Archive for 02 June 2005

02 June

The Last Unicorn 『最後のユニコーン』読解メモ 245


"In the past, you have performed whatever miracle I required of you, and all it has done has been to spoil my taste for miracles. No task is too vast for your powers--and yet, when the wonder is achieved, nothing has changed. It must be that great power cannot give me whatever it is that I really want. A master magician has not made me happy. I will see what an incompetent one can do. You may go, Mabruk."

「これまでお前は儂が望むいかなる奇跡でも成し遂げて見せた。けれどもお前の行った奇跡のどれもが儂の奇跡に対する期待感を損なってしまうだけだった。お前にとってはいかなる難題も難し過ぎるということはなかろう。けれども、お前が何をして見せたところで、何も変わることは無かった。儂が本当に望むものが何であろうと、偉大な魔法の力がそれを儂に与えてくれるということはないのであろう。最高の魔法使いは儂に幸福を与えてくれることは無かった。だから無能な魔法使いが儂に何を与えてくれるかを、これから確かめてみることにしよう。お前は用済みじゃ。マブルク。」

 これまで召し抱えていた最高の魔法使いのマブルクを用済みにして、いかにも頼りない魔法使いのシュメンドリックを召し抱えようとするハガード王は、有能な魔法使いが成し得なかった奇跡を、無能な廃残者にこそ託してみるという遊戯的選択を自覚的に採用する、はなはだアイロニカルな美学的性向を備えた人物である。彼は実は、人間として考えうる限りの最高級の趣味人であり、教養人なのである。彼のこの常識外れの判断の基底には、有能と無能、苦痛と快楽等の正反対の概念が極大と極小を接点として結びついており、正反対の極致、つまり極限的な無能の延長線上には必ず絶大の有能が導かれるという、魔法の原理機構の背後に潜伏する独特のシステム原理に対する切実な信奉がある。

用語メモ
 対称的構造性(parity):自然法則にせよ、超自然的法則性にせよ、実験や観測から原理自体が導かれることはない。原理は思弁か観照を通してのみ与えられるのである。“偶奇性”というある種の対称性が世界の根本原理を支えているという推論は、当然ながら主観的な直覚から得られたものである。


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作品研究サンプル
▼『不思議の国のアリス』とファンタシーの世界
・映画“ラビリンス”とアリス
・映画“ドリーム・チャイルド”とアリス

(論文、アンチ・ファンタシーというファンタシー(13)「荒唐無稽とアナクロニズムとペテン的記述―『最後のユニコーン』における時間性と関係性の解体と永遠性の希求」、『ピーターとウェンディ』注釈テキスト "Annotated Peter and Wendy"等を公開中)


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