Archive for November 2004

30 November

The Last Unicorn 『最後のユニコーン』読解メモ 61


Strung on the loom of iron bars, the web was very simple and almost colorless, except for an occasional rainbow shiver when the spider scuttled out on it to put a thread right. But it drew the onlookers' eyes--and the unicorn's eyes as well--back and forth and steadily deeper, until they seemed to be looking down into great rifts in the world, black fissures that widened remorselessly and yet would not fall into pieces as long as Arachneユs web held the world together.

鉄格子の機織り機に掛けられた蜘蛛の網はとても粗末なもので、蜘蛛がこそこそと出て来ては糸を掛け直した時に時折見える虹のような輝きを除いては、ほとんど色もありませんでした。けれどもこの網は見るものの目を引き付けたのでした。そしてユニコーンの目もまた、同様に引き付けられてしまいました。蜘蛛が行ったり来たりするうちに、だんだんと深く沈み込んでいき、何時の間にか彼等は世界の大きな裂け目の中を覗き込んでおり、その黒々とした裂け目は容赦もなく広がっていき、かろうじてアラクネがその網で繋ぎ止めていなければ、散り散りに裂けてしまいそうに思えるのでした。

 世界にほころびが生じ、全てが分解しつつある様を感じる時の不安感がマミー・フォルチュナの魔法の力によって見事に見物人達の目に映し出されている。近代に至り、客観的・相対主義的現実認識を受け入れざるを得なくなった知識人達は、世界と個々人を共に意義あるものとして結び付けることに成功していた古代思想の破綻を感じた時の心情を、「世界がひっくり返った。」と形容した。自我の分裂状況に対する痛切な自覚と世界の崩壊を意識する暗澹たる感覚は、同一の危機感の表裏をなすものであると考えられる。心理的には、このような感覚に対する癒しとしてファンタシーは機能している。

用語メモ
 引き裂かれる世界:ルネサンス以降の近代人が経験した、宇宙構造と人間の内面意識の双方における従来の確信の崩壊感覚である。信じていた価値観と意義性のコペルニクス的転換を強いられた時の不安と動揺がここに再現されている。シェイクスピアの諸作品にもこの感覚は強く影を落としているし、エリザベス朝の知識人達は一様に、「世界がひっくり返った。」、「もはや中心はどこにも無く、すべてがばらばらになった。」と感じていた。この感覚は今は、我々の心の基底に自覚されることもなくくすぶり続けているものとなっている。

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作家島田雅彦氏による講演・パフォーマンス <自由人の祈り>

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(『最後のユニコーン』注釈テキスト "Annotated Last Unicorn"、論文「『最後のユニコーン』と“漫画性”」、「『最後のユニコーン』のフック的アンチ・ヒーローと神格化された無知」、『ピーターとウェンディ』注釈テキスト "Annotated Peter and Wendy"等を公開中)



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29 November

The Last Unicorn 『最後のユニコーン』読解メモ 60


"She can't turn cream into butter, but she can give a lion the semblance of a manticore to eyes that want to see a manticore there--eyes that would take a real manticore for a lion, a dragon for a lizard, and the Midgard Serpent for an earthquake. And a unicorn for a white mare."

 「あの魔女はクリームをバターに変える力さえ持ってはいません。あいつにできることはマンチコアの姿をそこに見たがっているものたちの目に、ライオンがマンチコアの姿に見えるようにしてやることだけです。そんな連中は本物のマンチコアを見てライオンだと思い、ドラゴンがとかげにしか見えず、ミッドガルト・サーペントの存在を地震としか理解できないのです。だからユニコーンを見ても只の白い雌馬だと思うのです。」

 「安直で愚かな幻想にのみ心を奪われ、真実の存在(伝説の怪物)を見ても日常的な陳腐な生き物としてしか受け取らない。」俗悪主義とニヒリズムをロマン主義の観点から総括するとこういうことになる。反省の無い現実主義と科学的客観主義の限界を内省的な精神的主観主義から批判した場合の典型的図式である。ファンタシーとは現代人が忘れ去ろうとしている幼児的あるいは原初的主観主義に対する時に意識的、時に無意識的な再評価の試みとして考えることができる。魔法使いはここでは、「他の連中とは違って、自分にはあなたがユニコーンだと分かる。」と言おうとしている。

