる。加速度の単位は自然現象的には定義不能な単位である。メートルや秒を定義することができる原初的単位に相当するものは存在しない。定義づけられた属質とは、既に存在が認められた属質により定義可能なもののことである。

 パトナムはニュートンが科学の体系をまとめあげるために考案した基本概念と、これを用いて法則として記述された物理公式を再点検して、数学的記法の意味するところを確認している。
 パトナムはこの後、現代の理論物理学者達が導入している数式には現実の物理存在に適用することに問題があるものもある可能性を、様々に数式の変換作業を通して考察を展開している。最終的に焦点を当てられるのが、アインシュタインの相対性理論である。

Relativity’s Trick: The general theory of relativity presents space-time to us as a real property. There is no empirical evidence to substantiate this claim. All empirical evidence consists of patterns in changes of velocities of objects. Neither space nor time nor space-time has ever been shown to have velocities or to have experienced changes of velocities. Here is a reason why this tension between theory and empirical evidence exists.
相対性理論の偽計:一般相対性理論によれば、時空は実体として存在する属質とされている。しかしこの主張を経験的に確証させる実証はなされていない。経験的に確証される事実は、全て物体の速度の変化の様態から得られるものである。空間も時間もそして時空もまた、速度を持つあるいは速度の変化を持ったものとして示されたことはない。ここに理論と経験的に確証され得る事実との間に乖離が生じる訳がある。

 パトナムはニュートンによって定義づけられ、体系化された科学の基準に相対性理論が適合していない事実を再確認する。数学的記法が物理学の完成に与えた影響は絶大なものであったが、理論物理学者達が陥りがちな問題のある傾向に対する指摘として、数式の中に導入された新概念が果たしてどこまで現象世界の実体に適合しているかが問われるのである。

The reality is that theorists are not stopped by the unknown. They imagine substitutes for the unknown. They make guesses about the existence of properties that are not revealed to us by empirical evidence. With regard to length contraction and time dilation transforms, the existence of length contraction of objects is empirically supported. The existence of time undergoing expansion is not empirically supported.
実情を語るならば、理論物理学者は未知の概念に遭遇しても躊躇することがないのである。彼らは未知のものに代替する概念を見つけ出し、経験的に確証不能な属質の存在を捏造してしまう。物体の収縮と時間の遅速化という変化について言うならば、物体の長さの収縮という現象は経験的に確かめられている。しかし時間が延長するという事実は、経験的に確証されていないのである。

 ローレンツ変換式を土台にして導き出された相対性理論は、運動速度の増加に対応して時間の拡張がもたらされることを主張するものであった。ローレンツ変換は運動物体の推進方向軸に対する収縮現象を指摘しており、これは実験結果から確かめられているが、相対性理論の唱えた時間そのものの拡張を検証する実験結果は得られていないと、パトナムは指摘する。

Empirical evidence does support the slowing of rates of activity. None of those rates of activity, in so far as empirical evidence reveals, involve time as a property available to us for experimentation. No lab contains a sample of time upon which physicists may conduct experiments. The letter t in physics equations has never stood in for the property of time. It has always stood for cycles of activity of objects. The units of time have always been in the form of cycles of activity of objects. The actual property undergoing change is that property that makes the activity possible. It is light that makes the activity possible. It is light that undergoes a change. The change that occurs to light is the variation of its speed, increasing with distance from matter.
運動速度の比率に遅速化があることは、実験的に確証されている。しかしこれらの変化のいずれも、時間を操作可能な属質として含む経験的に確証可能な実験例ではないのである。様々な検証を行う資料として時間のサンプルを保有している実験室は存在しない。物理学の数式に用いられる記号t は、時間そのものの属質を代表して用いられたことはない。t は物体の活動の周期をあらわすものとして用いられてきた。時間の単位は常に物体の活動の周期という形で数式にあらわれているのである。変化を受けつつある実際の属質は、その活動を可能にするその属質である。その活動を可能にするものは光である。変化を被るものは光である。光にもたらされる変化は、物体からの距離に比例して増加する、その速度の偏差である。

 無批判的に採用されてきた数式の構築と数式の示すとされる現象存在の間に、実は乖離がある可能性をパトナムは指摘する。それが“理論物理学の偽計”である。

Conclusion: The equations of physics currently exhibit many theorists’ tricks, more than have received attention in this essay. These tricks are responsible for lack of fundamental unity and for misunderstandings about the nature of the universe. Theorists don’t believe that their tricks are tricks. If they did recognize that the intrusion of the products of their imaginations into physics equations takes us further and further away from knowing the nature of the universe, then they would also have to recognize that the guessing and inventing that makes up much of theoretical physics is what needs to be removed from physics equations. The remedy for fixing physics is to return the equations of physics back to their empirical forms. When the equations are in their empirical forms, then the mathematics of those equations can reveal empirical truths.
結論:現在物理学において用いられている数式には、この小論において指摘された以上に多くの理論物理学者達の偽計が存在している。これらの偽計のために宇宙の本質に対する理解が損なわれ、その理解に必要な根幹的な統一性が損なわれている。理論物理学者達は自分たちの偽計が偽計であることを認めようとしない。もしも彼らが彼らの抱いた幻想の産物が物理学公式を浸食したために宇宙の真実の姿を理解することから我々を遠ざけている事実を認めれば、理論物理学の多くの部分を担っている推測や捏造が物理学公式から取り除かれねばならないことを認めざるを得なくなるだろう。物理学を救うための処方は、物理公式のあり方を経験的事実に適合する形に戻すことにある。数式が実証的な様式に立ち戻った時、これらの数式は経験的に実証可能な真実を語ることができるのである。

 パトナムの指摘が当てはまり得る具体例としては、ホーキングの唱えた“虚数時間”や超弦理論の前提とした10次元からなる多元空間などが思い当たるだろう。幾何学から独立して代数が虚数や立方根の概念を拡張した時、純全たる数の属質が類比的に現象存在やその属質に投影されてしまった可能性は容易に否定することはできそうにないように思える。また代数から独立して幾何学がn次元空間を実在するものであるかのように理解するようになった時、その異次元的“物理”の記述は現象世界の事象を研究する“物理”の範疇に含まれるものかが改めて問われることにもなる。数学的な思弁的記述はどこまで妥当に物理世界の記述として認め得るのか、形而上学の様相を示し始めた理論物理学は果たして科学の認可を受け得るものであるのかを再検証する必要があると、パトナムは考えているようである。








08:05:59 | antifantasy2 | No comments | TrackBacks