Complete text -- "“私”と“世界”と仮構/魔法─ペルソナと時空の等価原理 2"

19 October

“私”と“世界”と仮構/魔法─ペルソナと時空の等価原理 2


 仮構と科学、魔法と現実のそれぞれを統括して理解すべくこれまでに論じてきたような存在論的仮説に実際に従って、見事にその生を全うした実存と芸術の実践者が、既に日本には存在していたのであった。本書におけるファンタシーと量子力学との相関に関する論考と最も深い関連を持った人物として、第一に挙げるべきだと思われるのは宮澤賢治の名前であろう。“詩と科学と宗教を一つのものにする”という霊的スローガンを掲げて“心象スケッチ”という生の芸術活動を実践した賢治の理論的拠り所が、アインシュタインの提示した相対性理論にあったことは既に良く知られた事実である。例えば賢治の代表作と言えるであろう、精神と霊的知覚の極限を模索した『銀河鉄道の夜』の舞台を提供する進行中の鉄道車両という印象的なシチュエーションが、等速直進運動を行いつつある慣性系における時間・空間の位相を再考察するためにアインシュタインの採用した思考実験の機構に触発されたものであることに間違いはないと思われる。そればかりでなく、相対性理論の提示した素粒子の存在論的解釈とその哲学的影響を巡って1920年代に切実な関心を持って論議されつつあった、量子理論の開拓した波動論あるいは確率論的解釈法についても、賢治が“心象スケッチ”において敏感に同時代的反映を示したことが分かっている。1924年9月17日の作である『春と修羅』第2集に所収の作品番号304、「落葉松の方陣は」などに、その顕著な実例を見ることができる。量子論理における実在の存在論的解釈を巡る、ボーアやハイゼンベルグの論議の影響を直接反映していることが確実である例として該当すると思われる箇所を、下に引用してみよう。

半透明な緑の蜘蛛が
森いっぱいにミクロトームを装置して
虫のくるのを待ってゐる
にもかゝはらず虫はどんどん飛んでゐる
あのありふれた百が単位の羽虫の輩が
みんな小さな弧光燈(アークライト)といふやうに
さかさになったり斜めになったり
自由自在に一生けんめい飛んでゐる
それもああまで本気に飛べば
公算論のいかものなどは
もう誰にしろ持ち出せない
むしろ情に富むものは
一ぴきごとに伝記を書くといふかもしれん

 宮澤賢治という個人の存在の反転的写像である、彼を取り巻く風景に対する主観的描写の中に採用された“公算論”(probability)という語が、物質粒子あるいは一個の生命体すらも“確率関数”として記述することを主張する、古典力学における運動方程式に代替するものとして量子力学が提示した存在性記述理論を示唆するものである。アインシュタインの提示した相対性理論の主要な課題点である時空連続体としての世界認識と慣性系における作用伝達の新解釈についてばかりでなく、素粒子の振る舞いについての存在論的考察としてそこから必然的に展開した実在と記述の相関についての様々な議論を、賢治は量子論理生成期の同時代人として重大な関心を持って把握していたのだった。そしてこの従来の決定論的現象解釈に取って代わるべき新機軸の実在記述理論の誕生が、結局は賢治に対しては揺るぎない信仰の道と情熱的な科学の探求の道の双方を包含する統合的世界解釈として、生の哲学の実践の道への接点を提供することになったのである。それは、『春と修羅』の序詩として提示された以下の創作理念の宣言に、あまりにも直裁に語られるものとなっている。

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち、その電燈は失はれ)
これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケツチです
これらについて人や銀河や修羅や海胆は
宇宙塵をたべ、または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
みんなのおのおののなかのすべてですから)
けれどもこれら新生代沖積世の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一点にも均しい明暗のうちに
   (あるひは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を変じ
しかもわたくしも印刷者も
それを変らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史、あるひは地史といふものも
それのいろいろの論料(データ)といつしよに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
おそらくこれから二千年もたつたころは
それ相当のちがつた地質学が流用され
相当した証拠もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を発堀したり
あるひは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません
すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます

