Archive for February 2006

28 February

Peter and Wendy 『ピーターとウェンディ』読解メモ 104


 As time wore on did she think much about the beloved parents she had left behind her? This is a difficult question, because it is quite impossible to say how time does wear on in the Neverland, where it is calculated by moons and suns, and there are ever so many more of them than on the mainland. But I am afraid that Wendy did not really worry about her father and mother; she was absolutely confident that they would always keep the window open for her to fly back by, and this gave her complete ease of mind. What did disturb her at times was that John remembered his parents vaguely only, as people he had once known, while Michael was quite willing to believe that she was really his mother. These things scared her a little, and nobly anxious to do her duty, she tried to fix the old life in their minds by setting them examination papers on it, as like as possible to the ones she used to do at school. The other boys thought this awfully interesting, and insisted on joining, and they made slates for themselves, and sat round the table, writing and thinking hard about the questions she had written on another slate and passed round. They were the most ordinary questions --
 "What was the colour of Mother's eyes? Which was taller, Father or Mother? Was Mother blonde or brunette? Answer all three questions if possible." "(A) Write an essay of not less than 40 words on How I spent my last Holidays, or The Caracters of Father and Mother compared. Only one of these to be attempted." Or "(1) Describe Mother's laugh; (2) Describe Father's laugh; (3) Describe Mother's Party Dress; (4) Describe the Kennel and its Inmate."

 時が経つにつれ、ウェンディは家に残して来た、愛する両親のことに思いを寄せたでしょうか?これはちょっと難しい問題です。何故ならネバーランドでは、時がどんな風に経つのやら、良く分からないからです。月や日で時は勘定されるものですが、ネバーランドではもとの世界よりもはるかに多くの月日があるからです。でも残念ながら、ウェンディはあまりお父さんやお母さんのことは考えなかったように思います。ウェンディは、両親が彼女が戻って来られるように、いつも窓を開けておいてくれることを、確信していました。だから心に不安を覚えることは全くなかったのです。時折彼女の心を乱したのは、ジョンの両親の記憶が曖昧で、過去の知り合いくらいとしか、考えていないことでした。マイケルはといえば、ウェンディが自分の本当のお母さんだと、もう心から信じようとしていました。これらのことが、ウェンディの気持ちを少し動揺させました。そしてウェンディは自分の義務として、以前学校でやっていたみたいに試験を行って、弟達の心の中に昔の生活を呼び戻そうと考えたのでした。他の子供達もこれがとても面白いことだと考えて、一緒に試験を受けることにしました。という訳で、子供達はみんな一人一人自分の石版をあつらえ、テーブルの周りに並んで座って、ウェンディが別の石版に書き込んで回した問題を解こうと一生懸命考え込みました。問題はといえば、ごく普通の試験問題でした。
 「お母さんの目の色は何色ですか?お父さんとお母さんと、どちらが背が高いですか?お母さんはブロンドですか、それともブリュネットですか?もし可能なら、これ全ての質問に答えなさい。」とか、「A:この前のお休みの時、どのように過ごしたか、あるいはお父さんとお母さんの生各の違いについて、40字以上で語りなさい。どちらか一方のみを答えなさい。」とか、「1:お母さんの笑い声はどんな感じですか?2:お父さんの笑い声はどんなですか?3:お母さんのパーティーのドレスはどんなふうですか?4:犬小屋とその居住者について語りなさい。」とかいうようなものでした。

 ネバーランドに関するもう一つの興味深い情報が語られている。現実の世界よりも月日の数が多く、記憶の密度が高い世界がこの夢想の中の島なのである。確かに現実世界には、関心の対象となるもの以外の夾雑物があまりにも多過ぎる。本来のあるべき姿からの不幸な逸脱を疑わざるを得ない、誤りと不完全さが目に付くことが、現実の特徴の一つである。

用語メモ
 slate:昔ノート代わりに用いていた石版。
 caracter:“character”の間違い。ウェンディが書き損じた通りを記したもの。
 describe:試験の問題に良く用いる言葉。“書きなさい”、“説明しなさい”。“語りなさい”等に訳すことができる。




和洋女子大学公開講座のお知らせ
 作品講読「ピーターとウェンディ」(Peter and Wendy)を読む
5月の毎週土曜日:5月6日、5月13日、5月20日、5月27日の4回、
2時から開催です。
◆内容
 “ピーター・パン”の物語として有名な、『ピーターとウェンディ』を原文で読みます。実はあまり良く知られていない原作の哲学的な主題を、英語表現の鑑賞に気を配りながら読みとって行きます。4回という限られた回数で作品の全体像を把握するために、読解上の注釈を施したテキストを用意しました。インターネットで公開中の対訳とメモを活用し、質疑応答を通して要点を押さえながら、読解の作業を進めていきたいと思います。
 主題としては、意識内世界としてのネバーランドという場所、個人の内面心理を形成する疑似人格的要素としてのピーターとフックという人物像等について考察することにより、“世界”と“自己”という概念に対する再検証のあり方を試みるつもりです。
 (インターネットの利用、コンピュータの操作等ができなくとも、受講には差し支えありません。)



