Archive for 04 March 2006

04 March

Peter and Wendy 『ピーターとウェンディ』読解メモ 108


...There were, however, many adventures which she knew to be true because she was in them herself, and there were still more that were at least partly true, for the other boys were in them and said they were wholly true. To describe them all would require a book as large as an English-Latin, Latin-English Dictionary, and the most we can do is to give one as a specimen of an average hour on the island. The difficulty is which one to choose. Should we take the brush with the redskins at Slightly Gulch? It was a sanguinary affair, and especially interesting as showing one of Peter's peculiarities, which was that in the middle of a fight he would suddenly change sides. At the Gulch, when victory was still in the balance, sometimes leaning this way and sometimes that, he called out, "I'm redskin to-day; what are you, Tootles?" And Tootles answered, "Redskin; what are you, Nibs?" and Nibs said, "Redskin; what are you Twin?" and so on; and they were all redskins; and of course this would have ended the fight had not the real redskins fascinated by Peter's methods, agreed to be lost boys for that once, and so at it they all went again, more fiercely than ever.

けれども、ウェンディが本物であると確信する冒険も、数多くありました。何故なら、ウェンディ自身がその冒険に参加したからです。そして、一部は確かに起こった筈だと思える冒険も、さらに多くありました。他の子供達がその冒険を行い、全部間違いない、と語ったからです。これらの冒険の全てをもの語るには、英語・ラテン語辞典かラテン語・英語辞典程の厚さの本が必要でしょう。ここでなんとかできることは、この島で起こる平均的な事件を語ると思われる例を示すことです。問題は、どの事件を例にあげるかということです。スライトリー・ガルチでの、インディアン達との衝突を選ぶことにしましょうか?これはとても血腥い出来事でした。そしてピーターの行動の特徴を表すという点で、とりわけ興味深いものでした。ピーターは戦いの最中に、自分の属する側を変えてしまうのです。どちらが勝利しそうかまだ展望が定かでなく、時に子供達が優勢となったり、時にインディアンが優勢となったりしているその時に、ピーターは宣言したのです。「僕は今日はインディアンをやるぞ。トゥートルズ、君はどっちだ?」そしてトゥートルズは答えました。「インディアンだ。ニブズ、君はどっちだ?」そしてニブズも答えました。「インディアンだ。双子達、君達はどっちだ?」こんな風にして、子供達は全員インディアンになりました。勿論、このまま本物のインディアン達がピーターのやり方に魅了されて、この時はロスト・ボーイズになることにしなかったならば、ここで戦いは終わりになってしまっていたことでしょう。でも彼等は、こうして戦いを以前にもまして、より激しく続けることになったのでした。

 ここでは、お話の中でそのお話自体をどのように語ることにするかという問題が論議されている。フィクション性を自覚したフィクションの構図が、ネバーランドとピーターとの間の関係という本質的主題と連関して、自己言及的な構造論的自覚として提示されているのである。

用語メモ
 gulch:急流のある峡谷をこう呼ぶ。
 metafiction:フィクション性を自覚したフィクションの様態として通常理解されている言葉であるが、自己言及的な構造と反省的な自意識が形式と内容の連関において発現した語りの手法として捉えることもできる。




和洋女子大学公開講座のお知らせ
 作品講読「ピーターとウェンディ」(Peter and Wendy)を読む

5月の毎週土曜日:5月6日、5月13日、5月20日、5月27日の4回、
2時から開催です。

連絡先:和洋女子大学 渉外課 047-371-1473
 
◆内容
 “ピーター・パン”の物語として有名な、『ピーターとウェンディ』を原文で読みます。実はあまり良く知られていない原作の哲学的な主題を、英語表現の鑑賞に気を配りながら読みとって行きます。4回という限られた回数で作品の全体像を把握するために、読解上の注釈を施したテキストを用意しました。インターネットで公開中の対訳とメモを活用し、質疑応答を通して要点を押さえながら、読解の作業を進めていきたいと思います。
 主題としては、意識内世界としてのネバーランドという場所、個人の内面心理を形成する疑似人格的要素としてのピーターとフックという人物像等について考察することにより、“世界”と“自己”という概念に対する再検証のあり方を試みるつもりです。これがファンタシー文学一般の中心的主題と考えられるものなのです。
 (インターネットの利用、コンピュータの操作等ができなくとも、受講には差し支えありません。)



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kuroda@wayo.ac.jp



メインページurl http://www.linkclub.or.jp/~mac-kuro/

論文、“アンチ・ファンタシーというファンタシー2:ファンタシーにおける非在性のレトリック─『最後のユニコーン』のあり得ない比喩と想像不能の情景”を新規公開中




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