Archive for November 2006

05 November

学園祭公開授業 8

和洋女子大学学園祭公開授業のお知らせ

最後のユニコーンの世界 

The Last Unicornと影の主題
ーアニメーション版The Last Unicorn における映像表現

11月4日、5日
東館11階3科共用演習室3にて
1時より4時まで
(自由に入・退出できます。)

 アニメーション映画「最後のユニコーン」(1982)は、1968年に出版された原作の隠された主題であった「影と本体の関係性」を、映像表現として巧みに再編成することに成功している。原作の形而上的で難解な影の主題の根幹的解釈を行う前に、映像表現による影というモチーフの応用例を即物的に確認していくことにより、意外な緻密性を備えたこのアニメーション映画の完成度の高さを味わってみたい。





 レッド・ブルがユニコーンに駆逐され、海中に姿を没するのと呼応して、泡立つ波がユニコーンの形となり、無数のユニコーン達が実際に姿を現し始める。
 レッド・ブルとユニコーンも、ユニコーンと海あるいは波として感知されるものも、それぞれが各々の場合において、本体と影の関係性を担っていると考えられるべきものなのだろう。





 再び世界にユニコーンが満ち溢れる。かつてない至福がもたらされ、全てのものが、昼と夜が交代するように、対照的な様相を新たにするのである。ユニコーンが自由になった世界で、ハガード王は最期を迎え、彼の城は崩壊する。



 アニメ版「最後のユニコーン」では、作者ビーグル自身がシナリオを担当しており、台詞も大部分が原作にあった通りのものが用いられています。原作のストーリーを一部省略したところや、あるいは独自の映像表現として原作とは全く別個の工夫を凝らした場面もいくつかあります。しかし原作が保持していた主題性に対するこだわりには全く妥協がないばかりか、原作の筋の運びに再検証を施し、本来の主題をより効果的に描くために微調整を行ったと思われる箇所さえあるのです。この映画の細部についての疑問や質問、あるいはご指摘等がありましたら、ぜひお知らせ下さい。

◆論文作成等でご利用の方には、研究書「アンチ・ファンタシーというファンタシー」を差し上げます。当日お申し出下さい。
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04 November

学園祭公開授業 7

和洋女子大学学園祭公開授業のお知らせ

最後のユニコーンの世界 

The Last Unicornと影の主題
ーアニメーション版The Last Unicorn における映像表現

11月4日、5日
東館11階3科共用演習室3にて
1時より4時まで
(自由に入・退出できます。)

 アニメーション映画「最後のユニコーン」(1982)は、1968年に出版された原作の隠された主題であった「影と本体の関係性」を、映像表現として巧みに再編成することに成功している。原作の形而上的で難解な影の主題の根幹的解釈を行う前に、映像表現による影というモチーフの応用例を即物的に確認していくことにより、意外な緻密性を備えたこのアニメーション映画の完成度の高さを味わってみたい。





 思いを通わせ合うようになったリア王子とアマルシア姫の、心の中を描くような映像である。二人が降り立った泉の向こうの端に、ユニコーンの影が映っている。
 しかしその影を落としている本体には角がない。それから再び泉に自分の姿を映すと、その頭にはユニコーンの角がついているのが分かる。





 アマルシア姫とリアが歌う。

LADY AMALTHEA: Now that I'm a woman,
(私は今、人間になったから、)
LIR: That's all I've got to say.
(それが僕の、言いたいこと。)
LADY AMALTHEA: Now I know the way.
(私は今、行くべき道を知った。)
LIR:That's all I've got to say.
(それが僕の、言いたいこと。)
LADY AMALTHEA: Now I know the way.
(私は今、行くべき道を知った。)
LIR+AMALTHEA: That's all I've got to say.
(それが僕の/私の言いたいこと。)

アマルシア姫が泉のほとりのユニコーンに目を向ける。ユニコーン自身にも水面に映った鏡像にも角はついていない。泉を離れ、駆け出して森に入っていったユニコーンには、角がついている。




 リアはユニコーンの後を追うレッド・ブルの前に立ちふさがり、あっけなく殺されてしまう。この物語での英雄の役割は、ユニコーンを守ろうとして、無益な死を遂げることにある。





 リアの死をきっかけに、ユニコーンに変化が生じる。リアの亡骸の上に落ちた影によって、ユニコーンがレッド・ブルを押し返していく様が示されている。

◆論文作成等でご利用の方には、研究書「アンチ・ファンタシーというファンタシー」を差し上げます。当日お申し出下さい。
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03 November

学園祭公開授業 6

和洋女子大学学園祭公開授業のお知らせ

最後のユニコーンの世界 

The Last Unicornと影の主題
ーアニメーション版The Last Unicorn における映像表現

11月4日、5日
東館11階3科共用演習室3にて
1時より4時まで
(自由に入・退出できます。)