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参加希望の方は、以下のアドレスにご連絡下さい。招待メールをお送りします。

kuroda@wayo.ac.jp



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27 February

Peter and Wendy 『ピーターとウェンディ』読解メモ 103


 Wendy's favourite time for sewing and darning was after they had all gone to bed. Then, as she expressed it, she had a breathing time for herself; and she occupied it in making new things for them, and putting double pieces on the knees, for they were all most frightfully hard on their knees.
 When she sat down to a basketful of their stockings, every heel with a hole in it, she would fling up her arms and exclaim, "Oh dear, I am sure I sometimes think spinsters are to be envied!"
 Her face beamed when she exclaimed this.
 You remember about her pet wolf. Well, it very soon discovered that she had come to the island and it found her out, and they just ran into each other's arms. After that it followed her about everywhere.

 縫い物や繕い物をする、ウェンディのお気に入りの時間は、子供達がみんな床についた後でした。その時だけ、彼女の語るところによれば、一人になってようやく一息つける、ということでした。そしてこの時をウェンディは、子供達のために何か新しいものをこしらえたり、膝のところに当て布をしたりして過ごすのでした。誰もがみんな膝のところを酷使する事といったら大変なものでしたから。
 どれもがみな、かかとに穴をこしらえた、籠に一杯の靴下を傍らにして座り込みながら、ウェンディは両手を宙に投げ出して叫ぶのです。「まったく、時には未婚の女達のことを、恨めしく思うこともあるもんだわ。」
 こんな風に愚痴をこぼしながら、ウェンディの顔は晴々と輝くのでした。
 ウェンディのかわいがっていた狼のことは、覚えておいででしょう。まもなくこの狼は、ウェンディが島にやってきたことに気付き、ウェンディのところにやって来たのでした。そして二人は両手で抱きしめ合ったのです。この狼は、その後はウェンディの行くところどこにでも付いて来るようになったのでした。

 実生活の苦労は、ネバーランドにおいては、表面的に模倣する遊戯の素材でしかない。すべての行動が、メイク・ビリーブとしての演技でしかないからである。そしてまた、ウェンディの夢想のなかにのみ存在していたペットの狼は、以前からこの島に生活していただけでなく、ウェンディの来訪を敏感に察知し、自らウェンディの許に姿を現してくれる。そして旧知のものとして、情愛に満ちた初対面の邂逅を喜び合うのである。ネバーランドの意識内に具現化した、亜空間としての特質がここでも暗示されている。

用語メモ
 spinster:日本語では“オールド・ミス”などと呼ばれたりもする。






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26 February

Peter and Wendy 『ピーターとウェンディ』読解メモ 102


 I suppose it was all especially entrancing to Wendy, because those rampagious boys of hers gave her so much to do. Really there were whole weeks when, except perhaps with a stocking in the evening, she was never above ground. The cooking, I can tell you, kept her nose to the pot. Their chief food was roasted bread-fruit, yams, coconuts, baked pig, mammee-apples, tappa rolls and bananas, washed down with calabashes of poe-poe; but you never exactly knew whether there would be a real meal or just a make-believe, it all depended upon Peter's whim. He could eat, really eat, if it was part of a game, but he could not stodge just to feel stodgy, which is what most children like better than anything else; the next best thing being to talk about it. Make-believe was so real to him that during a meal of it you could see him getting rounder. Of course it was trying, but you simply had to follow his lead, and if you could prove to him that you were getting loose for your tree he let you stodge.

