Archive for 02 March 2006

02 March

Peter and Wendy 『ピーターとウェンディ』読解メモ 106


 Adventures, of course, as we shall see, were of daily occurrence; but about this time Peter invented, with Wendy's help, a new game that fascinated him enormously, until he suddenly had no more interest in it, which, as you have been told, was what always happened with his games. It consisted in pretending not to have adventures, in doing the sort of thing John and Michael had been doing all their lives, sitting on stools flinging balls in the air, pushing each other, going out for walks and coming back without having killed so much as a grizzly. To see Peter doing nothing on a stool was a great sight; he could not help looking solemn at such times, to sit still seemed to him such a comic thing to do. He boasted that he had gone walking for the good of his health. For several suns these were the most novel of all adventures to him; and John and Michael had to pretend to be delighted also; otherwise he would have treated them severely.

 これから分かるように、冒険は日常茶飯の出来事でした。でもこの頃、ピーターはウェンディの助けを借りて、新しいゲームを考えだしました。ピーターはこのゲームにしばらく夢中になり、そして突然興味を失って放り出してしまいました。ピーターがゲームをする時は、以前にもお話しした通り、いつもこういう具合でした。そのゲームというのは、冒険をしない振りをすることでした。つまりジョンやマイケルが生まれてこの方ずっとやり続けてきたように、椅子に座ってボールを宙に投げ上げたり、押しくらまんじゅうをしたり、散歩に出かけて灰色熊くらいしか殺して来ない、というようなことでした。ピーターが何もしないで椅子にすわっているところは、中々の見物でした。こんな時ピーターは、とてもしかつめらしい顔をしないではいられませんでした。じっと座っているなんて、ピーターにはとても滑稽なことに思われたからです。健康のために散歩に出かけてきたよ、などと誇らし気に語ったりするのでした。何日かの間、このように暮らすのは、ピーターにとって斬新きわまりない冒険のように感じられました。そしてジョンとマイケルも、ピーターと同じようにこの冒険を楽しんでいる振りをしなければなりませんでした。そうしないと、とてもひどい目に遭わされたのです。

 ピーターは、メイク・ビリーブの世界においては文字通りの全能であるので、意のままにいかなる事柄でも実際に行ってしまう。そこでは日常生活の常識に縛られた暗黙の了解や遠慮等は一切無いので、生死や倫理の限界を超えたいかなる事態も、生起が可能となる。人間原理によって投影された疑似的自然とはあまりにも異なった、全方位的自由を常に行使し続ける“あるがままの自然”が、ピーターによって暗示されている。この自由は近代的な自意識を備えた反省的知識人が、当初は目標として掲げたものであった。

用語メモ
 libertine:“自由人”である。フランス語なら“リベルタン”と呼ばれる。社会的常識や慣習、宗教にさえも左右されない“自由思想”の実践家である。フランス革命の激変に畏怖したイギリス人には、伝統と慣習の破壊者を意味する嫌悪の対象となる言葉であったが、実は何物にも捕われることのない柔軟な合理思想そのものでもある。しかし現実世界の自由人が様々な物理的制約の許に相対的自由しか勝ち得ないのに対して、ピーターはもともと本来徹頭徹尾自由なのである。




和洋女子大学公開講座のお知らせ
 作品講読「ピーターとウェンディ」(Peter and Wendy)を読む

5月の毎週土曜日:5月6日、5月13日、5月20日、5月27日の4回、
2時から開催です。

◆内容
 “ピーター・パン”の物語として有名な、『ピーターとウェンディ』を原文で読みます。実はあまり良く知られていない原作の哲学的な主題を、英語表現の鑑賞に気を配りながら読みとって行きます。4回という限られた回数で作品の全体像を把握するために、読解上の注釈を施したテキストを用意しました。インターネットで公開中の対訳とメモを活用し、質疑応答を通して要点を押さえながら、読解の作業を進めていきたいと思います。
 主題としては、意識内世界としてのネバーランドという場所、個人の内面心理を形成する疑似人格的要素としてのピーターとフックという人物像等について考察することにより、“世界”と“自己”という概念に対する再検証のあり方を試みるつもりです。これがファンタシー文学一般の中心的主題と考えられるものなのです。
 (インターネットの利用、コンピュータの操作等ができなくとも、受講には差し支えありません。)




「ミクシィ」でコミュニティ「アンチ・ファンタシー」を開設しました。
◆「最後のユニコーン」に関するSue Matheson氏の論文の解説等を行っています。
◆ アニメーション版「最後のユニコーン」における視覚表現についての解説を公開中です。
◆ ピーター・ビーグルに関する書誌データを公開中です。

http://mixi.jp/view_community.pl?id=427647

参加希望の方は、以下のアドレスにご連絡下さい。招待メールをお送りします。

kuroda@wayo.ac.jp



メインページurl http://www.linkclub.or.jp/~mac-kuro/

論文、“アンチ・ファンタシーというファンタシー2:ファンタシーにおける非在性のレトリック─『最後のユニコーン』のあり得ない比喩と想像不能の情景”を新規公開中





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