 アニメーション映画「最後のユニコーン」(1982)は、1968年に出版された原作の隠された主題であった「影と本体の関係性」を、映像表現として巧みに再編成することに成功している。原作の形而上的で難解な影の主題の根幹的解釈を行う前に、映像表現による影というモチーフの応用例を即物的に確認していくことにより、意外な緻密性を備えたこのアニメーション映画の完成度の高さを味わってみたい。





 海に映ったユニコーンの影と見えたものは、実は槍を構えて馬を駆る騎士の落とした影であった。海と失われたユニコーン達の秘密、人々の眼に映る偽りのユニコーン像など、影の主題を反転的に暗示する、このアニメーション映画における優れた映像表現の一つである。





 一瞬ユニコーンの影と見えたものの傍らを泳いでいるものも、実は鯨の一種のナー(nar whale:一角鯨)である。ユニコーン伝説は、サイと並んでこのナーから生まれたとも言われている。螺旋形によじれたその角は、実際にユニコーンの角として解毒剤の効果を持つと信じられ、高値で取り引きされた。ユニコーンの“実体”である姿が、ユニコーンを主人公とする物語の中で映し出されている。作品世界を仮構外部から瞥見する視点が導入されているのである。





 ユニコーンとしての記憶と本性を失いつつあるアマルシア姫の背後に、人間達の偽りのイメージで語られたユニコーンのタペストリーが見える。荒々しい、男性的なユニコーンである。




 アマルシア姫が姿を映した鏡には、背後のタペストリーの中のユニコーンが映っている。アマルシア姫は歌う。

Everything is strange.
(何もかもが、見知らぬもの。)
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02 November

学園祭公開授業 5

和洋女子大学学園祭公開授業のお知らせ

最後のユニコーンの世界 

The Last Unicornと影の主題
ーアニメーション版The Last Unicorn における映像表現

11月4日、5日
東館11階3科共用演習室3にて
1時より4時まで
(自由に入・退出できます。)

 アニメーション映画「最後のユニコーン」(1982)は、1968年に出版された原作の隠された主題であった「影と本体の関係性」を、映像表現として巧みに再編成することに成功している。原作の形而上的で難解な影の主題の根幹的解釈を行う前に、映像表現による影というモチーフの応用例を即物的に確認していくことにより、意外な緻密性を備えたこのアニメーション映画の完成度の高さを味わってみたい。




自分と同じようにハーピーもこのミッドナイト・カーニバルに捕われていることを知って、ユニコーンはつぶやく。

She is real like me. We are two sides of the same magic.
(ハーピーは私と同じく、本物です。私達は同じ魔法の二つの側面なのです。)

 これも原作には無かった台詞である。ユニコーンの語るように、ユニコーンとハーピーは聖と邪に分極した、真実の存在の示す対照的な両側面なのである。互いが互いの影として、その独特の存在的特質を得ているのである。




 ユニコーンを捕まえた魔女マミー・フォルチュナはユニコーンに語る。

I had to give you a horn they could see. These days it takes a cheap carnival trick to make folk recognize a real unicorn.
(私はあんたに、あの連中の眼にも見える角をつけてやらなければならなかったんだよ。今節ではね、人々に本物のユニコーンの姿を見させてやるためには、まがい物の目くらましが必要なのさ。)

 影の世界のあさましい実態に改めて気付かされたユニコーンは、檻の鉄格子に映して、自分に付けられた偽物の角を見るのである。

◆論文作成等でご利用の方には、研究書「アンチ・ファンタシーというファンタシー」を差し上げます。当日お申し出下さい。
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01 November

学園祭公開授業 4

和洋女子大学学園祭公開授業のお知らせ

最後のユニコーンの世界 

The Last Unicornと影の主題
ーアニメーション版The Last Unicorn における映像表現

11月4日、5日
東館11階3科共用演習室3にて
1時より4時まで
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 アニメーション映画「最後のユニコーン」(1982)は、1968年に出版された原作の隠された主題であった「影と本体の関係性」を、映像表現として巧みに再編成することに成功している。原作の形而上的で難解な影の主題の根幹的解釈を行う前に、映像表現による影というモチーフの応用例を即物的に確認していくことにより、意外な緻密性を備えたこのアニメーション映画の完成度の高さを味わってみたい。




コーラスが歌う。

walking man's road...
(人の世界の道をあるいて...)

 ユニコーンは時間の流れの支配に身を投じ、あてどない旅を続ける。本来ユニコーンの生きるべき世界ではない、「人の道」を歩くユニコーンの姿は、やはり水面に映り、転倒した鏡像でもってあらわされている。







 見物人達の前にお披露目されたユニコーンは、逆に自分の姿を認めた人々の示す憧憬と渇望の表情に、世界の堕落の果ての変化と今を生きる人々の悲しい心の有り様を知る。しかし彼等の眼に映るユニコーンは、魔女の魔法により偽りの角を与えられた幻影の方なのである。

◆論文作成等でご利用の方には、研究書「アンチ・ファンタシーというファンタシー」を差し上げます。当日お申し出下さい。
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