 ティンクの部屋は、ウェンディにはとりわけ魅力的なものだったろうと思います。何故ならば、男の子達は本当に手が掛かってしょうがなかったからです。実際、晩にちょっと繕い物の靴下を手に出る場合などは除くとして、一週間丸々地上に出ることも出来なかったことが、何度もありました。食事の支度のために、ウェンディはお鍋に付きっきりでした。彼等の主な食事は、パンの実を焼いたもの、ヤムにココナツに丸焼きの野ぶた、マミーの実やタッパ・ロールに、ポーポーの実の殻でおろしたバナナなどでした。でも本当の食事にありつけるのか、ただのメイク・ビリーブの食事になるのか、それは誰にも分かりませんでした。みんなピーターのきまぐれ次第だったのです。ピーターはもしゲームの一部としてなら、本当に「食べる」ことができました。けれどもピーターには、お腹を一杯にするために「詰め込む」というのはできませんでした。子供達がみんな何よりも望んでいたのはそのことだったのですけれど。その代わりにできることといえば、食べ物のことについて話すことでした。メイク・ビリーブは、ピーターにとっては事実と変わりのないことだったので、食事の振りをしている間に、ピーターのお腹がふくらんでくるのを見ることさえできました。もちろんこんなのはつらいことでした。けれどピーターの言うことには、従うしかありませんでした。そして子供達が、自分の木に合わせるには体が細くなりすぎてしまったことをピーターに見せてやれた時には、ピーターは子供達に本当に食べさせてくれるのでした。

 ネバーランドにおいては、子供達は毎日食物を口にする生命活動である“生活”を行ってはいない。成長することと“生きる”ことを中止して、無時間性の夢想の中に浮遊するネバーランドにおいては、食事は専横な神のごとき存在であるピーターによって、見せ掛けのmake-believeのゲームとして行うことを強いられているのである。

用語メモ
 yam:ヤマノイモ属の植物。根を食用とする。
 mammee apple:オトギリソウ科マンメア属の植物。実をジャムにする。
 tappa:“tapa”(カジノキ)のことだと思われる。“paper mulberry”とも言う。クワ科のコウゾの類の植物。樹皮を布の材料に用いる。
 calabash:ノウゼンカズラ科の植物。ひょうたんのような実を生じる。




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25 February

Peter and Wendy 『ピーターとウェンディ』読解メモ 101


 It was rough and simple, and not unlike what baby bears would have made of an underground house in the same circumstances. But there was one recess in the wall, no larger than a bird-cage, which was the private apartment of Tinker Bell. It could be shut off from the rest of the house by a tiny curtain, which Tink, who was most fastidious, always kept drawn when dressing or undressing. No woman, however large, could have had a more exquisite boudoir and bedchamber combined. The couch, as she always called it, was a genuine Queen Mab, with club legs; and she varied the bedspreads according to what fruit-blossom was in season. Her mirror was a Puss-in-Boots, of which there are now only three, unchipped, known to fairy dealers; the washstand was Pie-crust and reversible, the chest of drawers an authentic Charming the Sixth, and the carpet and rugs the best (the early) period of Margery and Robin. There was a chandelier from Tiddlywinks for the look of the thing, but of course she lit the residence herself. Tink was very contemptuous of the rest of the house, as indeed was perhaps inevitable, and her chamber, though beautiful, looked rather conceited, having the appearance of a nose permanently turned up.

 この部屋は、粗末な造りのもので、同じような暮らしをしている熊の赤ちゃんが、穴蔵の中であつらえそうなものとあまり変りはありませんでした。けれども壁の奥に、鳥籠ほどの大きさのもう一つの部屋がありました。それはティンカー・ベルの個室でした。小さなカーテンがかかっていて、外から視界を遮ることができるようになっていました。とても細かいことに気を使うティンクは、着替えをする時にはいつもこのカーテンを引いていました。でも、どんなに大きな部屋を持っている淑女でも、これほど精妙な、寝室と居間の一体になった見事な部屋の持ち主はいなかったでしょう。ティンクが“カウチ”と呼んでいたのは、棍棒型の足のついた、純正のクィーン・マブ様式のものでした。そしてティンクは、折々に咲いている果樹の花に合わせて、ベッド掛けを取り替えているのでした。彼女が使っている鏡は、鑿細工無しのプス・イン・ブーツ様式で、今はもう3台しかないと言われる、妖精の扱い業者だけが取り引きする貴重なものでした。洗面台はパイ・クラスト型で、両面が使用可能なものでした。箪笥は本物のチャーミング6世様式で、絨毯と敷物はマージェリー・アンド・ロビンの初期のもの、つまり最高の時代のものでした。部屋の見栄えのために、ティドリーウィンクスのシャンデリアを吊るしていましたが、勿論部屋を照らすのは、ティンク自身の光でした。当然、仕方のないことながら、ティンクは外の部屋のことを、とても馬鹿にしていました。そしてティンクの部屋は、とても美しいものではあったのですが、いつも鼻を聳やかしたような感じの、幾分気取った雰囲気を漂わせていたのでした。