     大正十三年一月廿日   宮澤賢治

賢治がここで「わたくし」と名乗る自らを“存在”とは呼ばず“現象”と定義づけ、“透明な幽霊”すなわち心霊あるいはペルソナの“複合体”であると認識するのは、相対性理論の成し遂げた実在解釈の方法論の革変に見事に対応している。おそらく賢治にあっては、全体性の示す一様相を意味単子として構想するライプニッツのモナド論の発想は、相対性理論の示す宇宙観に対する考察を通して受け入れられたものであろう。そしてアインシュタインの提示した時間と空間の連続体としての世界像に対しては、この序詩では“時空”という言葉ばかりでなく、さらに“第四次延長”という言葉をも用いてその骨子が反映されている。“因果の時空的制約”という言葉にあるように、事象と存在の記述とその意識の主体の認識において示される様々な様相の等価原理的な相異なった具現化という基本認識そのものが、相対性の原理の実存的反映としてこの序詩の全体に展開する基幹理念となっている訳だが、これらは仏教思想的関連から“六道”の発想を暗示させもする“人や銀河や修羅や海胆”といういかにも賢治らしい大胆な字句を用いて、また集約的に語られ直すことになっている。しかし賢治の創作論において最も枢要な相対性理論と量子力学の存在解釈を反映した思想的核心が述べられていると思われる部分は、実は“すべてがわたくしの中のみんなであるやうに/みんなのおのおののなかのすべてですから”という一節であろう。この言明に示唆される全と個の反転的合一を前提とするシステム理論的存在解釈こそが、近代西洋思想が結局は帰着してしまった、存在性における意味の喪失と生の根本原理の破綻を救済するための、重要な契機を提供するものだからである。



 ニュートンの古典力学体系を推進する王立協会組織として設立されたロイヤル・ソサエティに代表される近代的な科学思想と応用技術をいち早く発展させ、他国に先んじて産業革命を成功させてヨーロッパ随一の強国となったイギリスに、その先進国としての思想と文化の本質を学ぶために明治政府によって留学生として派遣された夏目漱石は、20世紀初頭の俗物主義の王国イギリスにおける実際の思想的現状に、学ぶべき理想とはかけ離れた現代科学文明の病理と共に、古典力学とその示唆する哲学そのものの限界点をいち早く痛感することとなり、世界の将来の思想的展望に対する深い憂慮に捕われることになったのであった。科学思想と個人主義の抱え込んだ思想上の根幹的限界性は、後には“断絶”(deracination)という言葉で広く一般に理解されるようになったが、漱石はいち早く人間存在の基本的意義性の全体性の宇宙からの乖離をもたらす近代西洋思想の問題点を見極め、一人暗然とした思いにかられたのであった。黎明期の量子力学が突きつけた、あまりにも革新的な伝統理論体系に対する破壊的側面を、漱石は留学先のイギリスで身をもって体感していたのである。しかし漱石に現代文化の展望に対する思想的懐疑に導かれた深い懊悩を与えることとなった20世紀の新知識は、逆に少しばかり時代を下って賢治の心中においては、反転的に既存の宗教と思想の限界点を跳躍することを可能にするであろう、科学的/宗教的発心となり得たのである。その力強い希望に満ちた宣言を、『春と修羅』に収められた心象スケッチの作品の全編を通して確かに窺うことができるのである。そしてこれら全ての詩作理念の根底としてあるのが、先ほど見た“すべてがわたくしの中のみんなであるやうに/みんなのおのおののなかのすべてですから”という宇宙論的/存在論的確信だったのである。
 しかしながらこの信念を確証すべく『春と修羅』において賢治の採用したこれらの科学的発想と新感覚の専門用語は、“心象スケッチ”としてまとめられた詩作品の各々の中では、孤独な精神世界を逍遥する作者自身の姿と、その心眼に映ったとりとめのない夢想を語る一つの道具立てとして用いられているばかりで、これらの述語の示す科学上・思想上の本来の意義性は、ことさら個々の作品自体の内部機構において主題的に緊密に構築された関係性を与えられて、計算づくの結果語られている訳ではないように思える。飽くまでも“心象”の“スケッチ”としての断片的な独白の中で、これらの全体性の世界観を示唆する新機軸の科学用語は、賢治の駆使する一般の諸分野の専門用語に紛れて、単に恣意的に挿入されているばかりのようにも思えてしまうのである。だからこれらの専門知識の保持する科学的・哲学的発想と現代物理学と現代思想の微妙な関連についての基礎知識に対する十分な理解を持たない者にとっては、賢治の使用する“科学用語”は、時として機械論的な古典力学的科学観や、エジソンによって代表される科学的応用技術(テクノロジー)をのみ示唆するものであるかのように、誤った理解をされてしまうこともあるだろう。これらの該博な知識が暗示する筈の、自省的な創作行為を行いつつある重要なメッセージの発信者としてはあまりに不用意なものとも見なされかねない用語の選択が、素朴なほどに無計画になされてしまっているかのように見えてしまうのである。このように宮澤賢治という本来は極めて思想的な要素の色濃い詩人においては、読み手の側の新傾向の専門用語と思想的発想に対する理解の程度を推し量り、これらの一般には極めて難解であった筈の思想あるいは知識を作品世界に導入する上で、書き手として払うべき説明的顧慮を全く欠いたかのように思われる、言わば独善的な創作行為を行っていると思われかねない危うい部分が確かにあるのである。多くの人々に時として疑心を抱かせる、賢治という思想家/芸術家の裡にある一見したところ極めて不可解な矛盾点がここにある。
 しかしながらこれらの、全くの説明不足としか言い様のない程の素朴な語の選択と無軌道で放埒なほどの発話行為こそが、むしろ賢治の詩作上の特徴的な傾向であると同時に、彼の芸術哲学の基底をなす根本理念ともなっているのである。賢治の詩作行為における、読者の確実な理解を省みない独善的とも見なされかねないこの野放図な用語の使用を許した根拠としてあるものこそが、このかつて例を見ない独特の思索者/行動者の本質を語る重要な手がかりとなる筈なのである。実は『春と修羅』の中に散見されるアインシュタインの相対性理論とハイゼンベルグその他の展開した量子力学理論に関する言及の例にも増して、むしろ相対性理論の発想が賢治に与えた重大な確信の直截な影響を見ることができるのは、「グスコーブドリの伝記」の中の以下の一節である。物語の序盤で、主人公ブドリが人生の師となる科学者クーボー博士の授業を始めて目にする際の場面である。

