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03 September

2009佐倉セミナーハウス公開講座 資料

2009佐倉セミナーハウス公開講座1日目

ビーグル・メモ

 ビーグルが14歳か15歳の頃、雑誌Seventeenに短編小説を応募。掲載はされなかったが、原稿が編集者のBryna Ivensの目に留まり、サポートを受けるようになる。
 原稿の入った封筒に住所が記載されていなかったため、Brynaは封筒の送り先の郵便局の住所を調べ、市内の電話番号一覧からビーグルの家を探し出してくれた。当時市内のBeagle姓の人々は全員親戚同士だったため、たやすく見つけ出すことができたという。BrynaはビーグルをNorman MailerやArthur Miller等の著名な作家に引き合わせてくれるなど、手厚く面倒を見てくれた。Brynaの紹介で、John SteinbeckのエージェントをしていたElizabeth Otisが、17歳のビーグルをクライアントとして迎え入れてくれた。Elizabethは、ビーグルが19歳の時に書いた処女作A Fine and Private Placeを、Viking社から出版してくれる。(1960年)
 Elizabethの推薦で、Wallace Stegner奨学生として、Stanford大学で学ぶことになる。期間は1年間で、前期の客員教授はJack Kerouacを育て、William Faulknerの評価を確立した文芸評論家Malcolm Cowleyであった。後期の客員教授は、短編小説家Frank O’Connorであった。同期で学んだ人々には、One Flew Over the Cuckoo’s Nestを書いたKen Keseyなどがいた。
 Stanfordの在学中に、Frank O’Connorのwriting class の提出レポートとして、短編 “Come, Lady Death”を書いた(1961年)。この時のエピソードをビーグルは何度か振り返って語っている。「オコナーはアビー・シアター風の美声でこの短編を朗読し、“とても良くできたファンタシーだ。ファンタシーは大嫌いだ。”と語った。」(preface to The Fantasy Worlds of Peter S. Beagle, 1978)
  “Come, Lady Death”はその後1963年に、The Atlantic Monthlyに掲載された。

The Last Unicorn (1968)
“Lila the Werewolf” (1971)
“Two Hearts” (2005)
14:22:53 | antifantasy2 | | TrackBacks
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