 ティンカー・ベルの住む小部屋の様子を描写する際は、室内装飾に関連する様々な専門用語を駆使して、独特の文体を備えた記述となっている。このような文体の様式の変化は、この作品の仮構作品としての自意識性を顕著に反映するものである。後の様々な場面で、さらに変化に富んだ記述のスタイルが採用され、文体の選択が意図的に行われていることが分かる。

用語メモ
 recess:“奥まった処”が“recess”である。深い森の内奥の場合もあれば、この場面のように、部屋から繋がったもう一つの小さな空間、“alcove”の場合もある。
 boudoir:上流社会の夫人が、邸宅の中で居間として用いる私室。“深窓”あるいは、“閨房”とも訳す。
 exquisite:趣味が洗練されていて、繊細で優雅なこと。賞賛の気持ちを込めて用いる、含みの深い言葉である。





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24 February

Peter and Wendy 『ピーターとウェンディ』読解メモ 100


 Wendy and Michael fitted their trees at the first try, but John had to be altered a little.
 After a few days' practice they could go up and down as gaily as buckets in a well. And how ardently they grew to love their home under the ground; especially Wendy. It consisted of one large room, as all houses should do, with a floor in which you could dig if you wanted to go fishing, and in this floor grew stout mushrooms of a charming colour, which were used as stools. A Never tree tried hard to grow in the centre of the room, but every morning they sawed the trunk through, level with the floor. By tea-time it was always about two feet high, and then they put a door on top of it, the whole thus becoming a table; as soon as they cleared away, they sawed off the trunk again, and thus there was more room to play. There was an enormous fireplace which was in almost any part of the room where you cared to light it, and across this Wendy stretched strings, made of fibre, from which she suspended her washing. The bed was tilted against the wall by day, and let down at 6:30, when it filled nearly half the room; and all the boys slept in it, except Michael, lying like sardines in a tin. There was a strict rule against turning round until one gave the signal, when all turned at once. Michael should have used it also, but Wendy would have a baby, and he was the littlest, and you know what women are, and the short and long of it is that he was hung up in a basket.

 ウェンディとマイケルは、一度で木に体を合わせることができました。でもジョンは、ちょっと修正を加えてもらう必要がありました。
 2、3日練習するうちに、3人は井戸のバケツみたいに素早く木を上下することができるようになりました。そしてみんな、地下の隠れ家が大好きになりました。とりわけウェンディは、夢中になってしまいました。地下は、一つの大きな部屋になっていました。家というものは、みんなこうでなくてはなりません。釣りに行きたいと思った時には穴を掘ることのできる床がありました。そしてそこには、素敵な色のしっかりしたキノコが生えていて、椅子として使うことができました。ネバーツリーが部屋の真ん中に生えていました。でも毎朝子供達は、この木を床と同じ高さに切り詰めていたのです。お茶の時間の頃には、木はいつも2フィートくらいの高さに伸びていました。ですから子供達はその上にドアを乗せて、テーブルにしていました。食器を片付けるとすぐにまた、この木を切り詰めるのです。こうして部屋の中で遊ぶのに十分なゆとりを得ることができました。部屋のすべてを占めるような巨大な暖炉がありました。どこにいても簡単に火を灯すことができます。ウェンディはこの暖炉の上に紐をかけて、洗濯物を吊るしました。ベッドは、昼の間は傾けて壁に寄りかからせていました。そして6時30分になると、床に降ろすのです。すると部屋の半分近くは、ベッドで占められました。マイケルを除くみんなは、このベッドで眠りました。缶詰のひしこいわしみたいに並んで寝るのです。寝返りを打つ時には、誰かが号令をかけて、一斉に行わなければならないという規則がありました。マイケルもこのベッドで眠るはずだったのですが、ウェンディは赤ちゃんが欲しかったのです。そしてマイケルが、みんなの中で一番小さかったので、女の子というものは言い出すと聴かない、ということもあり、かいつまんで言ってしまえば、マイケルは籠に入れられて吊るされることになったのでした。

 ネバーランドには、ネバーツリーが生えている。その他様々のネバー〜があることがこの後分かって来る。ネバーランドにおいては、あらゆる存在物が現実世界に対する反転的属性を保持した、影の関係にあることが暗示されている。
 毎朝ネバーツリーを切り詰めるロストボーイズ達の習慣は、時の流れを止め、変化を阻止することを誓う儀式のようである。

用語メモ
 basket:“籠”のことだが、ここではインディアンの赤ちゃんが入れられている揺りかご“papoose”を指している。“papoose”という語は、後にも登場する。この当時の子供達のお気に入りの話題が、インディアンの生活と海賊の冒険だったのである。当然のことながら、両者共に、上品な大人達の顰蹙を買うような残酷で血なまぐさいものでなければならなかったことだろう。




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