…向こふは大きな黒板になっていて、そこにたくさんの白い線が引いてあり、さっきのせいの高い眼がねをかけた人が、大きな櫓の形の模型をあちこち指しながら、さっきのままの高い聲で、みんなに説明して居りました。
 ブドリはそれを一目見ると、ああこれは先生の本に書いてあった歴史の歴史といふことの模型だなと思ひました。先生は笑ひながら、一つのとってを廻しました。模型はがちっと鳴って奇體な船のやうな形になりました。またがちっととってを廻すと、模型は今度は大きなむかでのやうな形に變りました
 みんなはしきりに首をかたむけて、どうもわからんといふ風にしていましたが、ブドリにはただ面白かったのです。
 「そこでかういふ圖ができる。」先生は黒い壁へ別の込み入った圖をどんどん書きました。

 クーボー先生の語る講義の主題を具現化したものであると思われる、ブドリが教室で目にした不思議な模型が示す“歴史の歴史”という概念のメタ構造と、さらにまた“歴史の模型”という異次元的意味空間の交錯が撚り合わされた、とりわけ興味深い観念性の記述の例が、ここにあることを確認することができる。賢治が詩作と人生の統一スローガンとして掲げた、“詩と科学と宗教の統合”(7)という理想を可能にすることができる、おそらく賢治にとっての宗教的回心として作用していたに違いないシステム理論的根拠を照射する理念が、実はここに浮上しているのである。何故ならばこのメタ構造概念は、アインシュタイン自身が彼の相対性理論の着想に多くを頼っていることを言明していた、マッハの哲学の以下のような原理性志向的関心を見事に反映しているからである。

「経験的所与のあいだの諸関係」を函数的に表現し、それら函数の函数を定式化しようとする

22:12:02 | antifantasy2 | | TrackBacks
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