Complete text -- "英文学科公開講座主題 総論 "

05 September

英文学科公開講座主題 総論 

4 総論:フィクションとメタ思考
 映画“フック”では、“ピーターとウェンディ”の作者であるジェイムズ・バリや、ピーター・パンという存在のことを初めに物語ったとされる“実在の”ウェンディが登場し、彼等の生きている現実の世界にネバーランドという異世界の住民であるフックの介入が行われるという構図で、仮構世界と現実世界の混淆が果たされ、作品世界におけるあり得ない状況が完成されていた。
 また映画“ネバーランド”でも、一瞬の映像イメージとして、“ピーター・とウェンディ”の製作に大きな影響を与えたダーリング氏のモデルであるデイビーズ夫人が、作品内仮構であるネバーランドに足を踏み入れるシーンが描かれていた。このようなあり得ない筈の状況を示唆する場面が特有の“ファンタスティック”な要素として、これらの仮構作品の位相を決定しているのである。
 しかし原作の「ピーターとウェンディ」においては、作品そのものの基幹的主題としてさらに踏み込んだ形で、フック船長の出自に関する記述の中において、現実世界と心の中の世界であるとされるネバーランドとの次元の断絶を越えた混淆がすでに語られていたのであった。







Hook was not his true name. To reveal who he really was would even at this date set the country in a blaze; but as those who read between the lines must already have guessed, he had been at a famous public school;...

フックというのは彼の本当の名前ではありません。彼の正体を明かすことは、今になってさえも世の中を大変にさわがすことになるでしょう。けれど行間を読んで下さる読者ならもうお気づきのはずのように、彼は有名なパブリック・スクールの出身なのでした。

“ピーターとウェンディ”というお話の記述によれば、海賊フックは自らの意思で現実世界から架空の世界へと転身をとげ、生きながら伝説上の存在へと姿を変えることにより、越え難い筈の次元界面を跳躍することに成功したのである。このお話のもっとも“ファンタスティック”な部分がここにある。実はこのように仮構世界と現実世界との玄妙な連接あるいは交渉があり得るという可能性は、ロマン主義の哲学の重要な原理を形成するものであった。物質と精神、現実と仮構の双方を包含するより公汎なシステム的存在論の構築と、その理解を可能にする媒体である超越的連続体としての意識/存在様相の獲得に対する憧憬こそが、ロマン主義の根底にあった駆動力なのである。そこには“現実”と呼ばれているものに対する激烈な反抗の衝動がある。
 何故ならば“あるがままの確固たる現実”と一般的に是認されているものが、しばしば邪な目的のため統制され、歪められた幻想に過ぎないものであったことは、苛酷な歴史と鋭利な観察が証明してしまっているからだ。国家の存在意義や国民の果たすべき義務などというものが、普遍的な自然の理として認められるならば、これほど目出度いことはない。与えられた既成の世界観を手放しで受け入れることが良くないという決まりは、別に根本原理として定められている訳ではないので、素直に社会や体制の押し付ける“現実”と日常の“生き甲斐”を享受するのも利口な処世術ではある。しかし暗黙のうちに強要されたこれらの擬似“根本的価値”が、その意味を瞬時に失う危険性を内包していることが明白な際には、その“現実”は容易くは受け入れ難いものとなるだろう。自ら心底受け入れたつもりでいた価値観や目的意識が、圧倒的な外圧のために激烈な変革を迫られた時の不幸な衝撃の大きさもまた、歴史が証明するものであり、何よりも現代の日本の精神的荒廃が、その悲惨な影響の苛烈さを物語っていることは論を待たない。与えられた価値観や直感的に得られる印象的判断に満足せず、様々の角度から新規の考察を試み、十分な深度に至るまで検証を加えた末、いかなる可能性とも齟齬を来すことのない普遍性を備えた理論と思われるものを思考する行為が“メタ思考”ということになる。そして本来のメタ思考を存分に展開してみると、そこに得られるものはしばしば常識や通念からはかなりかけ離れた、異質な“あり得ない現実”ともなり得るのである。ファンタシーが提供してくれている現実の常識破壊とさらなる普遍性を備えたメタ・リアリティの模索の可能性は、“フィクション”という概念の哲学的な再評価の必要性に基づくものなのである。この要請が時として大きな意味を持つ理由は、ファンタシーは決して現実ではないが、現実はしばしば幻想であるからだ。

19:14:10 | antifantasy2 | | TrackBacks
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