用語メモ
 地震(earthquake):魔法使いはここで人々が「地震」と呼ぶものの正体を「ミッドガルト・サーペント」であるとしている。現象的な発現様態の背後に、常に本質的なより深い意義性を持った存在様態が潜んでいるとする思想によれば、このような理解が可能となる。自然現象の各々が神の名で呼ばれ、人間の心中に浮かんだ感情や思いもまた、それぞれが神の名で呼ばれたことがかつてあった。ギリシア神話の神々や、近代の知識人達によって自然の構成要素として考えられた精霊達は、このような思考の産物なのである。そこでは世界全体と人間存在の双方とのより緊密な関係性の許で、これらの現象の意義と内実が再認識されようとしている。


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28 November

The Last Unicorn 『最後のユニコーン』読解メモ 59


"Her shabby skill lies in disguise. And even that knack would be beyond her, if it weren't for the eagerness of those gulls, those marks, to believe whatever comes easiest."
「あの魔女のいかさまの魔法の技なんて、見せ掛けに頼っているだけです。そしてその見せ掛けを操る技術さえも、たやすく信じられるものになら何でも飛びついてしまうこのカモ共の愚かな心がなければ、成り立たないものなんです。」

 魔女の用いた魔法の技を貶して、魔法使いは語る。魔女の魔法の技術だけでは、あのような幻影を見せることに成功することはできない。魔法は、かける側とかけられる側との間の相互の関係性の上に成り立つ、双方向的(interactive)なものであるとされているらしい。彼の口ぶりでは、あやかしの魔法にかかってしまう者たちが愚かだから、と言いたそうだが、魔法の発現をこのような相互作用の結果として捉えるのは、実は世界全体の一体性を前提とする、究極の魔法の原理なのである。

用語メモ
相互作用:世界全体の不可分な有機的関係を意識した場合には、行為を行うものとその行為を受けるものの、主客の関係さえもありえないことになる。主体とされるものの一方的な働きかけのみで事象が成立するということはない。常に行為を受ける客体の存在があって始めて、行為を及ぼすという事実が成立しているのである。事象とは行為の結果及ぼされた事態としてではなく、ひとつの連続体の部分の関係性として捉えられるべきものなのである。


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27 November

The Last Unicorn 『最後のユニコーン』読解メモ 58


"Spells of seeming," the unicorn said.

「目くらましの魔法ね。」ユニコーンは言いました。

 マミー・フォルチュナの、伝説の怪物達の姿を見物人達の目に映して見せる不思議な技法を目に留めて、ユニコーンはその技術を“seeming”つまり「見せかけ」を操作する、「「目くらましの魔法」と呼ぶ。魔法にも体系的なメカニズムがあり、基本原理と様々の応用技術がある。『ハリー・ポッター』に描かれている魔法も、習得可能な知識体系の世界として具体的に物語世界に導入されていた。このような魔法の原理機構に対して極度に自覚的なファンタシー作品として、『最後のユニコーン』の翌年に出版されたUrsula le GuinのA Wizard of Earthsea(『影との戦い』)がある。これらの作品における魔法と比して、本作品でユニコーンが体現するものとされる魔法の力は、また幾分次元を異にしたものであるといえる。

用語メモ
 “やって来たり、行ってしまったりする”魔法:『最後のユニコーン』において描かれている魔法は、存在そのものが魔法の力の最高の具現化であるユニコーンの存在属性と並んで、魔法を操るものの意志とは別個の、独自の意図と目的を持ったものである。


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26 November

The Last Unicorn 『最後のユニコーン』読解メモ 57


The cage was filled with snake.

その檻は蛇で一杯でした。

 ミッドガルト・サーペントとして見物人達に見せた怪獣の檻の中の描写である。“filled with snakes”でもなければ“filled with a snake”でもない。 "snake"という単語が物質名詞でもあるかのように用いられている。檻の中にあるのはただ蛇だけ。

用語メモ
 ミッドガルト・サーペント:古代北欧神話に登場する大蛇の姿をした怪物である。LokiとAngerbodaの息子で、人間界(Midgard)をその身体で取り巻いている巨大な存在である。その姿は、自分の尾を口にくわえて円環をなしているとされる。この形象は世界そのもの、あるいは世界の存立機構を象徴する“ウロボロス”の図像として様々な文様や図柄に記されている。

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